文/海外の大法弟子
【明慧日本2025年4月10日】キリスト教の教義において「堕天使」とは、天国から追放された天使のことを指します。通常、その理由は神への反逆によるものです。西洋文明において最も有名な「堕天使」はルシファーです。ルシファーは三分の一の天使たちを率いて神に反旗を翻し、神の権威に挑んだため、天国から追放され、地上に落とされました。それ以降、ルシファーは「サタン」と呼ばれ、三界の中の魔王となったのです。
ルシファーという名前は、ラテン語で「光をもたらす者」または「明けの明星」という意味を持ちます。聖書の記述によれば、神エホバは世界と天使を創造しました。その中でも、神の御座の前に仕える六つの翼を持つ熾天使(セラフィム)であるルシファーは、最も高貴な存在でした。彼はすべてを備え、美しさと知恵に満ちており、様々な貴重な宝石を身にまとい、まばゆい光を放っていました。日々、そして年々、彼は神に仕え、神界の管理を助け、神の栄光を讃えることに疑いを抱くことはありませんでした。
神は自分自身のかたちに似せて人間、アダムを創造しました。そして彼をエデンの園に置き、自由に暮らさせました。創造されるところから、エデンの園での堕落、そして神の計画と導きに従い、苦難の中で業を消し、徐々に回復していく一連の出来事、長い時間を経て、ついにある日、神は大天使ミカエルにアダムを神殿に連れて行かせ、天使たちを召集し、アダムを王として任命し、天使たちにアダムを礼拝し、尊敬し、敬うように命じました。
ミカエルをはじめとする天使たちは、神に対する崇高な信仰を抱き、命令に従って行動しました。しかし、ルシファーは内心の誇りと尊厳を捨てることを拒みました。ルシファーは、なぜ自分より後に作られた人間アダムに仕えなければならないのかと不満を感じ、神に反発しました。
ルシファーは頭を下げることを拒否し、彼に従う天使たちも次々にアダムを拝むことを拒みました。神は再び命令を下し、ルシファーが父(神)の命令を守るように望みました。この時、ルシファーはアダムに対する嫉妬を抑えきれなくなりました。彼は自分が常に神に忠実に従ってきたのに、なぜ神は自分に対して劣った存在を礼拝させようとするのか? 彼は拒み、疑念を抱き、そして内心の葛藤から生まれた憤りが、何千年もの間の神への畏敬を突き破り、暴風のように彼を襲いました。彼は自分には無限の力があり、他の神々からも崇拝されていると考え、完全に神に代わって天界の玉座に座ることができると信じました。そこで、彼は三分の一の天使を率いて反乱を起こし、翼を広げて神に戦いを挑む決意を固めました。神はミカエルに命じて天使たちを率いて戦いに挑ませました。
反乱を起こした天使たちはすぐに敗北し、天国から追放され、地獄へと投げ込まれました。『聖書・黙示録』では、「その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた」と記されています。また、『新約・ルカ福音書』では、イエスが「まるでいなずまのように、サタンが天から落ちるのをわたしは見ました」と記されています。
ルシファーの堕落は非常に深い教訓を含んでいます。ルシファーは最高位の天使、大天使として、その境地からは神がアダムに対してなぜあれほど崇高な地位を与えるのか理解できなかったのでしょう。誇りと嫉妬は彼に幻想を抱かせ、それが反逆へとつながり、最終的には天使としての栄光を失う結果となりました。大天使ミカエルは、神の計画を完全に理解できなかった可能性がありますが、彼をはじめとする大多数の天使は、神に対する無条件の信仰を抱き、神の意志に従い、結果として無事に試練を乗り越えました。
宇宙は無限で広大であり、無数の天体が存在し、生命も無限に広がっています。それぞれの生命は自分がいる次元でのみ真理を理解でき、さらに高い法理が存在するのかどうかは分かっていません。末後の今日、大法が伝えられ、大法の師父は各界の衆生により高い天機を示してくださいました。師父は経文『なぜ人類が存在するのか』の中で、次のようにおっしゃいました。「神々は創世主の指示で人間を造り」「創世主が神に人間を造らせた目的は、末後のときに宇宙と衆生、そして神々を救う時に使うためです」。つまり、神が人を創造したのは創世主の意志によるものであり、その根本的な目的は最終的に法を正す時期に使われるということです。
人類の創造の目的は、三界や通常の神々の理解を超えたものであり、その貴重さもまた一般の神々には理解できないものです。それならば、あるひとつの次元に存在する天国の天使たちが、そのすべてを理解することができるのでしょうか?
大法弟子は宇宙で最も幸運な生命であり、過去に宇宙の神仏が知らなかった多くの天理を知ることができました。しかし、大法弟子は迷いの中で修煉しており、師父から示された多くの法理をすべて理解することはできません。それに加えて、今日の人間社会は無神論や宇宙人から伝わった化学技術、現代の観念や行動に満ちています。中国で生まれ育った大法弟子は、党文化の影響を避けることはできません。そのため、変異した観念が大法弟子にも深く刻まれているのです。
これらの後天的に形成された観念は伝統、そして神性と直接的に対立しています。そのため、大法弟子が修煉の過程で観念の衝突に直面することは避けられません。もし人間の知識や観念を使って修煉中に出会う問題や師父が説いた法を判断するとすれば、堕落した天使が直面したような試練に遭遇することになります。人間の傲慢や偏見は、自己の思考や判断力があると思わせますが、その思考や判断が実際には無神論や現代科学を基盤にしていることを見落としています。人間の知識で、どうして自分よりも高い次元の神性を理解できるでしょうか?
確かに、これらの年月を通して、大法を歩み始めた人、また中国国内で非常に深刻な迫害を経験した人が、理解できない出来事に直面した際に反面に回る人々を見てきました。こうした人々の中で、業力や過去の歴史的な配置が悪い作用を果たしています。
修煉において、法理を学び、着実に修めることの重要性はとても高いのです。もし、表面的に修煉を行っていたり、法理を深く理解していなかったり、内面的な変化が伴わないままであれば、外界の変化や試練に直面したときに迷いや反発が生じる可能性が高いです。修煉者が自分自身をよく見つめ、心の中での清浄さを追求し、修煉の過程で法を実践し、心性を向上させることが、最も重要な部分です。
これまでの修煉の中で、本当に法を理解し、実際に修煉をしてきたかどうか、また人心や人の念、そして人の情を取り除くことができたかどうかが、修煉者が劫難を乗り越えられるかどうかを決定する鍵となるかもしれません。
修煉者は皆、業力があり、しかも迷いの中に深く陥っており、悟性にも限りがあるため、師父が説かれた法を完全に理解できないことも避けられません。では、理解できないときはどうすればよいのでしょうか?
答えは一つ、謙虚な心で、無条件に師父と法を信じ、師父が教えてくださった通りに着実に実行し、心性と境地を高め、悟性を高めることです。そうすれば、最終的な結果は必ず最も良いものになります。
反対に、傲慢、嫉妬、自分は正しいという思いがあると、それは私たちを仏性から遠ざけ、大法に同化できなくなり、最終的には反対の方向へ進んでしまうことになります。ルシファーの堕落は、その歴史的な教訓なのです。