【明慧日本2012年1月18日】黒竜江省ハルビン市の香坊公安支局と六順派出所の24人の警官は、2011年12月31日朝5時頃、万能鍵を使って法輪功修煉者・祁亜茹さんの自宅に不法に侵入した。当時、祁さんは不在だったため、警官は祁さんの夫(法輪功を修煉していない)と息子の身柄を拘束し、さらに家宅捜査を行い、大量の私物を没収し、電話機まで没収した。派出所で祁さんの息子は警官らから拷問を受け、父が法輪功修煉者であると強引に言わされた。その後、警官らは肇東市五駅鎮に住む祁さんの姉の家へ行き、姉を訪ねていた祁さんと祁さんの娘・王世縁ちゃん(10)の身柄を拘束した。これは祁さんにとって、5回目の連行となった。
その日、警官らは現地の法輪功修煉者約30人の身柄を拘束した。その後まもなく、世縁ちゃんは釈放されたが、心に深い傷を負った。世縁ちゃんの93歳のお爺ちゃんも警官らの行為にショックを受け、起き上がれなくなった。現在、祁さんの家にはお爺ちゃんと世縁ちゃんだけが残されている。
祁さんは1998年5月から法輪功の修煉を始めた。修煉を始める前、祁さんはB型肝炎を患っていたが、法輪功の修煉を通して健康を回復した。祁さんの家庭では、夫が出稼ぎをして、祁さんは家で家事や子供2人と高齢の義理の父の世話をしていた。祁さん一家は幸せな日々を送っていた。
しかし、1999年7月20日以降、中共(中国共産党)当局が法輪功への弾圧を開始し、祁さんの家の平穏な生活は壊されてしまった。祁さんは連行、拘禁、労働教養所への収容、拷問などを繰り返され、祁さんの家族も警官らからの恐喝、嫌がらせ、家宅捜査などを受けた。
1999年7月22日朝7時過ぎ、祁さんは街で連行され、八区の体育館に拘禁された。夜11時ごろ、祁さんはサインを強いられた後、釈放された。
2000年の晦日、祁さんは天安門広場で警官に暴行され拘禁された後、ハルビン市北京駐在所に移送された。ハルビン市香坊区六順派出所の警官は祁さんの家に行き、祁さんを北京に迎えに行く電車代という名目で、1000元をゆすり取った。祁さんはハルビン市に移送され、ハルビン市第2留置場に約3カ月間拘禁された。警官らは祁さんを釈放する際、祁さんの家族から2000元をゆすり取った。
2000年6月、祁さんは再び連行され、同市の第2留置場に拘禁された。拘禁に抗議して、祁さんは断食を行ったが、警官らからコーンスープと塩水を混ぜた液体を、強制的に灌食された。20数日後、警官らは祁さんの家族から500元をゆすり取った後、祁さんを釈放した。
2003年4月10日午後2時頃、警官らは祁さんの自宅に侵入し、家宅捜査を行い、いくつかの私物を没収した後、祁さんを連行しようとしたが、祁さんが3カ月の娘を抱いていたため連行を免れた。
2005年3月6日、祁さんが息子とバス停で待っていたとき、警官3人によって身柄を拘束された。その後、警官らは祁さんを六順派出所に拘禁し、祁さんの家で家宅捜査を行った。祁さんの夫は数回派出所に行き、妻の釈放を求めたが、祁さんは釈放されず、労働教養3年を下された。2005年4月21日、祁さんはハルビン市万家労働教養所に移送された。
拷問の実演:吊るし上げる
労働教養所で、祁さんは小さい椅子に座らされ、法輪功を誹謗中傷するビデオと本を見せられる洗脳教育を受けた。祁さんはレンガで囲まれた30センチほどの小部屋に監禁され、両腕を背中に回して、しゃがんだ姿勢を強いられ、少しでも動くと、罵られたり、蹴られたりした。警官らは祁さんを背中から吊るし上げ、スタンガンで体の敏感なところに電気ショックを加えた。また、祁さんは「三書」と「共産党への入党申請書」を書くことを強いられたことがある。祁さんは労働教養所で3年間、様々な迫害を受けた。
2009年7月17日、六順街道弁事処(行政の末端機関)の主任2人は、祁さんの家を訪れ、祁さん本人がいなかったため、祁さんの夫と子供たちに「三書」を書かせた。夫と子供は書くことを拒否したが、主任の1人が自ら「三書」を書き、祁さんの夫にその「三書」へ祁さんの名前を書くよう強要したという。
12年来、祁さんの家族は苦しめられてきた。現在、祁さんが拘禁されているだけではなく、夫と息子も連座され、拘禁されている。