文/海外の大法弟子
【明慧日本2025年1月26日】旧勢力は大法弟子を試練という名目で、20年以上にわたる邪悪な迫害を仕組みました。しかし、すべての物事には始まりがあれば必ず終わりもあります。この法難も、法が人間界を正す過程の始まりとともに終わりを迎えるでしょう。師父は旧勢力の邪悪な計画を認めていませんが、大法弟子である私たちは、反迫害を通して衆生を救う過程で、それぞれの行動を示し、各人の境地と次元を確定しました。この邪悪で、隙がなく、厳しい試練の中で、真に修煉しなかっただけでなく、大法に背く道を歩んだ人もいます。
法難について、師父は旧勢力の計画を利用し、私たちに業力を消去させ、成熟させ、この過程を通じて人間の思考や意識を完全に断ち切り、真に神の道を歩む大法徒となるよう導いています。
現在、世界で起きているあらゆる混乱、特に、神韻や師父に対する邪悪の最後の狂気的な攻撃は、世人に対する大きな試験であるだけでなく、大法弟子が師父とともに法がこの世を正し、より良い人間になって、神の道に進めるかどうかを問う最終試験でもあります。この過程が現在、選別の段階にあるのです。
試験である以上、変化する状況に対して、師父がこれからどうすべきかを具体的に教えることは少なくなるでしょう。法はすでに私たちに伝えられていますが、それをどれほど理解し、どれほど法に対して確固たる信念を持ち、同修同志で助け合い、救い合う中でどれほど実践できたかが、私たち一人ひとりの評価基準となっています。
修煉の道は自分自身で歩むものです。「師は入口まで導くが、修行は各自にあり」(『轉法輪』)。すべてのことを師父の指示を待つのではなく、自分自身で取り組む必要があります。1998年にはすでに、師父は次のように明確に述べられています。「皆さんがいつもわたしに引っ張られては向上し、皆さん自身で動こうとしないようではいけません。法を明確に説いてから、初めて動き、はっきりと説かなければ動かない、または逆の方向へ動いてしまいますが、わたしはこうした行為を修煉と認めることはできません。肝心なときに、わたしは皆さんを人間と決別させようとしているのに、皆さんはかえってわたしについて来ようとせず、一回一回の機会はいずれも二度と訪れないのです。修煉は厳粛なもので、差はますます大きくなっています。修煉の中にいかなる人間のものを加えても、極めて危険なのです。実は、良い人間になることもよいのですが、ただ、皆さんがはっきりと分かっておかなければならないことは、道は皆さん自身で選ぶ、ということです」(『精進要旨』「根を掘る」)
大法を離れた一部の人が、今になって大法や師父を中傷し攻撃することを、多くの同修は理解できないかもしれません。しかし、これら大法に敵対する行為を行う生命は、大法弟子を試し、世人に選択を示す役割を果たしており、金と砂を分ける試金石となっているのです。
師父は1996年に次のように述べておられます。「わたしたちはそれらの精進していない弟子に自らの不足を認識させ、それらのうわべだけの者を表に現れるようにさせ、違った形で破壊する者をさらけ出し、真に修煉する弟子を圓満成就させているのです」(『精進要旨』「白日の下にさらけ出す)
以上は私の個人的な理解であり、同修との交流のために共有します。