スウェーデン修煉体験交流会 首都ストックホルムで開催(写真)
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 【明慧日本2014年9月14日】スウェーデン法輪大法修煉体験交流会が今月6日、首都ストックホルムの中心に位置するノルディックライトホテルにて開催された。スウェーデン各地、及びノルウェー、デンマーク、フィンランドなどの北ヨーロッパの一部の国からやってきた法輪功学習者が交流会に参加した。11名の中国人と西洋人の学習者は修煉体験を発表し、法を実証するプロジェクトのなかで自分を修め、慈悲を持って人を救った経験を発表した。

2014年スウェーデン交流会で、修煉体験を発表する法輪功学習者

 神韻の宣伝のなか、自我を放下することを学ぶ

 ソフトウェアエンジニアである関晶さんは、6年間の修煉過程を振り返り、すべての試練は自分が師父を信じ、大法を信じているか、自我を放下できるかを試すための関だったと述べ、神韻の宣伝をした際の修煉体験をみなと分かち合った。

 神韻のチケット販売で人手が足りないとき、協調人が彼女に数日間休みを取れないかと相談した。その時ちょうど彼女の勤めていた会社で大量にリストラを実施する前だった。彼女は口頭では休みを取ると答えたが、心の中では激しく動揺していた。休みを取るか取らないかは彼女が会社に残れるかどうかを決める重要な分岐点のように感じられた。思考上の激しい戦いの末、彼女は自我を放下し、師父の要求されている衆生を救い済度することに円容することにし、休みを取ることに決めた。

 神韻のチケット販売が終わった後、会社でリストラ名簿を公表されたが、彼女は残されていた。

 心性は法を実証するなかで向上する

 カクさんはスウェーデンのある小さな町から首都へ引っ越した後、全力を尽くして観光地で新聞を配布し、真相を伝えるようにした。どんな困難と邪魔に遭っても停止することなく、心身ともに錬磨され向上した。

 彼女は「歩んできたこの数年間を振り返ってみると、人を救うための私の願いはすべて実現できました。毎日観光地に行って新聞を配布したいという願望を実現できました。ヨーロッパで真相を伝える新聞を一種類追加してほしいという願望を実現できました。私はスウェーデンのある若い同修に、優れた芸術の才能があることを発見し、彼女に新聞の紙面作りに参加してもらい、一緒に新聞を作りたいと思い、この願望も実現できました。その過程には困難があり、苦しみもあり、ひいては観念の衝突もありましたが、それらは自分に人心があったからです。師父の巧みな按排は私の人心を暴露すると共に、私が法を実証し、衆生を救いたいという願望も実現させてくださいました。しかも、観光地で人を救うことに心を費やすと、自分が文句を言うことが少なくなっていき、寛容の心が大きくなっていることに気づきました」と語った。

 責任を取り、師父の按排された道を歩む

 1995年、妻と前後して法を得たピーターさんは、潜水士だ。仕事の性質により、彼は強い責任感を持っていた。いかなる間違いも起こらないように、彼は仕事に大きな力を入れていた。しかし、自分のよく分かってない領域については、彼は容易に責任を取ろうとしなかった。

 2年前、彼は映画『フリーチャイナ』を見てから、この映画を通じて、各界の人士に真相を伝えようと思った。彼は自分が各種の執着心、例えば、安逸心、忍耐できない心、劣等感などを克服し、同修の励ましの下、大法弟子としての責任を担ったことを皆と分かち合った。

 彼は同修の協力の下、この映画を通じてたくさんの議員に真相を伝え、最後にはスウェーデンの国会で、議員らにこの映画を放映することができた。真相が分かってきた議員らは逆に手伝ってくれた。半年後、国会のなかで、中国共産党による生体臓器狩り関連のシンポジウムが成功裏に開催された。

 プロジェクトチームはこれらの機会を按排され、更に多くの世の人々が救われるようにしてくださった師父に、心から感謝した。

 広告を取る仕事をする中で自分を着実に修め、人を救う

 各種の執着心を抱いて広告の営業をはじめた張さんは、自分が仕事以外の時間を利用して、大紀元新聞のために広告の営業をした修煉体験について分かち合った。彼女は広告を取ることは法を正す修煉であり、メディアが人を救うことは、とても差し迫っていることであると悟った。彼女は、心を尽くせば師父が助けてくださり、ただ最後まで堅持すれば必ず成功し、また苦をなめ、代価を支払わないといけないと認識したという。

