道を見失った修煉者の変化と昇華(三)
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文/内モンゴルの大法弟子

 【明慧日本2014年5月9日】(前の文へ)(次の文へ

 六、身内の変化

 母は7.20前の修煉者で、ずっと独りで修煉していていました。7.20以降、母は発正念もしないし、衆生を済度することもせず、2005年が過ぎると、法も学ばなくなりました。2013年4月、私が母にまだ法を学んでいますかと聞くと、母は黙って何も喋らず、真相を伝えても依然として黙って何も話しませんでした。

 次に母に会ったのは端午の節句の時でした。母は私を駅まで送ってくれて、私は母に多く話しました。母は考えさせてください、お父さんとお婆ちゃんに聞いてから決めると言いました。2日後、母は電話を掛けてきて、もう修煉を止めると言いました。再び母に会った時、私も何も言いませんでした。一人の人が何を選択するかは自分で決めるもので、大法がどれだけ素晴らしいのか、母は分かっているはずです。すべての生命は自分で自分の位置を選択しなければならないのです。こうして、母に何回会っても、私は何も言いませんでした。

 10月になりました。私は実家に戻って母の誕生日祝いをしました。私は家から随分遠い所から、師父に「私を隠すカバーをください」とお願いしました(それは自分が傷つけられないためで、利己的なものでした)。また家にも発正念をしました。母は私を迎えに来ました。しかし、その時から母の具合が悪くなり、家に着くと嘔吐を始めました。祖母は私が父に真相を伝えたせいだと言い始め、父も怒って、家族全員は私を攻めて来ました。

 私は弟と母を病院に送りました。私は強い怨恨心をもって、母に「あなたは大法を修煉した時、病気がすべてなくなったのを覚えていますか? ほら、今を見て見なさい。夜中に点滴に付き添って来なくてはならないのですよ。大法修煉をしたら、こんなことはないでしょう。やはり修煉をしましょう」と言いました。母は黙って、しばらくして「はい」と言って、眠りにつきました。母の顔は良くなりました。それは師父が母を放棄なさらず、母を助けてくださったのです。

 翌日の朝、私が母に「あなたは昨晩大法を学ぶと承諾しました」と言ったら、母は「ダメです。私は家庭を失いたくないのです」と答えました。私は怒りました。先に父の店の中に行きましたが、母は追いかけてきて、私と喧嘩をしました。私は泣きながら母に「私は二度とこの家に帰りません」と言って、実家を出ました、私は自分の街に帰って、母に電話もせず、二カ月も電話をしませんでした。私は法を学び、煉功をし、法の中に溶け込み、家族のことをすっかり忘れました。

 ある時、母は私に電話をかけてきました。私が「用事はあるの?」と聞いたら、母は「ないけど」と言いまいた。私は母に「用事がなければ、切ります」と言いました。その時、私は少しの善もありませんでした。法を学ぶことに従って、私の考えも絶えず変わりました。実は母もとても可哀相で、ずっと一人で修煉して、字も読めないし、1999年7.20以後の事を何も知らず、これはすべて単に中共が判断を間違ったために引き起こされたと思うようになりました。私が道を見失った時、同修達がいかに慈悲をもって自分に対処したかを思えば、私はなぜ同修たちのように慈悲にならないのか? と思いました。私は自分と同修との差が見えました。私は邪悪がしたい放題に同修を迫害することを許せないと思いました。師父は私達に昔の同修を取り戻してほしいと期待しておられます。大法弟子がもし自分の世界に帰れなかったら、未来はないことを私は分かっています。

 私は彼らに発正念を始め、彼らの背後に潜んでいる邪悪、黒い手、卑しい鬼、共産邪霊を徹底的に一掃して、含まれないものも、漏れるものもないようにしました。同時に真・善・忍の法理を彼らの脳裏に打ち込むように、毎日発正念の時、この一念を加えました。一カ月続けて、私は同修と交流して、同修の正念による加持と励ましも私にこの一念を強めさせました。これほど偉大な師父がおられ、これほど偉大な法があれば、彼らはきっと帰って来られると思いました。

 2013年の旧暦12月29日、私は実家に帰ってお正月を過ごしました。私は母の顔色が悪いのを見て、何も言いませんでした(以前なら私はきっと文句を言っていた)。夕食を食べて、私が部屋に戻ると、母は来ました。母はベッドのそばに座り、何も言いませんでした。私は突然、一つの生命が大法から離れることは、どんなに可哀想なのかと思いました。私は静かに「師父があなたを呼び戻しておられますよ」と言いました。母はびっくりして、「私も帰りたいのですが、しかしあなたの祖母とお父さんはどうしますか?」と言いました。私は「あなたが帰りたいのは本心ですか?」と聞きました。母は帰りたいと言いました。私は「師父は人の心を見ておられます。あなたは帰りたいと想えば、師父があなたを助けて下さいます。あなたは『私は李洪志師父の弟子です。その他の一切はいりません。私は大法修煉をします。師父について家に帰ります』と言ってください」と言いました。母は突然立ち上がって大声で「私は大法を修煉します。師父と一緒に家に帰ります」と言いました。母はまた戻ってきました。翌日の朝、母は「私はもう再び大法を学ぶことができないと思っていました。昨晩、私はその言葉を言ってから、体がとても楽になりました」と言いました。師父は母の悪い物質を取り除いてくださったのです。

