文/吉林省の大法弟子
【明慧日本2012年5月16日】
五、同修に指摘される中で自分を修める
修煉を始める前、私は負けず嫌いで、反対意見にいつも反発していました。少しでもミスを犯したら、夜は眠れず、食事は喉を通らない程気にしていました。普段は出しゃばりで虚栄心と顕示心が強い性格で、職場では、仕事能力が高いなどの、自分を喜ばせるような言葉を聞きなれていました。修煉を始めて以来、学法と実践が結びついていなかった為、真に修める事を知りませんでした。事を行うことが修煉だと思い込んでいました。「こなす」は「学ぶ」と脱線し、法をもって実修を指導することは出来ませんでした。一所懸命に頑張ってやったつもりの時、同修に足りないところについて指摘されると心のバランスが崩れてしまい、同修に対して憤懣たる気持ちになり、不満を抱いてしまいました。
学法を強化するにつれて、特に法を暗記するようになってから、段々と「法を学んでいるけれども法が得られていない」と悟りました。行動を起こしているにも関わらず、心を修めていなければそれは常人と変わらなく、師父に対してもこの上なく失礼な事になります。『二〇〇六年カナダ法会での説法』を拝読して目が醒めました。師父の教えはまさに、私の事を指しているようでした。私は自分と関係するような大切な箇所を暗記するようにしました。それ以来、師父は私の常人の執着心を取り除いてくださいました。同修からの指摘が素直に聞けるようになるまでは、実に修煉の過程でした。
ある日、同修と一緒に田舎の同修に資料を届けに行きました。ついでに発正念をしようと考えて、車の中で自分の見解を話しました。「他人に何か言われて、すぐに動揺しては駄目です。それは主意識がしっかりしていないということです」と同修に言われました。その場では黙っていましたが、内心では納得がいかず、気分が悪かったです。しかしそれは、反対意見を聞き入れられない常人の心の悪い働きだとすぐに気づきました。指摘されて辛いと思うのはその「心」で、本来の私ではないと思いながら、師父の法を暗唱して、その言われたくない「心」を取り除きました。耳に痛い言葉を聞き入れられないのは一種の執着心で、喜ばせられるような言葉を聞きたいのは出しゃばり、歓喜心、顕示心、自己主張の意識を助長すると分かりました。内に向けて探す事によって、自分は実に影響を受けやすく、ほとんどの場合は主意識がしっかりしていないと気づき、優柔不断のせいで「三つの事」が妨害されると同修に指摘された通りでした。師父が同修の口を借りて私を目覚ましてくださいました。心より感謝いたします。また同修の正直さにも感謝いたします。
また、ある日のグループ学法の時でした。始まる前に私は、最近の出来事について内に向けて探すという話をしました。話の途中で「あくまでもあなたの個人修煉の状態にすぎません。自我を放下すべきです。全体に円融し師父に円融するのです」とある同修に言われました。その同修は最後まで話を聞けなかったので、私の言いたい事がちゃんと伝わらなかったようだと、その場では黙っていました。しかし学法を終えて帰宅後に「全体の利益を無視して本当に自我に執着しているかどうか? 師父の話をちゃんと聞けないことがあったかどうか?」について、いざ内に向けて探してみると、自分でもびっくりするほどたくさん見つかりました。今年はよくその同修と一緒に田舎の同修と交流に出かけていました。地域には37の村があって、同修の人数はそれ程多くありません。実際に表に出て活動できる同修はもっと少ないので、なかなか全体を形成できない現状を知り、二人がきちんと「三つの事」を行い、必ず正法の進みについていけるようお互いに励まし合いました。その日話した後に、同修のパソコンのメンテナンスもついでに行いました。法を師とし、修煉者の状態を保持しながら同修と法理上で交流するようにいつも心がけていましたが、同修の状態をみて気が焦っていたせいか、言葉遣いが荒くて大言壮語で自分の悟った法理を同修に押し付けていました。同修のパソコントラブルを解消する時の独りよがりの感情は、顕示心が丸出しでした。実は、自分が持っているちっぽけな専門知識は、全て師父による授かり物で、法のために使うのは当たり前の事です。きちんとやっていなければ、自分の使命を果たせていないことになります。まだ体内に潜んでいる顕示心が悪い働きをしていると分かりました。常にそばで執着心を指摘してくれる素晴らしい同修を按排してくださった師父に、心より感謝いたします。師父よ! 弟子の執着が多くて大変ご心配をおかけしました。
自我に執着せず放下できていれば、法で心を充満させていれば、賛成の意見に嬉しく感じ、耳に痛い言葉を聞き入れられないという執着心をきっと取り除けると悟りました。無論、賞賛、優しい言葉、悪口、凶悪な言葉、意図的に聞いた言葉、何となく耳に挟んだ言葉、その全ての言葉を常に心性と照らし合わせていれば、そこで自分の気づかない問題を発見するようになります。ずっとそのままの状態で修めていけば、心性も自然に上がるでしょう。本当に同修に指摘された言葉を大切にしなければなりません。
六、恐れる心を取り除く中で自分を修める
