明慧法会|親戚と近所の皆が感動した(一)
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文/河北省の大法弟子 宇新

 偉大なる師父 こんにちは! 同修の皆さん こんにちは!

 大変幸運な事に法に出会えて正法時期の大法弟子になりました。師法と共に生きられることは私にとって生涯最大の栄光と誇りです。修煉を始めて以来、十数年間の浮沈みの中で師父はずっとそばで私の帰路を導いてくださいました。無数の‘躓き’まで包容してくださった恩師の偉大さ、大法の偉大さを痛感しております。一歩ずつ邁進する中に師父の慈悲が浸透しています。この法会の場をお借りして師恩に感謝申し上げます。今まで挫折が多くありましたが、これからは一つだけの揺ぎ無い信念を抱いて生きていこうと思っています。「師父の手を離さず、師父の言い付けを銘記すし、師父に安排された帰路をしっかり歩む」平凡中で経験した事は広大なる師恩にしてみれば氷山の一角に過ぎませんが、それでも書いてみることにしました。

 一、小さな花でも彩りの光を放つよう師父が育ててくださる

 私の修煉と法を実証する道は既に師父に按排されました。時には大法のレベルまで悟れずなかなか歩み出せないこともありました。師父はかねてから大陸資料点を花咲かせようとおっしゃってきました。2005年の始めに我が家もパソコンを購入しました。私はある程度の教育を受けていましたが、恐れる心が妨害して常人の観念を持って物事を見てい為、内心でパソコン難しさを恐れる先入観がありました。パソコン分野は自分と無縁で若者の領域だと思い込んでいました。パソコンは変異した人類の物だと偏見を持ったまま近くに資料点があれば十分だと思い、パソコンを勉強する必要性を感じませんでした。学法同修達との交流を通じてその考えは全て常人の執着心だと分かりました。私達大法弟子は許される限り、私たち明慧ネットを閲覧すべきだと分かってきたにも関わらず、しかし私出来るだろうか と疑いを抱き始めました。

 ある時、孫は、アニメ見たいのでパソコンを立ち上げるやり方と検索方法を覚えるようと言いました。確かに以前に一人の同修から中学生ぐらいの子でも「自由門」ソフトのインストールができると聞いたことがあります。そこで大法弟子は絶対に自分達のウェブサイトが見られるようにしなければならないと決意しました。それから娘夫婦や、姪や、インターネットに接続した同修などにやり方について聞いてみました。パソコンには全くの素人なのでどこから聞いたら良いかも分からず、説明されても理解できませんでした。当時は技術専門の同修が少なくなかなか連絡が取れず、やはり師父に頼む事にしました。とりあえず真相DVDをパソコンに挿入してみました。ところどこをクリックすれば良いかが全く分からず、そのまま三時間が経ってもう汗だくでした。やっとの思いでハードデスクを開、既に十数個の小鳩(「自由門」ソフトのアイコン)が入っていました。一体どれ本物なのかと、私はまた戸惑いを覚えました(実はどれでも使えるものでしたが、当時の私は分からなかった)。そこで「師父! 間違えて削除しないように一つだけの正解を残してください」と再び師父に頼むことにしました。しかし削除の仕方も分かりませんでした。その内いつの間にか手が無意識に右クリックをしてしまって残りが最後の一つとなるまで削除していました。ちょうどその時「ゴミ箱がいっぱいになった為、このファイルは削除できない(確かにそのような意味)」とういメッセージが画面に表示されました。間一髪最後のアイコンをクリックして「自由門」が開きました。慈悲なる師父が山中で世間を静観される写真を見て心中でホッとした嬉しさでいっぱいでした。まるで久しぶりに慣れ親しんでいた家に帰っているようでした。

 それから毎日明慧ネットで師父にお会いし、掲載文章を読むようにしていました。暫く続けていたら突然「自由門」が開けなくなりました。同修に確認してみると、ソフト既に何度もバージョンアップされていてまだ開けだけでも奇跡だと言われました。そこである程度のパソコン基礎知識と自動バージョンアップ、ダウンロード方法を技術の同修に教わりました。当時は主人に理解してもらえないと恐れて真相資料を印刷しないようにしていました。毎日パソコンで名簿通りに「三退」の手続きを行っていました。段々短い文章を入力し、「三退」の手続きは同修の分まで名簿を入力するようになりました。もう少し慣れてくると法会の文章と真相レターも書くようになりました。最初はゆっくりしたペースで書いていましたが、師父のご加持のお陰様で少しずつスピードも上がってきました。暫くしたら安全性を配慮して中古ノートパソコンを購入して自分専用システムをインストールしておきました。

