南京市の同修が受けた迫害について
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年4月8日】昨日、地元にやってきた南京市の同修Aさんと交流して、数十名の南京市の同修が同時に不当連行された迫害事実を知りました。Aさんの話によると、南京市に年配の同修Bさんがいて、病業の関を無事に乗り越えられたため、噂となってどんどんBさんのそばに修煉者が集まり、最終的に30人近くまで上りました。皆がBさんの自宅に通うようになり、Bさんは拒まずに食事を招待したり一緒に歌を歌ったりすることがしばしばありました。知らないうちに一人のスパイも交えてその輪に入り込んでしまいました。結局、スパイが普段こっそり撮った皆の写真は、数十名の同修が一斉に不当連行された重要な原因となったそうです。

 大連市でも同様な事件が起きたことがあります。まだ記憶に鮮明に残っているところに、再び南京市で起きた事件でした。数十人の同修が集まって一緒に記念写真まで撮影し、それが警官に不当連行される便利な条件を作ってしまいました。

 この事について個人的な見解、迫害された原因を下記に述べたいと思います。

 一、法ではなく人を学んでしまう

 確かに皆はよく修めている同修と交流したがります。しかし、行き来しているうちに、法理に基づいた交流ではなくなり、用がなくても何となく寄りたくなるような依頼関係になりがちです。問題が起きたらまず頭に出てきた念は相談することで、しっかり学法することが大法弟子の根本的な保障ということを忘れてしまいました。自分自身ばかりではなく他人にまで弊害をもたらしてしまいます。同修への依頼と崇拝は、旧勢力に迫害の口実を作り、自らに害を与えてしまいます。しっかり自らを修めず、自力で考えないで修煉において向上するチャンスを無駄にしてしまいます。実は、同修によく修めている面があっても、それは法の基準に符合したからです。同修が特別な能力を持っているわけではなく、誰にしてもしっかり修めなければなりません。

 二、孤独を恐れる

 大法のプロジェクトに携わっておらず、時間に持て余して孤独を感じている年配の同修が多いようです。話が合うからと言って暇つぶし目当てに同修との雑談を好んでいます。修煉のことも日常生活のことも、とにかく何でも同修に相談したがります。厳格に言えば、時間を無駄にしています。真に精進して三つのことをしっかりこなしている同修だと、時間の足りなさを感じるはずです。時間を何よりも大切にし、宝物のように少しでも無駄に費やさないように心がけることでしょう。

 三、「正念が強い」との言い聞かせを使い、安全への配慮が不十分

 修煉者は正念を重んじます。しかし「安全を配慮しないこと」または「大胆無謀」は、正念ではありません。同修のほとんどは、情勢が以前より少し良くなり、環境も緩くなったと感じています。本来の注意すべきところにおいても意識が甘くなっています。手軽だからといって携帯電話同士の直接通話、ひいてはある学法グループは大きな物音を立てて近隣に気づかれてしまうような油断がありました。迫害が一日でも続いていれば、邪悪は間違いなく悪事を働きます。それは悪者だからです。本来、迫害される原因は外部環境の緊張の度合いに関係ありません。人心さえ残っていれば、それが多ければ多いほど迫害に遭いやすいのです。常に自らの不足を厳粛に探し、よく修煉ができている同修は、最も邪悪に横行されている時期でも迫害に遭わないでいます。迫害されたのは間違いなく人心の働きによるものです。それは経済的にも肉体的にも、不当連行も含めて全ての迫害に関して言えることです。師父のおっしゃる通り、「人心を片付けば悪は自ずから敗る」(『洪吟二』「哀しむ別れ」)です。

 以上は、南京市の同修が大人数で迫害された事件について個人的な見解です。ご参考にすぎませんので、不適切なところがあれば同修による慈悲なるご叱正をお願いいたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/4/1/289356.html)
 
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