【明慧日本2025年3月22日】(明慧記者・瀋容インタビューレポート)10歳ごろまで、彼女は何度も星空を見上げ、月をじっと見つめ、自分が天から来た仙人であるとはっきりと覚えていました。しかし、社会に出ると、名誉や利益の渦中に巻き込まれ、最初の記憶を忘れてしまいました。幸運なことに、ある宝のような本『転法輪』が彼女の心の扉を開き、さなぎから蝶々になって飛び出したように、明るく自由な人生を迎えるきっかけとなりました。
呉淑雲さんの記憶をたどると、家は小さな下請け工場を営み、年中フル稼働していました。家計のために両親はたくさんの仕事を引き受けていたので、子どもたちと一緒にクリスマスライトを作ったり、食品の袋詰めなどを手伝ったりしていました。日々働く中で、淑雲さんはいつも作業をしながら教科書を見ていて、苦しみの中でも楽しんでいました。
その素朴で、物が不足していた時代に、淑雲さんが小学校でもらった一番の賞状は、まじめな父を笑わせる唯一の喜びでした。淑雲さんはこう言いました。「父がその賞状を見て笑った顔は、今でも私の記憶に残っています。ですから、小学校ではよく賞状をもらい、家に持ち帰っていました。中学校に上がると私は、だんだんと周りと見比べるようになり、クラスメートが英語や数学を補習しているのを羨ましく思ったり、ラジオ放送を聞いている友達を見てほしくなりましたが、私たちの家の経済状況ではそれは叶いませんでした」
貧富の差が淑雲さんに運命の違いを実感させ、自分の努力でこれからの人生を変えたいという強い思いを抱きました。高校を卒業した後、淑雲さんは大学の法学部夜間コースに進学し、昼は働き、夜は勉強して、弁護士を目指すことを人生の目標にしました。しかし、何度も試験に落ちた後、淑雲さんはまず法律事務所で法務アシスタントとして働くことにしました。
「でも、その事務所での2年間は、私の思考に大きな衝撃を与えました。弁護士を訪れる人々の中には、兄弟で財産を巡って争ったり、夫婦が対立する場合や、金銭や土地を巡って争う人がいました。その一つ一つの争いが、毎日のように繰り返されていく中で、私は息が詰まるような気持ちになりました。そこで、自分に問いかけました。弁護士という職業は、本当に私が目指すべきものなのか?」
淑雲さんは、正義を貫こうという自分の初心が、現実の環境の中で次第に功利的になっていったことに気づき、またその内面的な衝撃が健康にも悪影響を及ぼしていることに気づきました。「この複雑な矛盾が、私のもともとあった胃の病気を悪化させ、毎回胆汁を吐くほどの痛みを感じ、胃カメラを3、4回受けました。ひどい時は、夜中に救急病院で診てもらい、入院したこともありました」
名利の渦から抜け出すため、そして心身のストレスを軽減するために、淑雲さんは国家公務員の試験を受ける決意をしました。彼女は、その選択が単なる人生のコースを変えるだけでなく、法輪大法と出会うことになるとは思ってもいませんでした。
『転法輪』が天上の記憶を呼び覚ます
2004年、オフィスの同僚から『転法輪』という本を渡され、「この本はとても良いから、よく読んで、大切に保管しておいてね」と言われました。淑雲さんは「当時、昇進試験を受ける準備をしていたので、同僚に『試験に合格したら読むよ』と言って、本をオフィスの机の引き出しの一番上にそっとしまいました。引き出しを開けるたびに、ぼんやりと『転法輪』が金色に輝くように感じました」
しばらくして、工場を退職した父親がパーキンソン病を患いました。淑雲さんは法輪功が病気治療と健康を促進する効果があることを聞き、「私が功法を学べば、父に教えることができる」と考えました。「私は注釈版の『転法輪』を両親に買って、時間があるときに煉功して、本を読むようにしました。ある日、ふと『家族に学んでもらいたいなら、自分自身も手本を示すべきだ』と思いつきました。そこで、ついに引き出しからその金色に輝く『転法輪』を取り出して読み始めました」
淑雲さんは「『転法輪』は安らぎと喜び、生命力を得る源だ」と言った |
淑雲さんは、これまでこのように生命の奥義を分かりやすく明らかにした奥深い法理に触れたことがありませんでした。大法は、まるで清らかな泉のように彼女の心に流れ込み、10歳の時の記憶を呼び起こしました。「子供のころ、私たちはよく村の外れにある井戸に水を汲みに行きました。そのとき、井戸の水面に映る月を指さして、兄妹に『あなたたちは知っている? 私は天から来たんだよ』と言っていました。その後、何年も経ってから大法を学んで、その時の光景を思い出しました。だから私は、なぜ私はこの世に来たのか、最終的にどこに戻るのかを知りたくなり、大法の中でもっと多くのことを学びたくなりました」