修煉して以来、私を最も妨害している最大の執着心は、恐れる心だと気づきました。恐れる心が現れてくると、妙な恐怖感も伴います。頭は真っ白で足からは力が抜け、心臓が飛び出しそうになって、自己コントロールができなくなります。物事を行う前にまず、危機を感じたように良くない考えが脳裏をよぎります。恐れる心は私の修煉において最終的に突破しなければならない最大の難関だと分かっていました。
初めての資料配布の時でした。私は3部の資料を持って出かけましたが、自転車に乗って街の半分を回ったところ、あちらこちらからじっと見られているような感じがして、怖くて全身汗びっしょりになりました。結局2部しか配っておらず、「このままの状態なら、無理のない程度でやれるところまででいいよ」と自分に言い聞かせて、半分は諦めました。
法への理解が深まるにつれて、特に法を暗記するようになってから、修煉の道は自分の安排によるものではないと明らかになりました。師父の教えに従い、師父の按排による道を歩むなら、自我を放下しなければならならないと分かりました。真っ直ぐ歩み、しかも師父に言われた事をきちんと守った上で進まなければなりません。悟った自分が法に溶け込むようにして、絶対に恐れる心を乗り越えると決意しました。私は積極的に『九評』と神韻DVDなどの資料配布に参加していました。実行する中で、恐れる心を取り除く機会を師父が按排してくださいました。例えば通報や密告されると思う心、パトカーを恐れる心、犬と虫を恐れる心、苦労と疲れを恐れる心などなど、しっかりと内に向けて探すことをを通じて、確かにたくさんの恐れる心を取り除くことができました。正々堂々「三つの事」を行えるようになるまでは、苦労に満ちた修煉の道でした。あらゆるところに師父のご加護と大法の威力がありました。
2011年6月、地元の邪悪が洗脳班を設置しました。私も攻撃される対象となりました。邪悪の思う通りにはなりませんでしたが、私の恐れる心が再び動揺し始めました。脳内の不正な考えが凄まじい勢いで出てきていました。学法と発正念を強化してみたもののコントロールが効かず、不正な念によって心が乱れてしまいました。心を静め、内に向けて探し、恐れる心の根本が何だったかと探してみました。私は子供の頃、体が弱く、内気で恥かしがりやでした。物心付いた頃から三つ上の二番目の姉にずっといじめられていました。下校後は家に帰るのが怖くて、彼女を直視することすらできませんでした。その威圧の中で自信をなくして、考える事は多いけれども行動に移せない気難しい性格が形成されました。長年にわたって、恐怖の雰囲気の中で思想業力が形成されたとよく分かりました。旧勢力はその思想業を利用して私に修煉させないよう妨害してくるので、大きな悪い影響を与えられていました。私の学法、発正念、煉功の時に妨害が現れてくるので、あちらこちらでくだらない事を考えさせられて、心を静められませんでした。法の事をやろうとすると良くない考えが頭から飛び出してきて、私を威圧してきます。ずっとそれは旧勢力による迫害だと意識できず、酷い思想業力だという程度にしか思えませんでした。今回師父が良くない物を表面に浮上させてくださり、私を悟らせてくださいました。旧勢力は私の過去の経歴を利用して、恐れる心を用いて修煉を阻害しようと企んでいました。下へ引っ張っていき、私を駄目にしようと思っていました。
『二〇〇四年シカゴ法会での説法』において、「旧勢力が按配したこの全てを私たちは認めておらず、師父である私も認めていません。大法弟子も当然認めていません」と師父は説かれました。旧勢力を否定するのは口先ではなく行動に移さなければならず、自我を放下しなければならないと悟りました。師父に按排された道しか歩むことが許されないので、師父に要求されている事をきちんと守り、全体に円融します。田舎で面と向かって真相を伝え、神韻DVDを配布すると決めた時に、師父は再び私を励ましてくださいました。『転法輪』の「煉功するその人が功を得る」を学ぶ時、私の身に神奇な状態が起きました。頭の中は空っぽのようで、強烈なエネルギーに包まれてこの次元に存在していない居心地でした。その心底から伝わってきた震撼は、言葉では表しきれません。「呂洞賓は、たとえ動物は済度しても人間は済度しない、と言ったことがあります」(『転法輪』)を読んだ時、生命の本源、根底から師父の慈悲を深く感じました。真相が分からない迷いの中に入り込んでいる衆生を救う為に、計り知れない程の代価と苦労を払われた師父を思うと、言葉では言い表せない震撼、恩情が沸いてきます。「煉功するその人が功を得る」を読み終わるまでずっと、涙が止まりませんでした。それから師父が私の恐れる心を取り除いてくださったと感じました。心がだんだん落ち着き、正念も強くなりました。ここまで書いた今は既に、満面の涙でした。師父の偉大なる慈悲に感謝いたします!
まだまだ取り除かなければならない執着心がたくさん残っており、まだ師が法を正すことへの手伝いが足りませんが、今までの倍以上に努力していきたいと思います。学法と師父に言われた事を更に精進していきたいと思います。師父にご心配をお掛けしないように、一日も早く師父について本当の故郷に帰ります。師父が数回にわたって私を救ってくださり、危険な状態から無事に転換してくださいました。改めて弟子より御礼申し上げます。師恩に感謝いたします!
(完)
(明慧ネット第七回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)