遼寧省の法輪功修煉者一家が受けた迫害
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 【明慧日本2012年9月8日】今年も、董欽宇さん・董欽飛さん兄弟は、13回目の新年を家で過ごすことができなかった。董さんの家族が13年にもわたって受け続けた迫害について、私達は多くの事を知らない。しかし、董さんの両親が4歳の孫を背負いながら農作業をする姿や、子供の涙とお婆さんの汗が大地を濡らす光景を、大勢の地元の住民が目にした。

董さんの家族

  劉艶舫さん(次男の嫁)は、2004年12月に馬三家労働教養所から家に帰った。寂しい家には更に年老いた両親と物心ついて大きくなった子供がいた。その日の夜、劉さんは刑務所で迫害されて粉砕骨折した夫のこと、窮地に陥った家計のこと、数年にわたる迫害の一幕一幕が目の前に浮かんで眠れず、何度も寝返りをした。翌日、口の回りに水疱がいっぱいできた劉さんは衰弱した身体で、アルバイトをするために家を離れた。 

 法輪大法が幸せをもたらした 

 法輪大法は1996年に遼寧省鉄嶺県の大デン子鎮に広がり、「真善忍」の奥深い法理と健康の不思議な効果で多くの人々を惹きつけた。董さんの6人の家族も次々と修煉を始めた。最も大きく変化したのは長男の嫁である高傑さんだった。医師である高傑さんは自分で診療所を開いていたが、高傑さんには脳腫瘍があり、手術しても治らなかった。しかし、法輪大法を修煉してから頑固な病気が治り、高傑さんは喜んだ。

 現在は医療費が高額で、お金がない患者は病院に行きたくても行くことができない。しかし、高傑さんの診療所はお金がなくても売掛金の形で診察して治療し、本当にお金がなければ無料で治療した。「真・善・忍」の基準で自分を要求し、他人のことをまず考える高傑さんに人々は感動した(当時の村民達の数万元の医療費の売掛金が今でも帳簿に残っている)

 しかし1999年7月以降、この小さな診療所はなくなり、純朴で幸せな家庭に天地をくつがえすような変化が起こった。 

 4人の家族が突然連行され、2人が労働教養を科された 

 1999年7月20日から、中国共産党はあらゆるメディアを使って法輪功を誹謗中傷し、すべての政府部門が法輪功を迫害し始めた。修煉を通して恩恵を受けた董欽宇さん・高傑さん夫婦、董欽飛さん・劉艶舫さんの兄弟夫婦は、法輪功の真相を伝えようと、列車に乗って北京へ陳情に行った。しかし法律に基づいたこの行動は「社会の秩序をかき乱した」として、鉄嶺県の公安局に連行された。董欽宇さん・董欽飛さんは労働教養を強いられ、それぞれ1500元をゆすり取られた。長男の嫁・高傑さんと次男の嫁・劉艶舫さんは不当に拘留されて、それぞれ7000元をゆすり取られた。

董欽宇さん (左)、董欽飛さん兄弟

 

  董さん兄弟は、鉄嶺市労働教養所で他の拘禁された法輪功修煉者と同じように苦しみを嘗め尽くした。秋は土を掘る作業をさせられ、水さえ与えられなかった。真冬は冷たい水の中で石を運ぶ作業を強制され、道路工事をさせられた。長時間屋根のない車に乗せられて現場に着いた時は、すでに身体が凍えてしまって何もできなかった。毎日食べることができたのは、虫がいっぱい浮かんでいる食用油を使わない野菜に泥が付いたままのスープと、火が十分通っていないトモロコシの蒸しパンだった。しかも、警官や受刑者にはいつも殴られた。

 拘禁期間が満期になって家に帰った兄弟は、警官の絶えまない嫌がらせを受けた。診療所も差し押さえられて、二つの家庭の経済はすでに破たんしていた。生きるために兄弟夫婦は董さんの4歳の子供を家に残して故郷を離れ、祖父母が面倒を見るしかなかった。 

 残虐な拷問、重刑判決 

 董さんは2002年3月に異郷の撫順市で連行された。董さんの腰骨と片腕は迫害されて骨折し、両足は粉砕骨折したにもかかわらず、警官はビール瓶で強く董さんの両足を殴り、董さんの首を押さえつけて口に人糞を詰め込んだので董さんは死にそうになった。撫順市留置場は犯罪事実を覆い隠すため、家族との面会を許さなかった。 

