文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年3月15日】「街にネオンが灯り、酒にふける現代の世の中、迷いの魔が乱舞して淫乱ごとが横行する。魔性を放縦すれば神から遠ざかり、地獄に入れば二度と出る日は来ない」(『洪吟三』「無制限の淵」)私はこの詩を読むたび、変異した現代社会の恐ろしさを感じます。情欲に耽り、喜んだり悩んだりすることは、哀れで無駄なことだと思います。
自分はまだ中学生で、このようなことには関係ないと思っていたのですが、しかし、末法の時期に色魔は至るところに溢れており、このような現象は中学生の間でも深刻になっています。自分も時々困惑を感じ、現実を変えたいのですが、難しいです。しかしなんと言っても自分は大法弟子ですから、世間の人とは違うと思っていますが、知らずしらずのうちにこの問題が私を妨害しにきました。
私の性格は内気で、人と会話することも少ないのです。師父は説法の中で、何度も色欲の問題の厳重性に言及されたので、この問題に対して反感を持ち、この問題を避けて話もしませんでした。それでも、邪悪は如何なる漏れをも利用して妨害を働きます。
今、社会のなかで男女は自尊心を失い、学生もかなり開放的です。私と近い席に座っている同級生は勉強がよくできますが、教室では勉強しないで、家に帰って勉強する人です。一時期、彼は授業中によく私の髪を弄んでいました。私の髪は長いので、彼はいつも後ろで遊んでいました。最初は自分もあまり気にしなかったのですが、しかし、だんだん多くの同級生が背後で噂を始め、私もやっとおかしいと気づき、大法弟子は他人に非難される対象になってはいけないと思い、彼の行動を諌めると、彼は私の気が小さいと言いました。
私は悟りました。大法弟子は寛容で正々堂々としているべきで、これらのことに油断してはいけません。邪悪は彼を利用して私を妨害し、大法弟子のイメージを破壊しているので、決して許してはいけません。男女の学生の間でも友情を育てることはいいのですが、度を過ぎてはならず、心がいったん動じたら邪悪は利用してしまいます。その後、先生は彼の席を私の前に変えました。
大法弟子は師に手伝って法を正し、衆生を救い済度するために存在しているので、必ず自分を厳しく律しなければなりません。私たちが歩む道は未来の人の参照になるので、この面の修煉で遠回りをしたら、得ることより失う事のほうが多いのです。常人は情によって、互いが結ばれているのですが、大法弟子は人為的に自分の修煉において難を増やしてはならず、情欲の中に陥り、抜け出せないようではいけません。一時の快楽のために自分の誓いを忘れ、千年万年の機縁を逃してはなりません。忘れてならないのは、法を正す時期の大法弟子になるには、何回も何回もの輪廻を経て、たくさんの苦労を払ってから大法弟子になることができたわけですから、決して色欲などの執着で使命を辱めてはなりません。
私のクラスは人数が多いので、席の前後の間隔はくっついています。前の同級生はよくストレッチをして、体を後ろへ倒し、いつも私の本や私の頭とぶつかってしまいます。ある日、頭を下げて宿題をやっていると、彼の頭が後ろに倒れて、ちょうど私の頭の上に乗ってしまいました。腹が立って、本で彼を叩こうと思いましたが、すぐに抑えて正念を発しました。先生が何も言わないことにも内心少し不満でしたが、考えてみれば、常人が神を助けられるわけがありません。常人にはできません。すぐに師父に加持していただき、徹底的に邪悪の変異した按排を否定しました。衆生を利用して大法弟子を試練してはなりません。
クラスでは一時期、腕相撲が盛んで、男女の生徒間でもやっていましたが、これは単純なゲームではありません。なぜなら、彼らの内心では既に、純粋な本性が失われているからです。ある日、本を読んでいるとき、突然前にいる同級生が、どうしても私としたいと言いだしました。当然、私はやらないと言いましたが、暫く対峙して、私の心は少し動じましたが、すぐに心の中で「私は大法弟子であり、絶対に常人の言いなりになってはならず、流されてはいけません。私に触るな!」と言うと、彼はすぐに手を引っ込ませ、顔を真っ赤にして、ぎこちない表情になりました。自分は申し訳ないと思い、少し心が動じましたが、すぐに自分を制御して、邪悪に働く隙を与えてはならない、一念も緩んではならないと考え直しました。
この事を通して、大法弟子の修煉はいかに難しいか、どんなに厳粛であるかを認識しました。少しでも緩めてはいけません。常人から見ると、これは思春期の心理状態と思うかもしれませんが、大法弟子は自分に対して厳格に要求しなければなりません。多くの現象は道徳が低下しているため、常人は正常だと思っていますが、法の基準で測ると間違っています。大法弟子は常人の中で修煉するとき、決して自分を緩め、常人に混じり込んではなりません。昔からの教訓で言えば、男女の間では、自分から相手に物をあげたりすることすらしません。現在、社会は逆になり、伝統文化を破壊し人倫と道徳を破壊しました。
一部の大法の子供弟子は、インターネットや変異した人類社会の誘惑に妨害され、変異した多くの観念を形成しました。親である同修も困惑を感じ、何とかしようとしますが、力不足で難しいと感じています。問題は、本人がこの機縁を大切にすることができるか否かにあります。個人の考えでは、大法弟子の家庭に生まれる子供はきっと大きな縁があるので、親である同修は、子供の同修をよく育てる責任があります。本当にどうしようもない人もいますが、いかなる妨害も真に帰するという正念を阻むことはできません。真に補いたければ、師父の助けを求める必要があり、あまり執着しすぎず、放棄もせず、多く正念を発し、同時に強い意志を持つことです。多くの観念と行いは長期に蓄積された物質により形成されたので、強い意思を持って緩まず堅持し、固い正念を持って、前へ進まなければなりません。
個人の悟りで、不適当なところは慈悲なる指摘をお願いします。