着実に大法を修煉することについて
■ 印刷版
 

 明慧日本2015年6月9日】私たちが修煉している中で、師父は何度も「真に大法を修めること」や「本当に大法を修煉すること」について話されました。どのように師父の説法を理解するのかは、一人ひとりそれぞれの体験や会得があります。ここでは、自分自身の認識についてだけ話してみたいと思います。

 「真に大法を修する」ことは「本当に大法を修煉する」ことだと、私は思っています。では、「本当に大法を修煉する」とは一体どういうことでしょうか。それは、大法を知り、大法が宇宙の法であると理解したうえで、心の底から、自ら法を勉強し、心の底から師父が要求されていることをする事です。これらは、誰かに促されてやるのではなく、自ら進んで修煉することに基づいています。これこそ「真に大法を修する」ことであると私は思います。こうして自ら進んで大法を修煉することで、大法に、そして、師父に認めてもらい、ご加護を受けられるのです。心の底から修煉しようとしているからこそ、変化の中で精進することができるのだと、私は思っています。

 以前、私は大法を修煉しはじめて、すでに十年も修めているという人に出会いました。法輪大法を修煉して功を開き、悟りを開いた者も多くいると聞きますが、彼は十年も修煉していて、いまだに何も変化を感じていません。彼は大法に対して、疑いを持ち始めました。

 実は、その人は邪党が遣わしたスパイなのです。しかし、大法は衆生を平等に見ていて、誰ががどのような状況で入ってきたとしても、大法は皆を円満成就まで導いてくださいます。その前提は「真に大法を修めること」です。しかし、この人は十年間毎日皆と法を勉強していても、いつも「他の修煉者を監視する」という任務に目を向けており「法を勉強し、心を修める」ことと「自分の心性を高める」ことには全く心を向けていませんでした。このような修煉状態では、師父が認めるはずがありません。なので、彼は十年間修めてきましたが、何も手に入れることができませんでした。真に大法を修めなければ、大法も認めてはくれません。心から大法を修めなければだめなのです。

 ここでこの事を挙げた目的は、皆さんにいくつかの事を伝えたいからです。邪党は何人かのスパイを遣わしてきました。これらの者は、皆長い間我々の中に入り込み、すでに「古い学習者」になっているのです。中には、師父が大法を広め始めた頃からいる者もいます。しかし、彼らは真に大法を修めているのかどうか、師父が認めておられるのかどうかは、彼らの心が「真に大法を修めている」かどうかによります。心が大法になければ、例えどれほど長い時間をかけて修煉しても、すべて無駄になります。

 大法に限りはありません。すべて「大法を修める心」にあるのです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/3/31/306896.html)
 
関連文章