 董さんは不当に懲役13年の判決を下され、現在、依然として瀋陽市第1刑務所に拘禁されている。董さんは、24時間睡眠を許されず、唐辛子の汁を注入され、トラの椅子に縛り付けられ、スタンガンで電気ショックを受け、手錠と足かせを付けられ、高熱のライトを照射されるなどの拷問を受けて一時、危篤となった。 

 2002年5月12日、劉艶舫さんが法輪功の真相を人々に説明していた時、真相が分からない人に告発され、警官に鉄嶺県留置場まで連行された。警官は劉さんに対して朝から尋問を行った。数人の警官は尋問室に入ると、劉さんの両手を後ろに回してトラの椅子に手錠をはめ、両足をまっすぐに引き伸ばして、足先を腰掛けで高くあげた。それから、警官は劉さんの髪を引っ張って暴力を振るい、修煉を放棄するように強制し、資料の出処を問い詰めた。劉さんは一切言わなかったため、空中に浮いた膝は何度も踏みつけられた。最後に劉さんは3年の労働教養を科されて、悪名高い馬三家労働教養所に送られた。 

 2007年11月13日、高傑さんはアルバイト先で連行された。警官は高傑さんが借りていた家に行き、法輪功の関連書籍やコンピュータなどを没収し、夫の董欽宇さんとともに留置場に連行した。欽宇さんはかつて何度も迫害を受けた。拘留されたり、2年7カ月の労働教養を科されたり、3年の懲役を受けたこともあり、今回また懲役5年を宣告され、今なお盤錦刑務所に監禁されている。    

 高傑さんが重態になっても、警官は悠然としている 

 留置場に拘禁された高傑さんは、血圧が急上昇し脳梗塞の症状が現れたため、警官は責任を負うことを恐れて、高さんを帰宅させた。長期にわたる恐怖と巨大な圧力の下で、高さんは2010年5月に脳梗塞が再発した。 

 迫害前の高傑さん                     救急室で治療を受ける高傑さん

 2010年6月12日夜、警官は重病の高さんを再び連行した。家族は高さんの釈放を再三懇願したが、無視された。8月13日、高さんの家族は鉄嶺市留置場に電話をかけて面会を申し入れたところ、所長に850元を要求された。高さんの75歳の両親は借りた850元を渡して、ようやく娘と会うことができたが、老人が目にしたのは、真っ青な顔色で眼がとろんとして言葉を失った娘だった。 

 9月1日、家族が再度高さんの釈放を求めた際、所長は「6700元を払わなければならない」と要求した。仕方なく家族は借り集めた2000元を持って9月8日に留置場に行ったが、所長は「完全に金が揃っていないと釈放できない」と言った。家族は「高さんの両親はすでに75歳で、しかも田舎に住んでおり、お金の出処はなく、高さんの夫は未だに盤錦刑務所に監禁されています。人命は最も大事ですから、釈放してほしい」と願ったが、所長は「例え金が揃っても、関連部門の許可がないと釈放できない」と答えた。家族は憤慨して「もし高さんが留置場で死んだら、私達はあなた達を訴える」と言うと、所長は「人がここで死んでも、せいぜい私がこの職から外されるぐらいだ」と言い放った。

 留置場で高さんの病状はいっそう悪化したので、警官は高さんが確実にもうだめだと見て、11月18日に高さんを一時帰宅させた。留置場は3000元の保証金をゆすり取ろうとしたが、家族は断固拒否した。

 治療の遅れと警官からの絶えまない恐喝を受けて、高さんは帰宅後に脳出血を誘発し、病院で緊急措置を受けたが、ベッドで寝たきり状態になり、眼がうつろになり言語機能と記憶を失った。 

 13年間の期待、13年の血の涙 

 65歳の董さん兄弟の両親は、孫の世話をしながら農業をし、そのうえ寝たきりの嫁・高さんの面倒を見なければならない。時々刑務所から息子の危篤の知らせが来るため、老人は涙をふきながら刑務所へ駆けつけるが、息子に会えるかどうかは警官の気分次第だという。 

 幸せな家庭はすべての人々の願いであり、幸せな人生の基礎でもある。しかし、今の中国では、私たちの身の回りで、幾千幾万の家庭が暴力により壊された。大地は哀れみ、蒼天はただ涙を流している。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/8/28/262096.html)
 
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