【明彗日本2024年12月11日】(前文に続く)
四、「大法弟子にはこんなにも重要な使命があるのだ」
迫害が始まった後の3~4年間、私は毎年、年の初めに建設現場に出稼ぎに行き、年末に家に戻るという生活を続けていました。一年のうち6~7カ月を工事現場で働いて過ごしましたが、その間は学法と煉功ができず、とても悩んでいました。後に、現在住んでいる都市で仕事を見つけ、部屋を借りると生活が安定し、毎日家で法を学び、煉功することができるようになりました。
この間、暇な時に「同修たちは何をしているのだろう」、「まだどれくらいの同修が修煉しているのだろう」と考え、同修を探したいと思うようになりました。しかし、この見知らぬ都市で同修をどこで探せばよいのか分からず、心の中でずっと困惑していました。師父の「環境は皆さんが自ら創りだすものです」(『精進要旨』「環境」)という教えと、公園で煉功することが人を大法に導くことができると説かれているのを思い出しました。2008年頃、私は同修を探してみることを試みました。
ある朝、子どもを幼稚園に送った後、とある住宅地に行きました。入り口の前に小さな公園があり、まばらに数人の人がいました。私は一本の木の下で煉功を始めました。同修に私の姿を見てもらい、出会えることを期待したのです。2日間続けて行きましたが、誰も私に声をかけることもなく、同修の姿も見当たりませんでした。「この場所は小さすぎるのかもしれない。もっと大きな公園でやってみよう」と思いました。
私は比較的大きな広場を見つけました。そこには多くの人が集まり、それぞれいろいろな運動をしていました。ある日、その広場の目立つ場所で30分ほど煉功をしましたが、やはり誰も私に声をかけてきませんでした。この場所にも2日間通いましたが、同修を見つけることはできず、とても落胆しました。
こうして、私はまるで帆を失った小舟のように、果てしない大海を漂いながら、孤独と無力感に苛まれていました。2010年になった頃、私はもう我慢できなくなり、工事現場で同僚たちに「あなたたちの村で法輪功学習者を知っているか?」と尋ねてみました。その中の一人で、私と年齢が近い同僚が「叔父が法輪功を煉っていますよ」と教えてくれました。それを聞いた瞬間、私は嬉しくてたまらず、すぐにその叔父の住所を教えてもらいました。「師父が私の切なる願いを見て、手配してくださったのだ」と感じました。
ある日、雨のため工事現場が休みとなり、同僚の叔父さんの家を訪れることにしました。叔父さんの家は私の住んでいる場所から20kmほど離れていましたが、師父の加護のおかげで、私はバイクに乗ってスムーズにその家を見つけることができました。私が自己紹介をすると、その叔父さんである同修はとても親切にしてくれました。彼はまるで親しい仲間のように熱心に大法に関するいくつかの話をしてくれました。しかし、彼が話す「旧勢力」という言葉が私には全く理解できず、それが何を指しているのか説明を聞いてもよく分かりませんでした。
同修から「新しい経文を持っていますか?」と聞かれ、私は驚いて「新しい経文? 師父には新しい説法があるのですか?」と聞き返しました。すると、彼は部屋から何冊かの師父の説法を持ってくれました。それを見たとき、私は「大法のことについて自分が知らないことがこんなにもたくさんあるのか」と驚き、すぐにでもそれを読みたくなり、同修に本を貸してもらい、「家に帰って読ませてください」と言いました。
家に帰ると、私は2日間の休みを取り、飢えたような気持ちで師父の説法を一冊一冊読みました。夜遅くまで読み続けても眠くならず、夢中でした。その2日間はあいにく停電していて、私はろうそくを買ってきて、その明かりで本を読みました。法を学んでいると、私はとても大きな衝撃を受け、時折涙があふれました。「なるほど、大法弟子にはこんなにも大きく、重要な使命があったのか!」と分かりました。
「こんなにも長い間、自分は部外者のようになり、何も知らず、何もしていなかったんだ!」と思うと、修煉したばかりの頃の自分の気持ちとあまりにもかけ離れていて、受け入れることができませんでした。中国共産党(以下、中共)の噓偽りの宣伝に惑わされることなく、大法を堅く信じ続けてきたにもかかわらず、私はこの信仰を持ちながらも、これほど長い間、仲間たちから離れてしまっていたのです。
その瞬間、自分の気持ちが言葉で表現できないほど複雑で、ただ涙が静かにこぼれました。私は深い悔しさを感じ、「師父の慈悲なる救いに弟子は報いることができませんでした」と心から申し訳なく思いました。中共の迫害は、私のような修煉者、新しい学習者を滅ぼそうとしていたのだと理解しました。
この経験を振り返るたびに、私は今でも心が痛みます。特に、同修たちが命を懸けて天安門広場で法を証明した壮絶な体験を語ってくれるとき、私は彼らに敬意を抱くと同時に、深い恥じらいを覚えます。しかし、この経験は私を落ち込ませるのではなく、絶えず精進する原動力となりました。
