道を見失った修煉者の変化と昇華(四)
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文/内モンゴルの大法弟子

 【明慧日本2014年5月16日】(前の文へ

 七、人心を取り除く

 ある日、私は明慧ネットにアクセスして、何か操作を間違ったのか、画面に「悪意あるファイルが送られて来た」という表示が出て、パソコンの警報が鳴りました。夜中だったので、その音はとても鳴り響きました。私はすぐにパソコンの電源を切り、恐れる心が出てきました。私はすぐに座って発正念を始め、できるだけこの恐れる物質を抑えようとしました。しかし、やはりとても怖かったのです。

 煉功の時間になりました。動功を煉功したら、恐怖で私の体がすこし震えました。私は天目を閉じて修煉していますが、にも関わらず、私はある種の黒い物質に囲まれ、呼吸もできないほどに感じました。目を閉じると無数の目が私をじろじろ見ているように感じたため、私は目を開けて煉功するようにしました。この時、ドアの外に歩く音がして、私はますます怖くなりました。私は一生懸命自分を抑え、発正念をしました。しかし、どうしてもネガティブに考えてしまいました。この時、師父の法が私の脳裏に打ち込まれました。「汝に恐れ有らば 它はじきに抓む 念を正しくすれば 悪はじぐに崩る 修煉の人 法を持っており 正念を発すれば 爛鬼炸く 神世に在りて 法を実証す」[3]。私は何を恐れているのでしょうか? 恐れることはそれを求めていると同じではありませんか。私は心の中で強い一念を発しました。「私は李洪志師父の弟子です。誰も私を動かすことができない」。その瞬間、ある物質が私の頭から体を通して落ちて来たと感じました。私の空間場は直ちに清らかになりました。私はもう怖くありませんでした。師父は私の正念をご覧になって、私の悪い物質を取り除いてくださいました。

 私が普段接している同修達は皆とても精進して、正念の強い人ばかりです。学法チームの同修が時に、私の前で人心が多く出る時、私はすこし見下して、これだけ長く修煉しているのに、なんでこんなに人心が多いだろうと思ったりしました。その後、これは分別する心で、人を軽視する心で、また嫉妬心も隠されていることに気づきました。同修は私の鏡です。それは同修が悪いのではなく、師父が私に自分の不足を気づかせようとしておられるのだと思うようになりました。同修に現れた問題はまさしく私が除去すべきものではありませんか。以後、このような観念が出てきたら、私は師父に「真の私にこの私の層層の命、層層の体、この肉体も含めて、指揮させるよう」とご加持をお願いして、「私は真・善・忍からなる生命で、これらの考え方はすべて私ではありません」と思うようにしました。こうして、私はもう同修の不足を見なくなり、次第に私は同修達の多くの優れた所、しかも全て自分にはないものが見えるようになりました。「以前、私はどうして見えなかっただろう。全て悪い観念によって隔たりを作ってしまったからです」と思いました。

 私には名を求める心、他人に言われたくない心があります。また利益を求める心もあります。私は車が好きで、いい車を見るとどうしても我慢できず多く見ようとします。また色欲心もあります。大法を修練することによって、私はとても若く見え、街を歩いていて、異性に多く見られたら、うぬぼれてしまいます。また、朝、早起きをしたくない安逸心もあります。また、もし同修が私によく修めていないと指摘したら、私は自分を高めなければならないと思い、怒ることはないのですが、しかし、もし「XXさんはあなたのような人心を持っていないよ」と言われたら、私のマイナスの面が刺激されます。それは嫉妬心だと意識しています。私にはとても強烈な顕示心もあります。時に、私が他人に誤解され、私がとても悪く言われた時、内心では「あなたがそう思うなら、望み通りそのようにしてやる」と思ったりします。これは強烈な闘争心です。

 大法は慈悲と威厳が同時に存在します。最初の頃、このような汚い執着心を持って法を学べたのは、師父のご慈悲と大法の恩恵を受けたからです。しかし、法を正す時期は最後になり、私たちの渡し船がもう少しで出航しようとしている時、私はどうしてこれらの不純な心を持って、この上なく神聖かつ純潔な美しい天国に行けるのでしょうか? 私はこの汚い心を持って、私に対して無限の期待を持つ衆生に会う面目はあるのでしょうか? 私はどうしてこの汚い心を持って、大法弟子になれるのでしょうか? 私はこれらの根本的な執着、色魔、卑しい鬼などを一掃するよう、これらの汚いものを私の空間に生存させないよう、好き勝手にさせないよう発正念をしました。

 結び

 世世代代の輪廻の中、億万年を待ち望む中、私は多くの苦難を経験したでしょう。あるいは人生の輝きも経験したでしょう。私が今日までしっかりと歩んで来られたのは、すべて師尊のご加護があり、私の生命の最もミクロな所に、私が誓約を交わしたその神聖かつ厳粛な瞬間から、大法が広く伝えられる時に必ず済度され、必ず師尊について、私の神聖かつ純潔で素晴らしい故郷に帰れると固く信じていたからです。

 私は天地を揺るがすような大きなことをしていません。しかし、私は金のような純粋な心を持っています。私はあまりにも多くの時間を無駄にしました。この最後の限られた時間の中、この万金に値する貴重な時間に、私はもう迷うことなく、必ず奮い立って追いかけ、自分をしっかりと修めると当時に、三つのことをよく行い、師のご恩に背かないよう、大法弟子の称号に恥のないようにいたします。ここでは、私をずっと助けてくださった同修にも感謝の意を表したいと思います。

 以上、正しくない所があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします!

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『
法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「ウクライナ法会」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「何を恐れる」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/4/6/289531.html)
 
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