淑雲さんは真剣に法を学び、煉功し始めました。その過程で、彼女の人生観や思想の境界も学法を通じてどんどん向上していきました。「以前、私は勉強するとき、自分の生活や利益など、何か目的がありました。しかし、『転法輪』は、私にどうすれば本当に良い人間になるかを教えてくださっただけでなく、自分がこの世に来ている目的と存在の意義を理解させてくれました。今の乱れた社会の中で、大法は私が毎日自己を浄化し、穏やかで喜びの生命力を得る源となっています」
修煉を始めてから、淑雲さんは毎日幸せで大きな豊かさを感じています。以前、彼女を悩ませていた重い胃の病気も、いつの間にか治っていました。彼女は職場内で法輪功のサークルを立ち上げ、毎日仕事の前に同僚たちと一緒に煉功し、昼休みには会議室で一緒に学法していました。「当時、一番多いときは30人以上が一緒に煉功していました。そして、多くの人が『転法輪』を買って、家で読んでいました。その集団で学法する会議室は、まるで『転法輪』に書かれているように、『佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる』のように、多くの同僚や市民が学法や煉功に参加するようになりました」
大法の中で変化し、心境が無限に広がる
その後、淑雲さんは昇進し、公務で忙しくなった矢先、家庭にも大きな試練が訪れました。淑雲さんはこのように語りました。「当時、父と義父が同時に病気で入院しました。私は公務をこなしながら、病院に通って彼らの世話もしなければなりませんでした。その時期は昼と夜の区別もつかないほど忙しく、非常に疲れていました。そんなある日、病院から帰ると、偶然にも夫が浮気していることに気づき、その相手は私たちの友人でした」
最初は事を収めようと思ったものの、半年後、その「友人」は堂々と淑雲さんに結婚生活の主導権を譲るよう要求し、夫もまた、かつての穏やかな性格を変え、次々に離婚条件を提示してきました。婚姻の裏切り、信頼の崩壊、さまざまな過去の憤りと新たな恨みが、淑雲さんを次々に襲いました。「私はとても苦しんでいて、すべて彼らのせいだと思いました。その時、私は訴状まで書き上げ、弁護士の友人も無料で訴訟を手伝うと言ってくれました。しかし、その決定的な瞬間、私は大法を思い出し、『転法輪』を開いたのです」
淑雲さんは、学法の中で心境が広大になっていったと当時のことを振り返りました。彼女は、「心からの本当の変化こそが、情や恨みから抜け出し、穏やかさと慈悲の心を生み出す唯一の方法だと気づきました」と言います。「私は本当に彼らを訴えようとしていましたが、大法が私に大きな力を与えてくださいました。長い間、心の中で固まっていた名誉や情を求める思いが、瞬間に解けたのです。私はまるで生まれ変わったように感じました」
淑雲さんの嫉妬心や恨みは、学法を通じて次第に消え去り、彼女は冷静に離婚を受け入れることができました。夫やその友人による裏切りに悩むことなく、むしろ嫉妬心や恨みを手放したことで、これまでにない平穏と落ち着きを感じるようになったのです。
婚姻の不幸に直面し、どのような心でその状況を乗り越えたのでしょうか? 淑雲さんは、大法が彼女に心の向上昇華と人生のどん底に直面する時の力を与えてくださったと言いました。
すべての人は大法のために来た
公職を退職した後、淑雲さんは公務機関の調停委員としての職務も兼任することになりました。彼女は広い心とやさしい心境で、調停を行う双方の緊迫した雰囲気に向き合い、修煉を通じて得たすばらしさと穏やかさを、人々にも伝えたいと願っていました。「私はよく彼らに、『誰が正しいか間違っているかではなく、ただ立場が違うだけです。物事の発生には、私たちが見えない因縁関係があるかもしれません。もし皆さんが今日、お互いに一歩引いて和解で終わらせれば、お金と労力を使う必要も、裁判所に行く必要もなくなります』と伝えます。調停の後には、特別な小さな贈り物をお渡しします」
多くの人々は彼女の話を聞いて、もはや対立することはなく、さらにその小さな贈り物が何であるかに興味を持つ人も多くいます。「調停が成功した後、私は彼らに最新の『明慧週報』を渡します。もし誰かが私に『法輪功を修煉していますか?』と尋ねてきたら、私は法輪大法についてさらに紹介します。彼らが私と縁のある人であり、この一人一人が大法のためにこの世に来ているのだと理解しています」
淑雲さんはこのように述べました。「『西遊記』には、『人身難得、中土難生、正法難遇。(人間の体を得るのは難しい、中国に生まれるのは難しい、そして本物の正法[道]を見つけるのも難しい)この三つを得ることは、最も幸運なことである』という言葉があります」。私は法輪大法を修煉することで、この三つをすべて得ることができました。だからこそ、私は自分が最も幸運で幸せな命であると分かっています。ですから、私が知っている人も、知らない人も、皆さんがこの貴重なチャンスを決して逃さないように心から願っています」