1999年7.20から、中共当局は法輪功への弾圧を開始した。劉さんは、自分自身が法輪功の修煉でたくさんの恩恵を受けたことや、中共が法輪功について虚言を宣伝していることを人々に伝えたため、中共当局の警官に身柄を拘束、拘禁された。
劉さんは1999年7.20から2000年末にかけて、6回にわたって北京に行き、法輪功の無実を訴えた。そのため、警官に連行され、スタンガンで頭、首、手足に電気ショックを加えられて吊るし上げられた。そして、警官に4300元をゆすり取られた。
2001年7月、劉さんは法輪功のチラシを配った際、警官に身柄を拘束された。その後、劉さんは派出所に拘禁され、鉄の椅子に縛られ、強制的に灌食をされた。
2002年の1年間、劉さんは4度も連行され、拘禁された。拘禁に対して抗議したため、劉さんは断食を行った。警官に両腕を背中に回されて手錠をかけられた。その激痛で劉さんは眠れなかった。
2003年2月21日、再び連行された劉さんは、警官に担がれ、足かせをつけられたまま、安丘市裁判所に入廷した。その10日後、劉さんの手元に懲役12 年の判決書が届き、警官は劉さんに判決書にサインを強いたが、劉さんは拒否した。警官は「お前がサインしなくても、判決書は有効だ」と言って、劉さんを山東省女子刑務所に送った。しかし、劉さんの血圧があまりにも高いため、刑務所側は劉さんの入所を拒否した。その後、劉さんは釈放された。
2008年3月1日午前、劉さんは自宅で警官に身柄を拘束され、安丘市留置場に拘禁された。その2カ月後、劉さんは山東省女子刑務所に移送された。刑務所で劉さんは、 睡眠を奪われ、トイレへ行くことも許されず(生理の日も含む)、されに殴打されて歩けなくり、這うことしかできなくなった。これら一連の迫害によって、劉さんは精神異常になってしまったという。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)