恨みを放下して、家族を救い済度する(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012625日】私は農村出身で、高官の夫のもとに嫁いできました。家柄などは全く不釣り合いでした。私はかつて自分の結婚を非常に後悔しましたが、修煉してからは、全てに按排があることが分かり、これは私が歩むべき道だと納得しました。

 姑はとても気が強い人でした。彼女は自ら「私の私を怖がり、息子の嫁私を怖がり、夫も孫も私を怖がっている」と話していました。私の内向的で素直な性格、実家との家柄の格差、私の意気地のなさ、気の強い姑、これらのことから私の結婚生活は想像ができるでしょう。姑は私のことを見下し、嫌がらせをし、よく私と夫の間にさまざまなトラブルを起こしました。最初、私は黙々として耐え、私のことで親子の仲が悪くなってはならないと思いました。しかし、修煉していない常人の忍耐力には限界があり、時間が長くなるにつれ、姑に対する恨みで、私は夫の前ですぐに鬱憤を晴らし、大騒ぎをし、後に離婚話まで持ち出しました。数年にわたって、私は姑をずっと恨み続けました。

 夫の2人の兄弟の妻は、1人は察しが良くて姑の機嫌を取り、姑のお気に入りでした。もう1人は姑より気が強くて、姑すら怖がっていました。私は長男の妻ですが、家では何の地位もありませんでした。彼女らは常に姑の前で私を貶し、嘲笑しました。彼女らから見れば私は愚かで、とるに足りない人間であり、私が修煉してからは、さらに馬鹿にしました。私は口下手で、心の中ではいつも反撃したかったのですが言い返すことができず、いつも怒ったり、恨んだりしていました。今では、この方面が不得手であったことを非常に幸いに思っています。さもなければ、どれほどの業力を作ってしまったか分かりません。

 大法の修煉を始めてから、私は徳を守り、自分の恨む心を抑制しようと努力しました。夫の家族の一人ひとりに対して優しく、夫の兄弟の子供たちにも自分の子供のように対応しました。子供たちはいつも言います。「あなたたちが私のお父さん、お母さんであればいいのに」。利益の面でも彼らと争わず、生活の中でも自分ができるだけ多く払うように心がけています。祝日や休日の家族の会食も毎回、私たちの家で接待します。舅が退職してからは、私たちが舅の生活の面倒をみています。姑が病気で入院した時、私は心を込めて介護し、何の恨む心もなく、ただ病で苦しんでいる姑を気の毒に思うだけでした。

 『九評』が発表されてから、私は単独で真相を伝えようと思いました。まず話しやすい親戚から始め、全ての夫の親戚が次々に三退しました。姑は『転法輪』を一通り読み上げ、たまには煉功もしています。彼女が煉功して間もなくのある日、興奮しながら私に告げました。「私が座禅をしていた時、部屋の中にハスの花の灯籠がたくさん現れて、それはそれはきれいでした」またある日、「大きな二つの目玉を見て驚いた」と話しました。私は「これは師父がお母さんを励ましてくださっているので、しっかり修煉しましょう」と言いました。

 残念なことに姑は悟性が良くなく、酒、タバコを止めることができず、薬も同様で、服用しています。彼女は心の底から大法を認め、以前の師父と大法に対する不敬な態度も変わりました。姑にはきっと美しい未来があるに違いありません。

 今、嫁ぎ先の人はみな私に対しての見方を変えました。姑は面子を重んじて、直接私のことを褒めたことはありませんが、しかし、とても感慨深そうに「年を取ってから気づいたがやっぱり長男夫婦に頼らなければなりません」と人に話していました。現在姑は、私が何を言っても同意し、その通りだと言います。2人の兄弟の妻たちも夫の弟も私のことを尊敬し、夫の弟はかつて友達に「私の家では兄嫁が一番よい人です」と話していました。夫も誇らしそうに友達に、「私が事業に成功したのは奥さんが良かったからです」と話しています。現在私は、家の中でいるべき位置にいます。

 もし16年前、私が修煉していなかったら、多くの一般の人と同じように、家族と争ったり、戦ったりして、今日のような平安な日々はなく、家庭の温もりも感じることはなかったでしょう。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/6/16/257933.html)     更新日:2012年6月26日
 
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