文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年7月24日】私は1999年、迫害が始まる少し前に法輪大法の修煉を始めました。浮き沈みを経験しましたが、常に法に基づいて、あらゆる思考 の角度から 測ることを自分に言い聞かせていました。
2010年7月、私は法輪大法(以下、大法)を修煉したために強制労働の刑を受けました。私は刑務所にいる間、釈放されたら仕事を失うかもしれないと人々から言われ、落ち込みました。私は修煉者が本当に仕事を失うのだろうかと思いました。
師父の言葉を思い出しました。
「人間にも同じく人間の生活空間と生存条件があるべきで、それも守る必要があります。人間はやはり生命と正常な生活を維持しなければならないのです」(『轉法輪』「第七講」)
なぜ修煉者は大法を修煉し、善人であるために仕事を失うべきなのでしょうか? 私の給料はすでに非常に低くく、生活費をまかなうのがやっとでした。仕事を失うということは、普通の生活を維持できなくなるということで、間違っていると感じ、私の修煉を妨害するための旧勢力の按排のように思えました。
私の心はすぐに晴れ、師父の言葉を信じました。私は大法を修煉していても仕事を失うことはありません。私は自分が修煉者であることを自覚しなければならないと知り、そのことについて心配するのをやめました。
2012年に釈放された後、雇用主は私に仕事を続けさせてくれただけでなく、3種類の仕事から選択できるようにしてくれました。私が戻ってからすぐに、会社の全従業員の給料が2倍になりました。同僚は、会社がこれを実行するには私が戻ってくるのを待っていたと冗談を言われました。会社はまた、私が不当に拘禁されていた期間の年金まで補償してくれました。
この経験を通して、修煉者の考えの基準が重要であることを悟りました。私たちの考えが法と一致して初めて、正しい道を歩むことができます。
数年後、会社が組織変更され、私と年配の同僚1人を除く全員が中央制御室に異動となり、2人は疲れる造園作業に配属されました。私はためらうことなく新しい仕事を引き受けました。しかし、新しい仕事に就いた初日に、私が法輪大法の修煉者だからその仕事に就いたと聞きました。どうやら経営陣は、依然として修煉者に対して偏見を持っていたようです。
夜、私は横になって何の雑念もなく、今回の仕事異動のことを考えました。突然、師父の説法を思い出しました。
師父は『各地での説法七』「二〇〇六年カナダ法会での説法」の中にこう説かれました。「これに対して、『この厄介なことを通じて、どのようにすれば、この妨害に関係するすべてに正しく対処し、衆生を救い済度する目的から、その関係を正しく対処できるのか、衆生に対して責任を持っているので、どのようにすれば、これらの出来事の現れの(法輪大法への迫害の真実)真相を伝えるきっかけにすることができるのか、これがちょうど真相を伝える良い機会だ』と、正念をもって対処すべきです」
翌日、私は上司と話し、大法の事実を説明しました。同僚に認められた良い人間として、不当な扱いを受けるべきではないと伝えました。その後間もなく、私は中央制御室に異動となり、定年までそこで働きました。
この出来事から、私たちはすべてを大法の基準である真・善・忍で測るべきだと悟りました。
2017年の中国共産党第19回全国代表大会を前に、私の会社の経営陣は(中国共産党、警察の関連団体から)私を監視するよう圧力をかけられ、常に尾行されていました。そのため同僚たちは、私のことを噂し、私は大きなプレッシャーを感じていました。
ある日、上司が私のところに来て、夫と息子の身分証明書を提出するように言いました。これもまた私にプレッシャーをかけ、脅す方法でした。私は内省し、まだ恐怖の執着があることに気づいたので、師父の詩を暗唱して、正念を強化しました。
「あなたに恐れ有らば 它は直(すぐ )に抓む ※註釈:它(だ)。旧勢力。
念を正にすれば 悪は直に崩れる
修煉の人 法を持っており
正念を発すれば
爛鬼炸く(らんき さく) ※註釈:悪魔・鬼を排除する
神が世に在りて 法を実証す」(『洪吟二』「恐れ無し」)
私は上司に、次のように会社の上層部に伝えます、と言いました。「私は永遠に法輪大法を修煉するつもりです」。私の言葉にその場にいた全員が驚き、その人(上司)はそれ以上、何も言わずに立ち去りました。
翌日、その上司が私を親会社のオフィスに案内してくれました。数人の幹部が笑顔で私を迎えてくれました。彼らは、私が退職する前に、会社が私の選んだ支社への旅行を提供したいと私に話してくれました。彼らが現状を解決する良い方法を見つけたことはわかっていたので、私はその申し出を受け入れました。
私は数人の同僚に同行され、旅行中ずっと本社の査察官のように扱われました。支社の責任者や同行した同僚に大法の事実を伝え、彼らの質問や誤解に答える機会がありました。他の同僚はこれを聞くと、私に対する偏見を捨て、敬意を持って接してくれました。ある同僚は、うらやましがって法輪大法の修煉に興味を示しました。
私は退職して数年になりますが、これらの素晴らしい経験を思い出すたびに、師父の絶え間ないご加護に対する感謝の気持ちでいっぱいになります。修煉の道をしっかり歩むには、常に正しい考えを保ち、しっかりと修煉しなければなりません。これには法を学び、常に行動を正すことが含まれます。特に衝突や困難があるときはなおさらです。また、法の基準に照らして自分の考えを評価し、自分の本心からではない人間の執着や考えを見つけ、正念を発してそれらを排除し、旧勢力が私たちの抜け穴を利用するのを防ぐ必要があります。
師父は「精神は物質と同一なのです」(『米国中部法会での説法』)とおっしゃいました。私たちの心が真・善・忍で満たされると、私たちの空間場はきれいで美しくなり、旧勢力が邪魔をする機会がなくなります。これにより、もっと多くの人々を救い済度する力も得られます。
個人的な悟りですが、法に基づいていないところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。