道を見失った修煉者の変化と昇華(二)
■ 印刷版
 

文/内モンゴルの大法弟子

 【明慧日本2014年5月7日】(前の文へ)(次の文へ

 三、再び見失う

 2012年3月、私はもとの町に戻り、すべてを落ち着かせ、同修達の励ましの下、パソコンを買ってインターネットに接続しました。法を学ぶ準備をしましたが、今度私はまたゲームをダウンロードして、先に何日間か遊んでから暗号化しようと思いました。しかし数日が過ぎて、私はまた更に何日間か遊びたくて、こうして、私はゲームの中で刺激を求め、ゲームに支配され、法を学ぶことを忘れました。その間、同修は私のパソコンを暗号化しようとしましたが、私はなんと彼にさせませんでした。同修は私と交流しても、私は聞く耳を持たず、店の商売もめちゃくちゃになり、甚だしきに至っては、このようにゲーム人生を送ってもいいと思いました。どんなに危険な考えだったのでしょうか!

 私はとても法を学びたいと思いました。しかし、自分の体が厚い殻のようなものにしっかりと包まれていると感じ、私はそこから抜け出したくても抜けられませんでした。それはインターネット依存性というものでした。師父がおっしゃったように「それは正しい考えに導かれていないために、簡単にはやめられません。」[1]私はそこから抜け出そうと思い、色々な方法を考えましたが、全部ダメでした。

 2013年4月1日の朝になって、私は突然法を学びたいと思いました。その瞬間、私は自分の体に取りついていた厚い殻が粉々になり、体も楽になったと感じました。私はとても大きく変化しました。友達も私がとても穏やかになったと言ってくれました。店の商売も順調になり、最初の月は売上が4千4百元も増加しました。それは、大法の威力で、それは師父の無限な慈悲です。私は救われました。

 四、法を暗唱する

 2013年4月1日、私は法を学び始めました。毎日3、4講を読みましたが、まったく印象に残っていませんでした。心に入らないため、法を学ぶ時居眠りをし、ある時、電子書籍をなんと床に落としました。こうして、2カ月間学びましたが、少しも向上せず、このような状態を変えなければと思いました。

 私は法を暗記すれば、この落ち着かない心を落ち着かせられると思い、そこで端午の節句(6月12日)が過ぎてから、私は法を暗唱し始めました。師父は「人が佛の名前を念ずる時、心には何も雑念がなく、大脳のその他の部分が全部麻痺して、何もかも分からなくなるまで、一心不乱に念じなければならず、そうすれば一念が万念に代わるので、「阿弥陀佛」の一文字一文字が目の前に現われてきます。」[1]とおっしゃいました。

 初めの頃、外から来る音楽の音、話し声を、私はすべて妨害だと見なし、正念を発して一掃するようにしました。ある日、私は発正念をしようとしたとき、脳裏に突然「それはあなたのあの心が落ち着いていないのだ」という言葉が現れました。慈悲なる師父が私にヒントを与えて下さいました。それは外へ求め、外に向けて探し、他人を変えようとして、自分を高めようとしていないこと、また私は今でも私(し)の基点に立って物事を考えていることに気づきました。それはすべて旧宇宙の理です。他人を変えようとするのは、強烈な闘争心です。共産党の党文化の毒素です。

 同修の交流文を参考に、私は発正念をするとき、「自分の層層の生命の中の私の要素と党文化の毒素を一掃し、自分の体のミクロからマクロまでのすべての細胞を無条件に真・善・忍に同化するように」と一念を加えました。それは現在まで続いています。

 法を暗唱することに従って、私の心はますます落ち着き、いくら騒がしい環境の中でも、私が法を暗唱することは影響されなくなりました。次第に、常人のどんな言葉も私の心に入らず、時には近所の人が私に世間話をしても、彼女が離れると私はすぐに法を暗唱し続け、いかなる影響も受けませんでした。時には、彼女が何を言ったかさえ思い出しません。大法は私を浄化してくださいました。

 私も集団学法に参加しました。最初の頃、同修の家では常人達がトランプを遊んでいて、私が行くと、彼らは私を上から下までじろじろ見ていたため、私は行きたくなくなりました。法を学ぶことを通じて、これは人心であって、観念であることが分かり、その後、このような考え方が再び出てきたら、私はそれを抑え、発正念をして一掃しました。集団学法は師父が私たちに残してくださった方式で、私は堅持してきました。私は昼間に法を暗唱して、夜は集団学法で一講を学ぶようにしていました。

