文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年5月22日】2011年の中国の正月の後、妻は過労で体を壊し、突然重度な眩暈症になりました。その後、私達は1年かけて、心臓血管外科に行き、その後、脳神経の専門医を探し、30項目の生理検査と70数種類の検体検査をし、さらに、耳鼻科の権威のある専門医にも診てもらいました。最後に、漢方医や民間の達人を求め、民間療法を試み、時間と金を随分費やしました。しかし、いずれも効果はなく、しかも、結論もそれぞれ異なり、結局、確かな診断を下すことが出来ず、妻の眩暈の症状はまったく改善されないままでした。
私はネットで18種類の眩暈の原因を検索しました、しかし、いずれも妻の症状に符合しませんでした。当時、家の中では、いつも漢方薬を煎じる匂いと、お灸のヨモギを燃やす煙が充満していました。妻は寝椅子に横たわri、胸の前と後を湯たんぽで暖め、おでこに蒸したタオルを当て、手足の関節にはお灸を置き、体重がいきなり9キロも減ったため、やせてガリガリになっていました。今まで、匂いだけでも吐き気がして、けっして漢方薬を飲まなかった妻は生きるために、大量の漢方薬(通常の量より数倍の漢方附子が含まれている)を、胃穿孔になるまで飲み、命すら危なくなりました。
妻の病気は友人や近所の人々の関心を引きました。ご馳走を作ってくれる人、マッサージをしてくれる人、慰めてくれる人、皆あわただしく動きました。この時、親友のHさんは噂を聞いて、自分が以前買っていた良質の天麻を思い出して、それを持って妻の見舞いに来ようとしました。しかし、二度も天麻が見付かりませんでした。親友は法輪功の修煉者ですが、突然悟り、宝の書籍『転法輪』と神韻DVDを妻に届けてくれました。
神韻DVDは妻を魅了しました。公演の半分を見た頃、妻は起きたいと言い出して、公演が終わるまで座って見ました。彼女は涙を流しながら、2時間の公演を鑑賞したあと体が温かくなり、気持ちがよくなり、眩暈もしなくなりました。
法輪大法の不思議を体験して、妻は少しも躊躇せずに大法の修煉を決意しました。妻は確実に修め、師父が求められた通りにしっかりと「三つのこと」をやり遂げ、その後、奇跡が起きました。妻の眩暈は完治し、20年間悩まされて来た偏頭痛も治り、子宮の腫瘍も消えてなくなり、掌の血色が良くなり、体重も増え、背筋も伸び、薬を一切服用しなくなり、歩く姿も元気いっぱいになりました。
活力を取り戻した妻は、本を読み、法を学び、人に真相を伝え、家事もしっかりこなし、毎日4、5時間の睡眠しか取らないにもかかわらず、まったく疲れを見せませんでした。彼女の変化は、師父の慈悲深さと浩蕩たるご恩を世間の人に知らせました。
妻の身に起きた大きな変化は、友人や近所の人々の法輪功に対する認識を徹底的に変えました。友人達も次々と法輪大法の修煉の道を歩み始め、私達の周りには、温かくて、穏やかな修煉環境が形成されました。修煉を通して、皆さんの身にも奇跡が起きました。ある人は30年間服用し続けて来た薬を止め、高血圧や高脂血症が治りました。ある人は重い心臓病が治って元気になり、階段を上っても息が切れなくなりました。また老眼鏡をやめた人、顔のしわが減り、肌がきれいになった人、白髪が黒くなった人もいました。それよりもっと大事なのは、皆の心性が高まり、精神的に昇華し、家庭も睦まじくなりました。このような例は数え切れません。
私は精進しているとは言えませんが、慈悲なる師父は私を弟子として受け入れて、体を浄化してくださいました。私は4カ月下痢ををしました。毎日、朝晩水を噴射するように下しました。昼間、外出や仕事の時はぜんぜんトイレに行かず、体の調子が悪い症状もまったくなく、その期間中、私は浙江と北京にも行って来ました。私は病院にも行かず、薬も飲まないで、でっぱったお腹が凹み、体が軽くなりました。元々健康診断の時、私には胆石が見付かり、0.8センチのものが一つと、米粒の大きさのものが幾つかあると言われました。40日後、私は再び検査に行ったとき、それも奇跡的に全部消えてなくなりました。そして、高血圧も下がり、十数年飲んできた薬もやめました。
私の友人には、入党して70年の古参の共産党幹部がいます。彼は省の共産党学校の教員でした。私は彼とは、お互いに何でも遠慮なく話せる間柄ですが、しかし「三退」と法輪功の事となると、私はずっと口を固く閉じてしまいました。近頃、彼はまた「優秀共産党員」に選ばれ、証書と賞金ももらったそうです。私は彼を説得することができるかどうか、確信ありませんでしたが、法を学び、内に向けて探すことによって、私は恐れる心が邪魔をしていることに気がつきました。私は勇気を出して、彼に法輪功と脱党の話を切り出すと、思いがけないことに、彼の第一声は「なぜもっと早く言ってくれなかったのか?」という言葉でした。彼は目を輝かして、自ら偽名を作って、脱党しました。私達はとても意気投合しました。
翌日、私は妻と何人かの同修と一緒に、大法の書籍と資料を持って、彼の家に行きました。雰囲気はとても和やかでした。1人の同修は彼の応接間に約30センチの毛沢東の肖像画が掛けらかれているのを見て、彼に取り外すように提案しました。彼は少しも躊躇せずに、棒を取り出し、肖像を外して、「皆さんが帰りに道端のゴミ箱に捨ててください」と言いました。彼は簡略に自分の人生を振り返って、「私はこの一生で、悪いことを少なからずやりました。しかし、良いこともたくさんやりました。私は法輪功を信じます」と言いました。今、彼は私達の中の最年長の同修になりました。
法を正す時期の大法弟子として、私と妻は修煉の中で、それぞれ異なる事をやり、それぞれ自分の責任を果たし、神の道を歩むことができて、殊勝かつ光栄に思っています。