青年大法弟子:大法の中で真に修める(一)
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 【明慧日本2023年6月12日】私は飛天大学中城キャンパスの大学3年生で、データ科学を専攻としています。大学に入る前と入った後の修煉体験について簡単にお話します。

 一、飛天大学に入学

 飛天大学に入る前は、ノーザン芸術学院でダンスを学んでいました。高校3年生になった私は、小学6年生の時の身長と大して変わりません。身長だけでなく、リズム感やテクニック、技術といった点でも、ダンサーとして求められる条件をまったく満たしていませんでした。幼い頃に習っていたバイオリンも、中学1年生の時点で断念していたので、飛天大学に受かる可能性は非常に低いと思っていました。他の人たちと同じように、私も常人の良い大学に入りたいとずっと思っていました。当時、台湾の蔦松芸術学院から渡米に切り替えたのも、実はアメリカの大学に行くチャンスを残しておくためでした。

 良い学校に入りたかったのですが、成績が思ったほど良くありませんでした。台湾に長年いて、英語力も少し落ちていたのです。また、台湾の蔦松芸術学院に通っていたときは、芸術科目以外の勉強は重視しておらず、他の学問の基礎が整っていませんでした。私は6~7つの大学を受験し、合格したのは3校だけでした。そのうちの1校が飛天大学でした。他の2つの大学からは、非常に魅力的な奨学金が提供され、後数千ドルを出せば、滞在費と授業料の問題を解決することができました。これらの大学は中か中より上のレベルの大学に過ぎなかっのですが、あまりよく知らない飛天大学よりは安心感がありました。

 私は、当時ある教授(同修)の家に仮住まいをしていました。教授はかなり前に私が飛天に通うかどうかを尋ね、しばしば自分の意見や考えを私に教えてくれました。 例えば、飛天大学は師父が創設した学校であり、大法のプロジェクトに等しいです。学校でしっかり勉強できれば、法を実証することにもなります。また、常人の学校は薬物乱用や飲酒、気軽な性行為などを含め、かなり乱れているもので、名ばかりの大学に行く必要があるのでしょうか。また、飛天大学は学生の数が非常に少ないので、他の大学の学生に比べて、教師が一対一の指導や手助けをすることができるのだそうです。この他にも非常に説得力のある理由があり、私もそのほとんどに同意していました。しかし、いざ決断に直面したとき、私は優柔不断でした。

 まず、自分は大学で何をしたいのか、と自問自答しました。大学というのは、何かを学んで、就職の準備をして、友人を作って、それだけのものだと思っていました。この点から、大学を経験したことがなかった私は、飛天大学の指導力に対して少し懐疑的でした。飛天大学の知名度や認知度で、良い就職ができるのかが疑問です。それに、学生の多くはすでに知っている人たちで、全体の人数も少ないので、ちょっとつまらないのでは?  しかし、大学に行く目的が何であれ、「自分の人生の中で最も大切にすべきものは何だろうか?」と自分に問いました。

 師父は「皆さんに教えてもよいのですが、個人の目的の達成や、個人の嗜好や欲望を満足させるために行なったことは執着です。しかし公のため、大衆のため、他人のために行なったこと、あるいは努力して仕事や勉強をやり遂げることは当然すべきことです」[1]と説かれました。

 いい仕事をしたいというのは執着ではないとは思います。名門校に対する執着は確かにありながらも、心の中で修煉や3つのことをしっかりやることほど大切なことはないとわかっていました。そこで、ネットで一流校の学生へのインタビューを見ました。その中には、全裸ランニングと呼ばれるイベントもあれば、それ以外のもっと倫理的に問題のあるイベントもあるようです。そういったところに行っても、あまり良いとは思いません。しかし、大学へ行ったとしてもそれらの活動に参加する必要はなく、大学で大法のサークルを作ることも、大法を広める良いチャンスではないだろうか、などなど、頭の中で考えれば考えるほど、戸惑いは募るばかりでした。

 道理と法理から物事を判断しようとしていたものの、やはりこの決断が良いのかどうか不確かな気持ちが残りました。結局、大学申請の最終期限が迫る中、「良い修煉環境を手に入れたい」という直感から、飛天大学への進学を決断しました。

 しかし、ここで問題なのは、お金を出すのは母であり、彼女次第でした。最初は何を言っても彼女は納得してくれませんでした。数週間のうちで、3回の電話で口論になり、お互いの合意が得られないままでした。当時は自分の考えや理由を明確にしたつもりだったので、彼女が怒った理由を理解できませんでした。

 このままではいけないと思ったとき、私は内に向けて探すことにしたのです。実は、修煉は最初から最後まで自分自身のことであり、他の誰にも代替できないし、ましてや強制することもできません。たとえ修煉環境が自分に多かれ少なかれ影響を与えるとしても、黄金はどこへ行っても黄金のままであり続けるのです。飛天大学の環境を利用して、自分がしっかり修めていないところをごまかし、修煉の近道をしようと考えていました。なんと良くない心だったことか。 スタート地点が悪ければ、当然問題が生じます。そのことに気づいてからは、「ゆるい環境ではうまく修煉できない」と心配する心を放下しようとしました。

 自分の行く先に執着していてはダメだと思い、両親に自分の意見をはっきり伝えた上で、師父の按排に従い、自然に任せるようにしました。たとえ自分が正しいと思っていても、平和的かつ合理的にコミュニケーションをとるべきです。

 自分の意見を母に述べるとき、善を持って話しているわけではないことは分かっていました。私は自分の立場ばかり考えて、母が心配している支出の面について考えようとはしませんでした。内に向かって探した結果、心配や懸念のほとんどを手放しました。それからは事態は好転していきました。4回目の電話で話したとき、母が「昨夜、夢を見た」と言い、夢の内容は今はよく覚えていませんが、私が飛天大学に入ることをすんなり同意してくれました。

 今振り返ってみると、この出来事で一番大切なのは、結果ではなく、その過程だったと思います。 私はこの出来事から、自分の考え方がどんなに正しくても、自分の理屈がどんなに説得力があっても、そして自分がどんなに誤解されても、常に善と慈悲をもって伝えるべきだと悟りました。相手がこちらの話を聞かず、あるいは誤解して、反論したり、口論になったりした場合、まず自分に問題がないかどうか、内面を見つめる必要があります。問題がないのであれば、その過程で心が動いたかどうかを自分に問うのです。

 たとえ0.01パーセントでも、わずかでも利己的な心があっても、それを放っておくわけにはいきません。 誤解されたとしても、本当に心がまったく動じなければ、合格したと認められるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解』「広州での説法 質疑応答」

 (続く)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/4/26/459171.html)
 
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