なぜ修煉の中で「師を信じ、法を信じる」ことを貫徹しなければならないのか
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年11月20日】師父が新しい経文『人類はなぜ迷いの社会なのか』を発表された後、私は何度も繰り返し学び、自分自身の悟りと結びつけて考えていました。すると、突然何かがすっきりと解けたように感じました。以下にその悟りについて述べます。

 人類が迷いの社会にいるからこそ「信」が貴重なのです。目に見えない状況の中で、正念や良知を頼りに正道を見分け、さらには悟りに至るというのは、言うのは簡単ですが、実際に行うのはとても難しいことです。もし師父の加持がなければ、誰も成し遂げることはできないでしょう。この点は、実際に修煉をしている人だけが共感できることかもしれません。

 その前に、師父はなぜイエスや釈迦牟尼が世の人々のために苦しみを受ける必要があったのかを示されました。以前の私は、師父の言葉の字義通りの意味さえ理解できず、なぜこのような覚者たちが人を救わなければならないのかがわかりませんでした。しかし、この新しい経文を学ぶことで、私はついに理解しました。創世主がこれらの覚者に人を救わせる方法を、私たちに伝えたかったのです。それは彼ら(神/仏)の使命であり、救われるのは彼らの衆生だからです。これは彼らの「仏恩浩蕩」を示すものであり、一層一層の天体や宇宙の衆生は、彼らの体系の王と主の「仏恩浩蕩」を感じるでしょう。最終的には、最大かつ最後の宇宙の天体、最終的な生命も師父の「仏恩浩蕩」を感じることになるでしょう。

 一層一層の生命の主は、この末法の時代に人間の姿で世に存在し、自身の天体の中で多くの先天的な本性から逸脱し、罪業を積んでしまった生命の業を消すために努力しています。しかし、師父は、宇宙の各層の天体におけるすべての王や主(大法弟子)の業を消してくださっているのです!

 長年にわたり、確かに多くの大法弟子が心性を守ることにおいて十分ではなく、私自身もその一例です。その結果、取り返しのつかない損失を招いてしまいました。根本的な原因は「師と法を信じる」ことが不十分で、師父の慈悲を重視せず、さらには絶対にやってはいけないことに「挑戦」してしまったために、多くの修煉上の問題を引き起こしてしまったのです。

 決して自分が大法を修煉しているから、何をしても大きな問題はないと思ってはいけません。このような心態は必ず大きな問題を引き起こします。旧勢力は必ずあなたに手を出してくるでしょう!

 歴史上、そして現代においても、世の中には多くの達人たちが、師父が正法を行い、天地を再建することについて、さまざまな予言を通じて、世人に曖昧に知らせてきました。しかし、師父はこうおっしゃいました。「世の中に多くの神仙がいますが、なぜ迷いを破りたいという人間の欲望を満たしてくれないのですか? このようにする度胸はないからです! これは創世主が天体と衆生を救うために切り拓いたものであり、これは衆生が救われる希望だからです!」(『人類はなぜ迷いの社会なのか』)

 かつて非常に有名な予言があり、事後に非常に正確であることが証明されましたが、中には何が起こるのかを直接言わず、ただ事が大きすぎるため、詳細を伝えることができないと言うものもあります。では、なぜ予言の能力を持つ人々は、その「窓の紙」を突き破ることができないのでしょうか? 以前に正確な予言をした人が、全人類に影響を及ぼす大きな事が起ころうとしているとき、もし彼らがそれを直接伝えれば、もっと多くの世の人々が知ることができるのではないでしょうか? 今、私はこれがただ「人」の考えだと理解しました。

 各層の生命にはそれぞれの使命があります。かつての気功ブームの際、気功師たちの使命は病気を治し健康を促進することでした。そして、歴史上の予言者や先知たちの使命は、全ての生命に関わるこの驚天動地の大事を側面から世人に告げることでした。しかし、誰もこの事実を直接明らかにすることはできません。なぜなら、師父を除いて、誰も正法の真実の状況を知ることができないからです。正法の事は師父にしかできず、真相を伝え師父の正法を助けることができるのは大法弟子だけです。これが大法弟子の使命でもあります。今となっては、この点は非常に明確になっています。

 「師父を信じ、法を信じる」ことは、修煉の始まりから終わりまで貫かれなければなりません。

 私の個人的な見解には限りがありますので、誤りがあれば同修の皆さんの慈悲あるご指摘をお願い申し上げます。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/10/23/484153.html
 
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