五、補い
師父の説法を学んで、大法弟子には大法の良さと迫害の実態を伝え、衆生を救う使命を担っていることを理解しました。そして、自分が失った時間を取り戻し、補いたいと強く決意しました。当時、私は人々を救いたいという切なる気持ちを抱え、前述の叔父さん同修の家に定期的に行き、真相資料を受け取って配布するようになりました。しかし、同修が持っている資料も限られていたため、時には遠くまで行っても資料が手に入らず、落胆することもありました。そんな私の人を救いたい心を見て、彼は私を別の資料拠点の同修に紹介してくれました。その拠点では資料の量が少し増えたものの、依然として十分ではありませんでした。そこで、私はついに自分で資料を作ることを決意しました。
私は同修たちが使っている機械を参考にして、電気製品の店でプリンターなどを購入しました。教えてくれる人はいませんでしたが、同修の家で作業を見たことがあり、記憶を頼りに取り組みました。どうやって印刷するのか、どうページを反転させるのかを2~3日間かけて試行錯誤し、師父のご加持のもとでついに成功しました。その時の喜びは言葉にできません。これで必要な資料を好きなだけ印刷でき、時間も自分で調整できるようになりました。
それ以降、私は仕事の合間に大量の真相資料を作り、配布するようになりました。何十年も工事現場で働いていたため、現場や作業員宿舎の状況には非常に詳しく、彼らの考え方や生活習慣もよく分かっていて、まさに彼らの一員だったのです。
私は作業服を着てヘルメットをかぶり、さまざまな工事現場や宿舎を回って真相資料を配布していましたが、とても順調でした。作業員たちは私を自分たちの仲間と見なしており、私も彼らの話すことを理解し、一緒に話を弾ませることができたことが、彼らを救うための非常に良い条件を作り出しました。私が配った真相資料をとてもよく読んでくれました。ある日、宿舎を訪れた時、一冊の『共産党についての九つの論評』の本がテーブルの上に置かれているのを見かけました。それは私がこの前持って行ったもので、ページはすでに汚れており、それだけ多くの人がその本を読んでいたことが分かり、嬉しく思いました。
ある日、私はバイクに乗って、とある工事現場の宿舎に行きました。ちょうど昼食の時間で、大門が開いており、中庭には食事を待つ100人以上の人々が列を作り、騒がしい様子でした。私は中に入って、大声で「無料で良い本を届けに来ました!」と言って、バイクの荷台から『九評』を1冊手に取り、目の前にいた人に差し出しました。
周りの人々はそれが本当に無料だと分かるとすぐに集まり、自ら荷台のカゴから本を取り始め、1人1冊ずつ取り、あっという間に十数冊の『九評』がなくなってしまいました。
本が足りないと気づいた私は急いでバイクを走らせ、同修の家からさらに20冊ほど持ってきました。しかし、戻ってみると、昼食を待っていた人々はすでに散っていました。それでも私は宿舎を訪ね、一部屋ずつ扉を開けて本を配り始めました。本の数が限られて、重複して渡すのを避けるために、部屋の扉を開けて手に持っていた『九評』を見せて「この本を持っていますか?」と尋ねました。ある部屋の50歳くらいの男性が突然怒鳴り声をあげ、「何の本を配ってるんだ!」と罵声を浴びせました。その場面に遭遇しても私は動揺されず、穏やかに「すみません、失礼しました」と言っただけで、静かに扉を閉め、他の部屋へと配り続けました。師父のご加護のおかげで、その日も無事に全部配り終えました。
結び
1999年7月20日、江沢民が主導する中共による法輪大法への迫害が始まってから、2011年までの11年間、私は独りで修煉する状態でした。当時の私は「揺るがず信じること、動じないこと、忍耐」という次元に留まり、マスコミで報じられる全ての中共の誹謗中傷の内容を自分への試練だと考えていました。そのため、個人修煉の基点に囚われてしまっていたのです。
また、1998年秋に修煉してから1999年の迫害が始まるまでの短い期間、私は同修たちと接点を持つことも、集団で学法することもありませんでした。村には他の同修がおらず、法輪功を紹介してくれた同僚の同修とも連絡が取れなくなりました。これらの外的な要因も、私が独りで修煉する状態に陥る一因となったように見えました。
しかし、その後、私は自分を深く反省し、内に向けて探すと、自分が自信過剰でうぬぼれていることに気づきました。自分の手にこの『轉法輪』さえあれば十分で、師父と一緒に本当の故郷に帰れると思っていました。この強い「自我」が旧勢力に隙を乗じられたのかもしれません。
幸運なことに、師父はかつて脱落して遅れたこの弟子を見捨てることなく、導いてくださいました。慈悲深い師父の救い済度に感謝します!
師父、ありがとうございます!
同修の皆さん、ありがとうございます!
(終わり)