文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月28日】インターネットやスマートフォンの使用に関して、私は何度も決心をして、きちんとやりたいと常に思ってきました。数日前、ノートと照らし合わせながら修煉中にうまくできていない点を確認していたところ「インターネットで常人の内容や、ショッピングサイトの閲覧」が、まさにそのまま命中し、心に大きな衝撃を受けました。自分に問いかけました。「本当に修煉している弟子が、どうしてこんな自分を許せるのか? なぜこの方面がうまくできないのか? なぜ長期間にわたって改善できないのか? この問題が長引いている根本的な原因はどこにあるのか?」
明慧ネットで「スマホ依存を断ち、初心の修煉状態を取り戻す」という、同修の交流文章を読み、非常に啓発を受け、非常に勉強になりました。明慧ネットと同修のシェアに感謝します。以下では、最近の修煉状況とあわせて、自分の認識と体験を語ります。
自分自身と同修の経験を見ても、ネット依存やスマホ問題は比較的普遍的で、しかも害が非常に大きいことが分かります。かつては生死をも乗り越える正念と、正しい行いを持っていた同修ですら、知らず知らずのうちに電子スクリーンの中の邪悪な魔に侵食され、引きずられていったという、痛ましい教訓があります。
自分の内に向けて探すと、私は師父がネットやスマートフォンに関して説かれた法の内容について、『轉法輪』の法のように親しみがなく、はっきりとした印象もなく、深く理解できていなかったと気づきました。法理が明確でないために、正念も強くありませんでした。本気で修煉し、しっかりと修めようと努力してこなかったのです。
師父はこう説かれています「この社会はすでに乱れてしまい、あらゆる悪いものがインターネットに渦巻き、あたかも魔のように回っています。どんなものもインターネットに載せられたら、巻き込まれてしまい、他のものと一緒になって社会、人心、道徳と伝統を撹乱し、人間の生活状態を変えているのです。玉石混交しています」。(『各地での説法十四』「二〇一六年ニューヨーク法会での説法」)
「これは宇宙人の技術で、魔はそれを利用して、あなたを誘惑しています。あなたが全て放棄して、それに夢中になるように仕向けられています。生命を無駄にしているのに、まだ未練があってやめようとしません! 人を為す角度から見ても、あなたはすでにおかしくなっているのに、修煉しているならなおさらです」(『各地での説法十四』「二〇一六年ニューヨーク法会での説法」)
「人間は目で何を見ても大丈夫で、見たくなければ見なければいいと言っています。違います。目に入ってしまえば、身体に入ってしまいます。いかなるものもほかの空間で身体に入ることができます。長く見れば見るほど、たくさん入ってきます。テレビ、パソコン、どのようなものでも見たら、入ってきます。頭と身体にこれらの良くないものが多く入ってしまえば、あなたの行動はそれに制御されてしまいます」(『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」)
私は、電子スクリーン上で人が「仮想」と思っているネット空間が、別の空間では実在する物質と生命であると悟りました。常人のウェブサイトは「名利色欲(名声・利益・色欲)」など、低次元空間の黒い物質やさまざまな魔・低級霊で溢れており、我々がまだ取り除いていない執着心を巧みに誘惑してきます。いたるところに存在するネットは、表面的には人々に便利さを提供しているように見えますが、その実態は、魔があらゆる手を使って人を誘惑し、堕落させているのです。人がネットを見ると、その情報は目を通じて脳と体に注ぎ込まれていきます。
ネットは、すでに社会の常態となっていますが、それは修煉者にとって、まさに複雑な修煉環境を形成しています。スマートフォンやインターネットをどう使うかは、大法弟子が真に修煉し、実修するうえで非常に重要な関門です。明慧ネット「スマホ依存を断ち、初心の修煉状態を取り戻す」に記されている方法は「断つ」ことです。
私は自分に対して明確な実行ルールを設け、それを座右銘として書き出し、常に自分を戒め、気づかせるようにし、厳格に守ることにしました。1,明慧ネットを見る。2,大法弟子が運営するサイトを見る際は、目的を明確にし、必要な任務だけを果たす。常人向けの内容は一切閲覧しない。3,常人のサイトにはアクセスしない。やむを得ず使う場合も、目的だけを達成してすぐに離れる。4,スマートフォンの使用は、必要最低限の操作のみ。終わったらすぐに手放す。
これまで自分がこの種の問題に陥った時を振り返ると、きっかけとなったのはたいてい「安逸」と「気の緩み」でした。安逸に流されたり、気を緩めた一念のすきに心性を保てなくなり、スマホやパソコンで常人のネットを開いてしまい、好奇心に動かされて主元神が機能せず、魔に敗れてしまうのです。
安逸、気の緩み、好奇心——これらは一見なんでもない人心の漏れに見えますが、実はとても危険です。修煉者を心性の基準から逸脱させるような要素は、目立たないほど主元神の警戒心を麻痺させやすく、より危険です。
最後の時期に近づけば近づくほど、私たちに対する心性の要求はますます高くなります。執着心を見つけたらすぐにつかみ取り、修めて取り除く、絶対に放任しない。もし人心の執着や念が現れたら、すぐに否定し「これは自分の主意識ではない」と認識し、それに動かされず、すぐに法を暗唱して清めるようにします。
かつて私は、動態ネットで国内の政治情勢や邪党の暗部、SNSの論評などをよく見ていました。邪党の崩壊を期待して「観察」していました。自分では「真相を伝える参考になる」と言い訳していましたが、結局そのような情報に心が引きずられて、執着が生じていました。師父はこうおっしゃっています「今朝のどんな事にも管(かか)わる別れ、圓満して家に帰れば、万事通」(『洪吟二』「道を得て明白」)このように一見正しいようで実は法理に反することが他にもたくさんあります。それらすべてを法に照らして実修しなければなりません。修煉者の心の状態が純粋であるほど、正念も強くなります。
以前は寝る前にスマホを見る習慣がありましたが、今はあらかじめダウンロードした明慧ラジオ放送を聞くようにして、悪い習慣を良いことに変えました。
明確な基準を自分に与えた後、翌朝の座禅でこんな体験がありました。入静したあと、「下界」という言葉が意識に現れました。悟ったのは、常人のウェブサイトにあるものはすべて下層世界の物質であり、それらの黒くて汚れた物質で自分を汚してはならないということ、また、下層空間の低劣(ていれつ:程度・品性などが低く劣っていること)で邪悪な生命を自分の空間場に入れてはならないということでした。その後、主意識が上空1万メートルの高みを浮遊し、下方の暗い世界を俯瞰(ふかん:高い所から見おろす)している感覚になり、「下界」とはどういう階層か、より直感的にはっきりと感じ取ることができました。大法弟子はすでに何年も修煉しており、高い次元の空間に身を置いているのですから、もう低次元のゴミを拾い集めるようなことをしてはならないのです。その後、主意識ははっきりと覚醒し、とても静かな状態になり、脳の他の部分はまるで眠っているかのように静まりかえっていました。師父に感謝いたします!
ここ数日、心が清らかになったように感じ、邪魔も少なくなりました。
次元が限られているため、不適切な点がありましたら、同修の皆様、どうか慈悲なるご指摘をお願いいたします。