10月、学習者435人への連行・嫌がらせが判明(三)
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 【明慧日本2024年11月12日】(前文に続く)

 3、警察は「業績」のために悪事を働き、黄学軍さんは放浪生活

 湖北省武漢市洪山区の警官は、武漢市で勤務している安陸市出身の学習者・黄学軍さんを突然連行し、「黄学軍はネット上の指名手配であるため、安陸市国保の代理で尋問を行う」と言った。2023年11月から、黄さんはすでに逃走中の指名手配としてネットに載せられていた。その間、黄さんはずっと家にいたので不思議だと思っていた。安陸市公安局は、ネット上での追跡の目標人数を達成するために、黄さんをネットに載せたことが、後でわかった。

 当日、黄さんは洪山区留置場に拘束された。翌日午前11時ごろ、安陸市公安局国保隊長・鄒朝陽、副隊長・汪清平は、ほかの警官と一緒に洪山区留置場に行き、黄さんを安陸留置場に移送した。

 今年5月24日夜、国保隊長・鄒朝陽は書類を持って留置場に行き、黄さんに署名を求めたが、黄さんは拒否した。彼らは直ちに、黄さんを安陸市孛畈鎮にある「長松思いやりホーム」洗脳班に拘禁し、法輪功をやめるよう強制した。「法輪功をやめなければ、懲役7年を判決を下す」と脅した。黄さんは40日以上にわたって洗脳による迫害を受け、今年7月8日に釈放された。

 黄さんが帰宅した後も、常に警官やコミュニティの役員から嫌がらせを受けていた。1カ月後のある日、610弁公室の責任者・楊俊文らは、また黄さんの家に押し入り、他の学習者を騙せるように長松洗脳班で5、6分のビデオを録画するよう黄さんに要求した。楊俊文は、黄さんが断固拒否したのを見て、「棺桶を見るまでは涙を流さないやつだ! 司法手続きを経て、刑務所に送り、徹底的に見せてやる」と言った。再び迫害されるのを避けるため、黄さんは故郷を離れ、放浪生活を余儀なくされた。

 黄さんは元々安陸市普愛病院の薬剤師で、自分の仕事を大切にし、患者のために多くの実務をこなし、よく自分の財布から困っている人を助け、医師や患者から認められた。しかし、法輪功を学んでいるゆえに、病院から追放され、何度も連行・拘束され、不当な判決を言い渡された。そして今、黄さんは故郷を離れ、放浪生活を余儀なくされている。

 4、河南省開封市関連部門は楊愛勤さんに戸籍を与えない

 河南省開封市の学習者・楊愛勤さん(60)は、不当な拘禁を離れてから2年9カ月が経ったが、いまだに無戸籍であり、身分証がなく、開封市西司門派出所は楊さんの戸籍登録の手続きをしていない。身分証がないことは、楊さんの生活、生存、外出に大きな影響を与えている。

 中国の社会では、身分証がないとまったく行動ができない。携帯電話には実名認証が必要であり、銀行カードの作成や、電車のチケットを買う際にも身分証が必要で、アルバイトをする時も、宿泊施設を利用する時も身分証が必要である。

 楊さんは現在、開封市金明大通り電力局社宅3号館に住んでいる。1999年6月から法輪功の修煉を始め、多くの病気が消えた。

 楊さんは2015年7月に再び連行され、懲役6年6カ月の実刑判決を言い渡された。2022年1月14日に刑務所から帰宅した。楊さんが西司門派出所の戸籍課に戸籍回復の申請に行った時、女性警官は「あなたの戸籍はすでに取り消されました」と言い、手続きをしてくれなかった。楊さんはまた他の担当に聞いたが、同じく手続きをしてもらえなかった。

 以下は、楊さんが自ら語った内容である。

 私は1999年6月から法輪大法の修煉を始めた。あらゆる奇怪な病気が消え、人生の意義も理解でき、法輪大法から多くの恩恵を受けた。1999年7月20日、中共のならず者集団が法輪功への迫害を開始した後、私は何度も連行され、開封市拘置所と留置場に不当に拘禁された。何回も労働教養、不当な判決を受けた。さらにお金を要求され、その金額は約10万元となり、家族に大きな苦痛と悲しみをもたらした。夫は何度も巻き添えにされたことで、脳梗塞を患い、2016年8月に亡くなった。80歳近い父親は臨終になっても私に会うことができなかった。そして私も娘が孫を出産したときの世話をしてあげられなかった。

 (完)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/11/7/484738.html
 
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