【明慧日本2025年3月12日】中国共産党(以下、中共)は国家機関を利用して法輪功を全面的に誹謗中傷し弾圧している。人々に真実を知らせるために、遼寧省威海市の法輪功学習者(以下、学習者)の呂桂玲さんは自身の身の安全を顧みず、テレビ放送への割り込みで真実を伝え、2003年6月に不当に懲役19年の実刑判決を言い渡され、これまでに約17年間不当に拘禁されている。現在も山東省女子刑務所で迫害を受け続けている。
迫害を受ける前の呂桂玲さん |
呂桂玲さんは現在64歳で、山東省威海市温泉鎮江家寨の出身である。彼女は1996年8月に法輪功の修煉を始め、「真・善・忍」に従って道徳高潔な人間になるよう努力した。それ以来、家庭は睦まじくなり、姑への孝行も率先して行い、兄弟の連れ合いとも仲良く暮らしていた。
大いなる善意を持ってテレビ放送への割り込みで法輪功迫害の実態を伝える。中共が中国全土で法輪功を残酷に迫害した後、全国の人々は中共の嘘の宣伝で洗脳され、法輪功を誹謗中傷することに強制的に加担させられた。人々は真実を知る情報源を失ってしまった。
市民の知る権利を取り戻すため、当時42歳だった威海市の学習者呂桂玲さんは、他の3人の学習者の黄敏さん、張楽金さん、姜魯広さんと協力し、2002年に威海市栄成、乳山、文登などのテレビネットワークで法輪功の真相を伝えるテレビ番組の侵入に成功した。これにより、数万人の人々が法輪大法が世界に広まり、人々に福をもたらす盛況を見ることができた。 2003年1月、呂桂玲さんは他地域に連行され、その後威海市留置場に不当に拘束された。2003年6月、威海環翠区裁判所によって不当に懲役19年の実刑を言い渡された。
迫害で生命の危機に瀕し、2度保釈される
呂桂玲さんは、不当な迫害に直面しても、恐れなかった。呂さんは真実を明らかにし、迫害に反対することが最も正しい道であると知っていた。連行された後、呂さんは約5カ月間にわたり断食で抗議し、ついに生命の危険に瀕した。2003年7月、呂桂玲さんは不当に懲役19年の判決を言い渡され、控訴を提起している間に、「保釈」の名目で自宅に帰された。
2003年9月21日、呂桂玲さんは再び温泉鎮派出所の警官と環翠区裁判所の職員によって自宅に押し入られ、連行された。警官らは呂桂玲さんの控訴期間が終了し、裁判所が原判決を維持したと告げ、強引に彼女を自宅から引きずり出し、翌日、済南留置場に送った。
呂桂玲さんはその日から再び4カ月間にわたる断食で無謀な迫害に抗議した。留置場に到着した際の健康診断の結果、基準に達していないため呂さんは留置場に入所しなかった。なぜなら、呂桂玲さんは威海市留置場で5カ月以上断食し「保釈」で自宅にわずか2カ月しかいなかったので、身体が回復していなかった。
迫害されて1年後の呂桂玲さん |
2003年12月末、呂桂玲さんは済南警官病院に送られた。約1年間の拷問で、彼女の体は骨と皮ばかりになり、体重は元の65キロから31キロにまで落ちた。2004年1月15日、呂桂玲さんは再び自宅に送り返された。
山東省女子刑務所でさらに16年以上迫害される
2008年11月、放浪生活を送っていた呂桂玲さんが家族に会うために帰宅したところ、わずか1週間後に威海市610弁公室の職員によってドアを破られて連行され、再び山東省女子刑務所に拘禁された。19年間、拘禁されることとなり、彼女が「法輪大法は素晴らしい」と叫んだだけで、留置場に入るとすぐに独房に閉じ込められた。それ以来、呂桂玲さんはさらに16年以上にわたり山東省女子刑務所に不当に拘禁されている。
呂桂玲さんは「真・善・忍」を堅持し、非常に堅固で、多くの苦難に耐え、「転向」を拒否した。留置場の職員は彼女に高血圧の薬を無理やり飲ませようとしたが、彼女はこっそり吐き出した。2015年、彼女は腸閉塞の症状を呈し、留置場の看守が強制的に病院に連れて行った。
2022年9月以降、家族は呂桂玲さんの消息を一切聞かされていない。山東省女子刑務所は呂桂玲さんが家族に電話をかけることを許可せず、家族の面会も認めていない。情報によると、呂桂玲はすでに迫害により髪は真っ白になり、歯はすべて抜け落ち、心臓や肺などの臓器に危険な状態が現れている。2023年には脚の痛みで歩けなくなり、1カ月以上経ってようやく回復した。
中共の不当な判決に従えば、呂桂玲さんの不当な刑期は2022年2月に終了するはずだった。現行法によれば、保釈期間も刑期に含まれるからである。しかし、現在に至るまで呂桂玲さんは依然として拘禁されており、2026年10月19日頃解放されると見られている。