明慧法会|パソコンを購入し、学び、教える中で修煉する(二)
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文/長春の大法弟子

 【明慧日本2012729日】

 パソコンを教える

 師父は説法の中で何度も「花が遍く咲くように、資料点が各地に広がる」とおっしゃいました。明慧ネット上にも「大法弟子は皆明慧ネットに接続しよう」という同修の交流文章があります。こうして多くの人がネットに接続し、より安全が保障され、そして、しっかり精進することができます。

 私はパソコンに関する知識をひと通り学んだ後に、周りの数人の同修を家に招待して、パソコンの電源を入れました。同修は大法のウェブサイトやパソコンの中の資料を見て、素晴らしいと驚きました。私たちの明慧ネットは安全であると伝え、「パソコンの勉強は全然難しくなく、あなたたちが習いたければ、私がしっかり教えます」と話しました。私の話を聞いた同修は、パソコンに対する抵抗感がなくなり、インターネットに接続しても安全だと知って、周りの同修はほとんどパソコンを購入しました。他のグループの同修に会った時も、私は彼らにパソコンを持つように勧めました。パソコンを持つ人が多くなれば、システムの設置を必要とする人も多くなりました。設置は約2時間で終わりますが、システムの使い方を教えるのは難しいことでした。そこで、私はパソコンの使用方法を教える任務を担当し、技術が出来るその同修はシステムの設置を担当しました。彼女がパソコンを設置した後、私がほとんど同修への教育担当しました。

 同修にパソコンを教えるのは簡単なことではありませんが、これも一つの修煉の過程です。いつも「真・善・忍」に基づいて自分を律し、そうして初めて同修によく教えることができます。基本的に、私が教える相手はみな年齢が高く、読み書き能力の低い人たちでした。年齢の高い人は70歳ぐらいで、ほとんど人は60歳以上でした。この中には、学校で数日しか勉強したことのない人もいて、ピンイン(ローマ字表記法)もできませんでした。このことは私に強い忍耐力を必要としました。相手の立場に立って考えてあげなければなりません。

 ある67歳の同修は、小学2年までしか勉強していませんでした。私が「パソコンを買ってください」と言うと、彼は「買うのは問題ないのですが、使うことができなければ困ります。基礎が全くない私に誰が教えてくれるのでしょう?」と聞き返しました。私は「買ってください。あなたができるまで私が教えてあげますから」と言いました。そこで、私は彼のためにパソコンを購入しました。彼にパソコンを教える過程は本当に大変で、マウスの使い方だけで数日かかりました。彼がマウスをクリックすると、カーソルがいつも上にいってしまい、文書のファイルと一緒になって、どこにいったか分からなくなりました。2日間勉強して、彼は自信がなくなりました。私は彼に「焦らないでください。法をよく学び、堅く正念をもってください。大法弟子は何でもできますから、これぐらいの困難に邪魔されないで、思いきり練習してくださいね。できなかったら私がいますので、私が分からなかったらまた他の人に聞きますから、絶対に気を落としてはいけませんよ。これは大法弟子が家に帰る道だから、自信を持って最後まで歩いてください」と言いました。現在、この年配の同修も自分でパソコンを使うことができるようになりました。彼は感慨深そうに「大法を修煉する前、私は読み書きができませんでしたが、修煉してからこの先端技術のパソコンを使うことができるようになりました」と言いました。

 これらの年配の同修にパソコンを教えることを通して、私は多くの良くない心を取り除くことができました。例えば焦る心です。ある簡単な操作は三つの段階を経るだけでできるのですが、その同修は数時間かかってもまだできませんでした。習った後、すぐ忘れて、同修は自分でも恥ずかしくなってしまいました。このような時、私も焦ったり、我慢できなかったりする時もありました。しかし、このことは単に常人に教えているのではなく、修煉であると私はすぐに認識しました。同修は一つの鏡であり、彼に表われたことは私が修めなければならないものでした。師父は「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」(『転法輪』)とおっしゃいました。私のこの焦る心は同修に対する真心や善の心、忍耐が足りないことで、これこそ「真・善・忍」に従っていないことではありませんか? その時私は、本当に大法はあまりにも洪大であると感じ、本当に「含まれないもの、漏れるものも何一つとしてありません」、全てはその中に含まれています。私がこのことを認識すると、同修も直ちに理解できるようになり、全てのことが順調にいき始めました。

 同時に、この過程で私心も反映されました。ある年配の人は、できるようになるまで随分長い時間が掛かりました。20回以上も車に乗って出かけて行き、やっと1人でできるようになりました。しかもよく電話が掛かってきて、ダウンロードができないとか、インターネットに接続できないということがよくありました。時々、私もこのような状態では自分の時間がたくさん取られてしまって、学法の時間も少なくなり、他に人々を救い済度することをしたくても時間がないと思いました。毎日あちこちを行き来して、おじいさん、おばあさんに教えることは手間がかかって、苦労も多く、そしてお金もかかり、それだけの価値があるのでしょうか? しかし、その考えが頭に浮かんだ時、私はすぐにこれが私心であると認識しました。

 師父は私たちに「他の人のことを配慮して無私無我で、尚且つ他人を先に、自分を後にするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」(『精進要旨』「佛性に漏れなし」)と説かれました。私は何かに遭遇した時、先に自分のことばかり考えていましたが、これは修煉者がすることでしょうか? 修煉とは他人を先に考えることであり、これこそ私心を取り除く良い機会ではないでしょうか? この法理が分かってから、私は同修から掛かってきた電話によって自分の時間を取られたと思わなくなり、かえって、私は喜んで同修のために問題を解決するようになりました。

 私にできないことがあれば、技術を担当する同修に尋ねます。現在、これらの同修は毎日インターネットに接続して交流文章を見ており、同修の修煉の向上にとても役立っています。以前、年配の同修は家で学法や正念を発することだけをして、人々を救い済度することは怖くてしない人がいました。しかし現在は、外に出て真相を伝えようという人もいて、師父が要求された三つのことに精進しています。

 考えてみると、私は修煉を始めて15年になり、師父のご加護の下、今日まで歩んできました。正法の最後の段階に至り、時間を大切にしてしっかり学法し、精進に励みます。人々を救い済度する使命を果たし、そして円満成就し、師父に随って家に帰りたいと思います。

 以上は、私がパソコンを購入し、学び、そしてパソコンを教える過程で体験したことです。不適切なところがあれば、同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。

 偉大なる師父、ありがとうございました! 同修の皆さん、ありがとうございました! 

 (完)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/12/249108.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/11/19/129573.html)
 
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