【明慧日本2013年6月3日】陳寒波という中共(中国共産党)の高級スパイは、中共が中国人を残酷に虐待していることを知り、1949年、中国大陸から香港に逃れた。陳はかつて、上海公安局長で中共スパイ組織のボスである楊帆に重用され、毛沢東と会ったこともあった。陳は香港に脱出後、時々海外のメディアに記事を書いていた。1952年1月16日の夜、陳寒波は香港九龍の黄大仙にある自宅付近で、中共のスパイに暗殺された。陳は『私はどのように毛沢東のスパイになったのか』という記事の中で、楊帆の部下である廖燿林が彼に教えた極めて恐ろしい「灌水」と呼ばれる拷問について以下のように記述した。
「日本の支配下にあった時代、我々はこの手口をうまく使えるようになっていた。何も感じることなく随時に使用していた。相手を床に押し倒し、水道からホースを引っ張ってきて、ホースを喉に挿し込んで水道水を注入する。すぐにお腹がいっぱいになる。続いて足でお腹を踏みにじり、水を全て吐き出させてから再び水を注入する。このように繰り返して、全てを吐き出させるまで(自白するまで)続ける。あるいは意識がなくなるまで続ける。私は上海で数千回やった経験がある」
陳寒波の記事から、この廖燿林は日本のスパイとして、多くの善良な国民にこうした拷問を加えていた。日本の敗戦後、彼は中共に接近し、中共の山東区に辿り着いて中共のスパイになった。その後、上海に着いて「革命英雄」となり、多くの人の命を奪った。
廖燿林が使ったホースを、当時は「龍喉」と呼んでいた。「龍喉」は直接被害者の喉に挿し込むことから名付けられたと言う。日本人が中国に侵入した時から、中国人に対して使っていたという。中共のスパイは日本の侵入軍から、これらの手段を習ったのかもしれない。
驚くべきことに、中共は侵略者から習った手法を引き継いで、現在も依然として自国人を迫害しているのだ。
北京市延慶区延慶鎮上水磨村の農家の主婦・郎東月さんは、法輪功を修煉しているという理由で、数回に渡って中共に不当に連行された。2002年、彼女は北京労働教養所に拘束された。彼女は以下のように語った。「私はもう一人の法輪功修煉者・劉春華さんと一緒に5、6人の犯罪者(中共関係者)に力ずくで地面に押し倒されました。大隊長の張冬梅に唆され、2人が私の両手の上に乗って(立って)、2人が両足に乗りました。もう1人の非常に大柄で太った人が私の胸の上に座りました。胸に座った人が歯ブラシで私の口を開け、茶碗を使って大きい容器に入った水を口から注入しました。彼は私のお腹が大きく膨らんだのを見て、隣にいた人を唆して私のお腹の上に乗って踏みにじらせました。私は水を口から吐き出しました。暫く虐めた後、私を煉瓦の上に立たせました」
同じ年、同じ場所で別の法輪功修煉者も同様の被害に遭った。警官は数名の麻薬常習犯を唆して彼女をベッドの上に固定して縛り、上述の郎東月さんと同様に、数名が手足と胸に乗っかって塩水を注入した。2つの大きい容器で水を注入した。水が口と鼻から逆流して溢れ出した。彼女は3日間ずっと苦しめられ、大小便もベッドの上で済ませるしかなかった。3日後、彼女は意識不明となり精神状態がおかしくなった。顔が青くなり壁を見つめて言葉を話すこともできなくなった。11日後、家族が面会に来た時、警官らは家族に「彼女は食事を拒否したため、胃から血が出た」と全くの嘘を言った。
北京労働教養所の職員派遣所で行われている拷問には、はっきりとした名称は付けられていないが、明らかに「灌水」の拷問であると言って間違いないだろう。