 五、衆生を済度する

 恐れる心があるため、私は見知らぬ人に口を開いて真相を伝えることができませんでした。私は真相紙幣を使い始めました。最初の頃、私は相手の顔を見て、優しそうな人なら使い、そうでない人には使わないようにしていました。その後、それは間違いで、それは分別する心で、観念であることに気づき、その後、私は人を区別せず、誰にでも使うようにしました。警官が買い物に来ても使いました。なぜなら一枚の真相貨幣は一枚の宣伝チラシです。真相の分からないお客さんもいて、なぜ字があるのかと聞かれたりもします。私は、「このお金がもらえるのは福です、欲しくても手に入らないものです」と説明します。また、真相紙幣を受け取って、法輪功はX教だと言う人もいます。私が大法の素晴らしさ、「天安門焼身自殺」は捏造だと真相を話すと、お客さんは急に理解して、「なるほど、私たちは今までずっと真相を知らなかった」と言います。また、真相貨幣をもらったあるお客さんは、随分経ってから戻ってきて、取り替えたいと言い出したので、私は彼に真相を伝えました。その後、私は彼に「まだ取り替えますか?」と聞いたら、彼はもう取り替えませんと言って、嬉しそうに帰って行きました。ある日、私は買い物に行って、店主に真相貨幣を渡しました。彼女は「法輪功のお金ですね。今多いですよ。何が書かれているか見てみよう」と言って、その場で真剣に読みました。こうして、私は次第に恐れる心がなくなり、時には、買い物の時、全部真相貨幣を使います。それを受け取った店主はすぐにしまうようにしています。人は誰でも分かっている一面を持っているからです。

 法を暗唱するにつれ、私の正念はますます強くなり、大法弟子とは何かが分かるようになり、衆生を済度する真の意味も分かり、私は師父との間に誓約があり、衆生に対する責任があることが分かりました。私は出かけて資料を配りに行くようにしました。ある日、私は二十冊の小冊子を持って出かけました。これらの小冊子は私の所ですでに長く保管していました。私はずっと恐れて、毎回配りに出かけようと思っても、恐れる心が上がってきて、途中で断念してしまいました。何回もそうでした。

 ある日の朝、私は3時に起きて発正念をしました。私は宇宙で最も正しいことをやっているから、邪悪の迫害は絶対許せない、縁のある人に是非この真相資料を見てほしいと師父にご加持をお願いしました。私は師父と護法神のご加護のもとで、順調に資料を配りました。この困難の第一歩を踏み出しました。私は師父の各地での説法を学びました。師父はこの迫害は認めないとおっしゃっています、私たち弟子も決してこの迫害を認めません。師父は「実は物質と精神は同一のものです」[1]とおっしゃっています。あなたは迫害が存在すると思うと、それは存在してしまいます。師父は「佛教では人類社会のすべての現象は幻像で、確かなものではないと言っています。」[1]と説かれています。これを悟った時、真相資料を配る前に、私は「私に一つの地域を導いでください。弟子はこれらの命を救う資料を縁のある人に届けます。衆生はすべて読めて、救われて、邪悪には見えないようにしてください」と発正念をします。私は師父に、護法神にご加持をお願いします。

 師父の説法の中から、大法弟子は個人の円満のためだけではなく、法を正す師に手伝い、未来の新しい宇宙の法王で、新しい宇宙の法理の護衛者であることが分かりました。また、衆生を済度するのは一つの過程に過ぎず、この過程においては自分の衆生を救い、自分の未来を成し遂げていくことが分かりました。師父が経文の中で「法を正す時期の大法弟子の圓満成就は、大法が新しい宇宙の大覚者を造成することであり、責任もさらに大きいのです。皆さんの修煉の過程の中で、おのずと衆生を救い済度し、邪悪と旧い要素の妨害を解体するという使命が含まれています。」[2]とおっしゃっていました。

 すでに結果が分かっていれば、その過程の中で何を恐れることがあるのでしょうか? 次第に、見知らぬ人にも私は神韻DVDを配ることができるようになり、見知らぬ人に真相を伝えることができるようになりました。師父のご加持があれば、弟子はきっともっと上手になり、必ず自分の誓約を果たして、衆生を済度する責任を担い、自分の使命を果たし、師父の浩蕩たるご恩に報います。

 (続く)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「ウクライナ法会」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/4/6/289531.html)
 
関連文章