 修煉の過程において、師父は常に彼女に希望を与え、しばらくして、サイズの異なる広告を一つ取れるように按排された。広告が多くなるにつれ、彼女が毎年販売する神韻チケットの枚数も多くなってきた。彼女は「師父が私に広告販売を按排されたのは、私に縁のある人を救い済度させるだけでなく、私に自分の闘争心、顕示心、嫉妬心、自我に執着するなどなどの多くの執着心を見せて、修めるようにさせるためでした。私は心性の修煉を重視しないといけませんでした」と語った。

 責任を負わなかった状態から責任を担うまで

 1998年に法を得た、企業家でスウェーデン国王賞を獲得したヴァシリオスさんも最近の修煉体験をみなと分かち合った。彼は「私は法を得たとき、たくさんの執着を持っていました。私は情に影響されやすい人です。私は疲れることを恐れ、責任を負いたくなく、怠けていました。当時、私は大法弟子としてお金に執着してはいけないので、どんな仕事をしてもよい、あるいは仕事をしてもしなくてもよいと思っていました。この考えを持っていたため、一時期失業し、経済的に困難に陥りました。これは実際、私が責任を取りたくないという執着によりもたらされたことです。私は怠けていたため、仕事をしなければいかによいか、いかに心地よいかと思っていました。その後、私はこの認識が間違っていると分かり、間もなくして自分の会社を設立し、しかも非常に成功しました」と語った。

 彼は自分が責任を持って理性的に仕事をした時、彼の周りの人はみな穏やかさを感じていたと語った。彼は以下のように認識した。修煉者の責任は煉功することが含まれ、たとえ疲れても煉功しないといけない。つまり、責任を負うことで、情に動かされてもいけない、ここで働く情は疲れることを恐れる心である。ここまで至るには自分の意志力を強くさせないといけない。どうやればよいか? 実はそれはとても簡単であり、すなわち情ではなく、責任をもって事物を判断することである。

 電話をかけて人を救うなか、慈悲と責任を感じる

 2010年から電話で真相を伝えるチームに参加した鄭さんは、自分が4年間電話をかけたなかでの修煉体験を皆と分かち合った。ただ心を尽くして行えば、智恵はどんどん出てくる。特に人心を放下し、いかなる観念も持ってないとき、とても自然に同修を救援する立場に立ち、電話番号を聞いて、更に真相を伝えることができたという。どうしようもなくなり、もう行き止まりかと思った時も、苦境の中にあって希望が見えてきたという。彼は同修を救援するためには人間の観念を放下し、師父を信じ、大法を信じないといけないと認識した。その過程のなか、心性が十分高まってくると、すべては師父が按排してくださる。彼は佛法無辺という不思議さと大法弟子の人を救う重大な責任を体験した。

 1日かけて開催された「2014年スウェーデン法輪大法修煉交流会」は夕方に円満に終了した。法輪功学習者は同修の発表を聞き、得るものが大きく、みな自分に照らし、修煉上の不足を見出すことができたと語った。

 交流会で最も印象に残った体験は何かと聞かれ、スウェーデンに来たばかりの法輪功学習者・林さんは、今回の交流会は彼にとってとても大きな感動を与えたと述べたうえで、「自分は修煉にもっと力を入れるべきで、みながやっているからやるというようになってはなりましん。本当に法を正す時期の大法弟子にならないといけない」と語った。また法輪功学習者の胡さんは、「一人ひとりの発言はとても素晴らしく、人を深く感動させました。私は彼らと自分の間のギャップを見つけ、勇猛精進することを決心しました」と語った。また、ガイドの仕事をしている学習者は、「今回の法会で最も感動したことは、自分の修煉に対して、本当に責任を取り、法を学び、心を修め、時間を大切にして人を救わないといけないということでした」と語った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/9/9/297524.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/9/12/3224.html)
 
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