 今年年始に資料点の同修が連行されました。同修のご主人も危うく連行されそうになりました。私ご主人(同修)を尋ねて一緒に内に向けて探しました。交流している中で私からの意見ご主人聴き入れてくれました。その後暫くして「また何かお役に立つことがあるかもしない」と思って再び尋ねて行こうと思ったところ、一人の同修から「以前きちんと法を学べておらず壁にぶつかっても悟りませんまた、行動を起こす気持ちが強すぎるので内に向けて探すことを無視しているようだよ」と聞きました。また、もう一人の同修から「歩けなくなった程邪悪に迫害されていて、たくさんの同修が一緒に‘心’を探そうと反省のお手伝いに来ていたが、かえって同修が心を静めて学法する暇がないぐらいに邪魔されている。実は同修自身は既に原因の所在が見つかったようだ」という話を聞きました。その話はまさに偉大かつ慈悲な師父が私に教示してくださっているようでした。私は内に向けて自分を探さなければならない時がやって来たと分かりました。皆は「待つ 頼る 求める」というように自己責任がなかった為、資料点の連行された同修を非常に多忙にさせてしまいました。技術の分かる男性同修も呼ばれたら必ず文句なしに最速に駆けつけてくれていました。彼らは心を静めて法を学び、煉功する時間がほとんどなく大変苦労していました。もし私達皆「待たない 頼らない 自らやる」ことができるようになり資料点の同修に法を勉強する余裕あれば、どうしてもすぐに行動を起さなければならないという強い執着心もないはずです(もちろん私達自身にも強い執着心がありました)。「至るところで資料点を花咲かせよう」とずっと前から師父の要求がありました。どうして自ら身をもって一歩前へ進む事ができなかったでしょうか? 「待つ 頼る 安逸心 恐れる心」などは自己保護の強い執着心ではないでしょうか。

 数年前に掲載された明慧ネットの文章を思い出しました。ある地域で邪悪が家宅捜査して資料点を見つけるという話を聞いて、村を挙げて同修全員がパソコンを購入しました。邪悪の迫害そのまま解体されました。資料点の同修のプレッシャーを少しでも軽減しようと思って自宅にもプリンターを購入して資料作りを始めました。私たちの同修チームは真相レターを書くのが得意なので私も真相レターを書いたり明慧ネットの真相レターをプリントアウトしたりしていました。チーム用の資料以外に私は毎週自分で作った小冊子、週報、地方真相、真相シールなどを自ら配布するようにしていました。そうすることによって資料点への迫害を抑制することにおいて、大いに役立ちました。同時に「恐れる心 頼る心 安逸心」を取り除く事もできました。家族まで法に正されました

 修煉を始めた頃主人は猛反対でした。私が邪悪に拘留所、強制労働収容所に連行され主人までひどい目に合わされました。主人は理解できず度々妨害が生じていました。近年は自分自身を修めることの重要性分かるようになりました。法の中で私正されてゆき、主人も変わりました。プリンターを購入する際主人は反対するどころか、値段が高くても喜んで皆に自慢していました。また大法の物が収納できるよう箪笥を空けておいてくれ、更に私資料時は食事、掃除、洗濯、孫のお迎えなどの家事を手伝ってくれるようになりました。ある日私は資料の印刷をしていました。主人はドアの鍵をかけて孫を外へ連れ出しました。戻ってきた時に「ノックしないで私達が鍵でドアを開ければ、家族の帰宅だとおばあちゃんが分かるから」と気遣いの言葉聞こえました。時には主人が資料配り、真相シールの貼り付けなども手伝ってくれます。パソコンとプリンターも真相をよく分かっているかのように私に協力してくれて、お利口な二人の子供みたいでした。

 歩んできた道はとても自然かつ平坦で、そのすべてにおいて師父が一歩ずつ導いてくださいました。ただ、この小花は咲き遅れた上大きさも小さかったです。花が小さくても全体の一員として全体を充実させて飾りつけの役目を懸命に果そうとしています。法に溶け込んでいけば異なる彩放ちます。オレンジ、黄色、紫、緑、無論どんな色でも相互に調和し全体更なる輝く光芒を放つよう役目を果しています。

 (続く)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/13/248935.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/11/26/129707.html)     更新日:2012年5月3日
 
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