福建省:泉州市の法輪功修煉者 迫害され死亡
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 【明慧日本2012年6月30日】福建省泉州市徳化県に在住の法輪功修煉者・林文輝さんは、長期にわたって中共(中国共産党)当局に迫害され続けてきた。北京オリンピック直前に内モンゴルまで不当連行され、現地の労働教養所で2年間、残忍な迫害を受け続けた。刑期を終えて自宅に戻った林さんは、再び労働教養所に不当連行されたが、病院の診断により肝腹水が見つかり「重病のための服役中の一時出所」期間中の2012年3月10日、林さんは無念な思いを晴らせないまま死亡した。

 1999年、中共当局による法輪功への迫害が始まった際に、林さんは福建省の6大重要人物の1人としてブラックリストに載せられた。林さんは、迫害が始まると同時に不当に拘禁された。長い間、世間と隔離された山奥に閉じ込められ、外部との接触は一切許されず、四六時中見張られていた。2008年になってようやく自由の身となった。

 その後、林さんは北京で小さな商売を始めたが、オリンピックの会期が近づくと福建省公安局は「オリンピック安保」を理由に、北京にいる林さんを福建省に連れ戻そうとした。それに抵抗した林さんを、北京市豊台刑務所に不当拘禁した。2年後、内モンゴル興安盟(シアンモン)図牧吉労動教養所に移送した。

 2009年2月26日、図牧吉労動教養所で法輪功修煉者たちは不当拘禁に抗議した。午後、第二大隊中幹事(責任者)の陳強は法輪功修煉者・宋志宇さんを事務室まで呼び出し、入ってきた宋さんの顔面に紙を投げ付けた。その上、宋さんの顔面に平手打ちを食らわした。宋さんを法輪功修煉者のリーダーだと決め付け「いつでも暴力的迫害を加える」と脅した。その時、第二大隊の中隊長・黄自剛が数回、宋さんの胸に拳打ちをして、「もし、労働教養所で残業したくなければ、また殴りつけてやる」と言い放った。27日午前、工場でカーペットを編んでいた宋さんは、陳強の事務室まで連れて行かれた。陳強は殴打と恐喝を加えた後、屈服しない宋さんに腹が立ち、宋さんの両手を上下に背中に回した姿勢で手錠をかけ、昼食もとらせずに4階の大ホールにある暖房用のパイプに掛けた。

酷刑演示:大背铐

拷問の実演:両手を背中に回して手錠をかけられる

 27日午後、法輪功修煉者・林文輝さん、王占青さんなど9人の法輪功修煉者は、宋志宇さんが拷問を受けていることを知り、宋さんとの面会を求めた。当時、事務室にいた隊長らの不正な回答に、法輪功修煉者たちは「午後の作業に出ない」と抗議した。それから、それらの牢番警官、隊長らはスタンガン、ゴム棒などの警具を持って法輪功修煉者たちに暴力を振るい始めた。しばらくすると看守も加わり、法輪功修煉者たちは大ホールまで追いやられた。

酷刑演示:电棍电击

拷問の実演(スタンガンによる電気ショック)

 凶悪な警官らは、駆け回りながら修煉者たちを乱暴に殴打し、気が狂ったかのようにスタンガンで暴力を加えた。終わった後に林文輝さん、王占青さんなど6人の法輪功修煉者を一階の便所に閉じ込めた。その後、2人を身動きのできない狭い独房に監禁した。そのうえ、図牧吉の2月は一面雪に覆われていてとても寒い。その厳寒の中で責任者・陳強は、法輪功修煉者たちに服を脱がせ、下着一枚にした。便所の中で2人の法輪功修煉者を一つの手錠で繋いだ。暖房は入っていたものの稼動したり止まったりしていた。下に敷く物もなければ上に掛ける物もない。数日間続いた後、法輪功修煉者・王占青さん、李建青さん、呉南傑さんは凶悪な陳強に、ドアの鉄格子に吊るされる残酷な迫害を加えられた。他の多くの受刑者はその場面を見て静かに涙を流していた。便所に閉じ込められた法輪功修煉者は横になることも許されなかった。隊長の当番の日には法輪功修煉者を壁に向かって立たせ、服従しない者、あるいは動いた者に対して、隊長はスタンガンで電気ショックを加える残酷な迫害を加えた。

 内モンゴルで2年間、迫害を受け続けた林文輝さんは、福建省の自宅に戻された1カ月後のある日、汽車に乗って地方へ向かう途中、鉄道公安官に法輪功の書籍を持ち歩いているのが見つかり、不当に連行された。

 再び労働教養を宣告された林さんは、収容所の検査により肝腹水が見つかった。そのため労働教養所側は、責任逃れのために「重病のための服役中の一時出所」の手続きを取り、やっと林さんを釈放した。林さんは地元政府により実家に戻されたが、病院で検査をした林さんは、末期の肝臓癌だと診断され、3カ月後に死亡した。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/4/11/255494.html)     更新日:2012年7月1日
 
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