『師の恩を思い返す』:やっと師父に会えた時の話
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明慧日本2007年11月16日)監獄から釈放され、修煉者のもとに戻った後、幸いにも『師の恩を思い返す』という本に出会いました。読みながら涙が止まりませんでした。どれほど師父のことを思ったことでしょう。特に監獄にいる時、苦難の真っただ中で、師父に対する思いは強くなるばかりでした。師父に会うことができ、同時に奇跡を目にした体験を修煉者と分かち合うために、この文を書きました。

 一、方澤軒へ行く

 私は1996年6月から法を学んでいる修煉者です。修煉する前までは多くの病を患いとても病弱でした。不健康が鬱をさらに悪化させ、医学では治療できない状態でした。ところが、煉功を始めて1週間で私の体は浄化され、あらゆる病から解き放たれたのです。心配ごとが消え世界観も変わりました。「法輪功はすばらしい! 師父はなんと慈悲深い方だろう」と心から叫び、もっと早く法輪功に出会わなかったことを遺憾に思いました。これまで何度も師父に会い、師父の講義を直接聞き、一連の講義に参加してきた修煉者のことを羨ましく思いました。師父の講義があるということに充分注意を払わなかったことを後悔しました。

 師父が私たちの施設に来て講義を行われたことがあると知った時、どれほどの悔恨を味わったか語り尽くせません。私は多くの機会を逃しました。そして師父が中国で講義をされなくなって1年以上になりました。師父に会える機会はあるのだろうか? これまで失ってきた機会を取り戻すため、師父の講義の録音テープを借り、コピーして、師父と同じ部屋にいるように思いながら、何度も何度も繰り返して聴きました。6カ所での異なる講義を聴きました。その後、許可があるテープのみ保管すべしという通知が回ってきましたので、他のテープは消去しました。

 その年の11月2日、日曜日、事務所近くの建物で学法をしていました。そこには電話が設置されていませんでした。午前10時に誰かが私を探しに来て、方澤軒へ行くように言われました。「方澤軒ってどこだ?」「何で行かなくちゃいけないんだ?」と尋ねても答えはありませんでした。道を聞き聞きやっと方澤軒に午前10時45分に着きました。そこでは国際法会が開かれており、最後の発言者が舞台で話をしていました。

 二、太陽に見えた「清涼の世界」

 午後、小グループに分かれ、体験を語り合いました。私は主に台湾からの修煉者からなるグループに入りました。多くの修煉者は始めたばかりでこの国際法会に参加できたと知り、とても喜ばしく思いました。

 午後2時の休憩で、太陽を見ている人がいましたので、私も太陽を見てみました。最初はまぶしかったのですが、すぐに変化がありました。太陽が「清涼」な世界に変わったのです。灰色がかった青色に輝いていたのです。太陽とその輝きの間に明るい輪があり、法輪のように回転していました。午後4時に太陽を見た時もまだ「清涼」でしたが、その時は紫色でした。

 三、ついに師父に会う

 食事中、扉を背にし、扉から一番離れたところに座っていました。前菜の後、何やら背後で音がしました。振り返ると何人もの修煉者が立ち上がり拍手していましたが、私には何も見えませんでした。隣に座っていた修煉者が、師父がお着きになったと教えてくれました。師父はアメリカから挨拶の手紙を送ってこられたのに、本当にいらっしゃったのだろうかとわが耳を疑いました。「食事が終わってから話しましょう」という馴染み深い師父の声が聞こえました。本当だ! 思わず涙が出ましたが、急いで食事を終え、机と椅子を整えました。これほど長い間待ちかねていた機会を逃してしまうのではないかと心配でした。北京からの修煉者は後ろに下がって、前方の10列を海外からの修煉者のために譲るよう法会の担当者が指示しました。私は少し後ろに下がり12列めに座りました。背が高くがっしりとした師父の姿が現れるやいなや、会場は拍手の渦に包まれました。師父は微笑まれました。その顔は慈悲の光で輝いていました。この瞬間は永遠に私の記憶に刻み込まれました。自分のことが皆にはっきり見えるよう、師父はテーブルの上の椅子に座られました。座り心地が悪いに違いないと思いましたが、師父はそこで1時間以上にわたって話されました。最初の話の部分で、師父は私の質問に答えてくださいました。なんと素晴らしいことでしょう! どうして弟子の考えていることが分かるのでしょうか?

 もう一つの話をしましょう。この年はとても寒い冬でした。ある日、手袋を着けないで戸外の煉功に参加しました。帰り道、私の手は本当に痛み、「師父、師父」と思わず叫んでしまいました。助けを求めたわけではありません。師父の方が母より身近に感じられたのです。すると、痛みがすぐに消えました。昼過ぎ、手を見たら爪の周りが紫色になっていました。あの時、師父が私の代わりに痛みを受けてくださったのだと分かり、深く感銘を受けました。本当の自分に戻る道を示してくださる師父の弟子であることはなんと幸運なことでしょう。弟子がうまく行わない時でも、その一瞬一瞬を守ってくださいます。

 師父が立ち去られる時、多くの修煉者は握手をしに前に進みました。私は立ち上がって動きませんでした。師父は宇宙で最高の仏であり、私は手を握るには及ばないと感じたのです。無辺の慈悲を持たれ、全ての弟子を同じように扱われます。師父に会った後、なぜ方澤軒に来たのかがわがりました。師父が全てを按排してくださったのです。私の感謝は言葉では言い尽くせません。私ができることは、この機縁を大切にし、最後まで堅実に修煉することです。

 8年の苦難の後、師父の無辺の慈悲をさらに強く感じます。暴風雨の中を常に堅実に歩けなかったことを遺憾に思います。特に4年の監獄生活の内の2年は、転んだり起きたりしていました。師父は心から弟子を大切にし、本当の自分に戻れる道を示してくださいます。海外で三つのことを堅実に行っている長女のように、師父の慈悲にあふれた済度に応えて、師父に落胆させないよう、私も三つのことをしっかりと行います。

 
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2007/10/1/163692.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2007/10/10/90360.html)     更新日:2012年1月12日
 
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