 以前私が家に帰って真相を言うと、最も反発したのは祖母でした。彼女はまったく私に言わせようとしませんでした。大晦日の朝、私は祖母に「お婆ちゃん。私から言いたいことがあります」と言いました。祖母は「どうぞ」と言って、私は「師父はあなたを呼び戻しています。大法を修煉しましょう」と言いました。祖母は「私が言ったことはその通りにならないよ」と言いました。私が「師父のおっしゃることはその通りになりますよ」と答えたら、祖母は「お母さんに聞いてください」と言いました。私は「お母さんはもう賛成しました」と言いました。この時、母も来て、「やはり大法は素晴らしい」と言いました。こうして、祖母も戻って来ました。この時父も家に入ってきて、私は「お母さんもお婆ちゃんもみんな大法修煉をします、お父さんは?」と聞きました。父は笑って「じゃ、私も修煉しましょう」と言って、父も修煉を始めました。

 私は『九評』を父に読ませました。父はとても早く読み終えました。私は2013年の神韻DVDを彼らにも見せました。開幕したとたん、父は綺麗だと驚嘆しました。父は見ながら、衣装、演技、バックスクリーンの色彩を褒め、また、これらの役者はみんな大法弟子ですかと聞きました。私はそうだと答えたら、「じゃ、オーケストラの演奏者は?」と聞いたら、「それもそうです」と答えました。父は「師父の説法のDVDをいただけますか、私はいただきたい」と言いました。私は父の変化を感じて、大法の偉大さと師父の無限なご慈悲と浩蕩たるご恩を切に感じました。また神韻と『九評』の人を救う力の強さも感じました。私は本当に何もやっていません、時には言葉すら師父から下さり、私はそう思っただけで、すべては師父がやっておられました。

 義理の兄(姉の夫)はずっと真相を聞いてくれませんでした。2007年、私が姉の子ども達に大法の素晴らしさを話すと、子供はとても受け入れてくれました。しかし、それを知った姉と義理の兄は電話を掛けて、私にひどく怒りました。毎回、私が姉に真相を伝えると、義理の兄は姉を叱責するので、私は彼に話をしたくもないし、真相を伝えたくもありませんでした。ある日、母は「お兄さんはお姉さんに真相を聞かさせないですね」と言いました。私は「彼も可哀想です。彼に真相を伝える人はいないし、共産党の虚言に騙されているから、彼は何も分かっていない」と言いました。私は彼に対する考え方が変わったと気づき、私は彼の一家に発正念をするようにしました。

 2014年の1月11日、私は義理の兄の車に便乗して帰って来ました。彼らは話をしている時、私はMP3プレイヤーを出して交流を聞こうとしました。突然、自分はとても利己的だと感じました。どうして真相を話さないのでしょうか? 師父は私に自分の責任に気づかせておられました。私は彼らに発正念をして、また必ず彼を救おうと師父にご加持をお願いしました。私は「お兄さん、いいものをプレゼントします」と言い、彼は「なに?」と聞いてきました。私は『九評』を取り出しました。みんなが賑やかに笑う中、兄は何も言わず、姉にしまいなさいと合図しました。私は大法の素晴らしさ、大法の世界での広がりぶり、また「蔵字石」について話し、最後にお守りを取り出し、義理の兄に渡しました。私は「あなたは運転をするから、お守りを持っていたほうがいい。たくさんの運転手がみな欲しがっています」と言いました。兄は姉さんにお守りを彼の財布に入れさせました。私はまた大法に優しく対応すれば福の報いがあること、また大法を迫害する人が悪の報いを受けた例も話しました。私は彼に「『九評』を読んだら、他人に読ませてください。そうすれば功労と恩徳は計り知れないほどです、くれぐれも投げ捨てないでください」と言いました。兄は厳粛な態度で頷きました。

 私が車から降りようとしたとき、姉はお守りをもう一つが欲しい、甥にあげたいと言いました。私はもう一つ彼女に渡しました。姉は笑って、「もう一つもらえますか」と言いました。姉一家の大法に対する態度が変わりました。師父のご慈悲とご恩に感謝いたします。もし師父が私を諦めずに済度してくださらなければ、私を待っていたのはどんなものだったのでしょうか? 弟子は必ず師父のおっしゃる通りにして、これからの道をしっかりと歩んで行きたいと思います。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/4/6/289531.html)
 
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