公務員「党文化の毒素を一掃し 法を師に精進して実修する」(一)
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文/中国の大法弟子 祥雲

 【明慧ネット2013年9月13日】私は公務員です。1996年に修煉を始めました。修煉する前、私は頸椎の骨増殖症、関節炎、胃・十二指腸潰瘍、低血圧、偏頭痛などの頑固な病気を患っていましたが、修煉して1カ月で病気がすべて治りました。その時、私は興奮してやみませんでした。私は人生の真理を求めて、この法門の修煉を始めましたが、共産党の無神論に深く毒され、1年が経ってから、やっと修煉の本当の意味が少し分かるようになりました。

 師父が押し上げてくださり、それと根基からくる悟性によって、私はとても精進しました。いつも内に向けて探すことができ、法理に対する認識も高まり、その後の修煉に一定の基礎を築き上げることができました。しかし、法の要求と精進する同修と比較して、当時、私は決して自身の状態に満足していませんでした。2003年から、私は傲慢になり、自己を固守するようになりました。それは法を師として、内に向けて探すことをせず、人に学んで法を学ばないことによるものでした。私はこれらの体験を書いて、類似した問題を持っている同修の参考にすることができ、修煉の道での障害を取り除き、共に向上すべく精進したいと思っています。

 一、以前の精進は現状を意味するものではなく、内に向けて探さなければ、下へと落ちる

 2003年から2008年の間、私は自分の修煉状態が「よく分かっている」つもりでした。三つのことをずっと行っており、資料作りのために、消耗品購入に協力し、真相資料も配りました。また真相を伝え、資料を配り、自分で自分の修煉状態に満足していました。同修は市全体の衆生済度に協力しようと強調しましたが、私は「どう協力すればいいのか? あなた達は三つのことをしているが、私もやっている。三つのことをしっかりやれば、それが最大の協力ではないか」と思いました。実は当時、私は同修に多く接することは危険なことだと思っていたため、恐れる心を隠し、迫害の口実を認めてしまいました。その上、仕事の量、仕事の規模を修煉の質だと勘違いしていました。師父は夢の中で、同修間に発生した出来事で、何度も私を教え導いてくださいましたが、私はすべて悟りませんでした。いったい何が私の目と智慧を迷わせたのでしょうか?

 私が参加していたプロジェクトの中に、性格が良くて、法理も良く分かる女性の同修Aさんがいました。最も私を引きつけたのは、交流の中で、彼女の発言がいつも法から離れないことでした。修煉者は誰でもより多くの法理を理解しようとしています。私は彼女にとうてい及ばないと思って、理解できない理や、うまくいかない仕事、他の人と議論しても行き詰まってしまった問題など、すべてを持ち帰ってAさんに教えてもらうことにしました。法の中で自分が悟るべきもの、自分で修めるべきもの、歩むべき道、それらすべてをAさんに「手渡し」してしまいました。Aさんも根気よく助けてくれました。私は「法理を悟る」中で「後ろ盾」と「後援」ができたと喜んでばかりで、修煉に「近道」ができたと勘違いまでしてしまいました。次第に依頼心も増大しました。彼女の「温和」な態度は、ちょうど私の自己を安全に保護する心を満足させ、そこから男女の情も生じ、少なくとも精神的な逸脱がありました。誰かが彼女に対して問題点を指摘すれば、私は直ちに拒絶しました。彼女と一緒に仕事をしたい気持ちが強くなり、次第に、党文化の模範、崇拝という考えでAさんに接するようになりました。しかし、それは法を学ばず、人に学ぶことだとまったく気づきませんでした。

 その後、自分の状態がおかしいと感じましたが、どこがおかしいのかは分かりませんでした。実は執着心に惑わされ、内に向けて探す気持ちが次第に蝕まれ、変えられ、ぬるま湯の中のカエルのように蚕食されてしまいました。感情的になったため、法によって物事を量ることをしなくなり、師父が按排してくださった多くの修煉の機縁を逃し、旧勢力が手配した道を歩み、もう少しで邪悪に迫害されるところでした。その後、私はAさんとしばしば口論するようになり、彼女も私も自己を実証する心がとても強いこと、彼女の「温和」は、ただ表面的なものに過ぎないことに気づきました。しかし彼女の家族以外に、多くの彼女と接している同修は誰もが彼女は利己的で、温和ではないことに気づいていませんでした。それは一つの大きな隠された危険、大きな名を求める心が働いていたからです。しかし私は実修していないため、それを見分けることができず、それほど大きい問題だとは思いもしませんでした。

 2008年のある日、Aさんは突然警察に強制連行されました。私と多くの同修は非常に驚きました。法理に明るく、心性が高いと思われていた同修がどうして迫害されるのだろうか? ある日、同修Bさんに会いました。Bさんも私達の近くにいましたが、ただ接することはほとんどありませんでした。当初、明慧の真相資料がない頃、彼女はAさんと協力して、自分で真相資料を編集、印刷し、配ったりもしました。しかし、彼女は私達のグループの中で排除されていました。私は情に執着していたため、Bさんのことを知らないのに、他人の言うことをそのまま受け入れ、頭の中にBさんに対するマイナスイメージを多く持っていました。私はBさんに自分の疑問を話してみました。すると、彼女の回答はまたもや私を驚かせました。その驚きは、Aさんが迫害されたことに劣りませんでした。彼女は「私はAさんをとても敬服していました。彼女は苦に耐えられ、しかも辛抱強く、継続して仕事をすることもできました。しかし、あなた達は1枚岩の狭いグループを作って、いかなる忠告も耳に入りませんでした。知っていますか? あなた達のような法理で交流してはいけません。現在、私に見えたのはこれだけです」と言いました。

 「法に基づいて交流しなければ、駄目ではありませんか? これのどこが間違っていますか?」私は自信を持って反論しました。

 「真相を伝える時の経験や体得、心性を高める時の師父の法理に対する理解などを交流すべきだと思います。しかし、あなた達は師父の法理に対する交流で、私はこう認識している、あなたはああ認識している、結局、Aさんの認識が素晴らしいと思い、全てAさんの認識に統一されてしまいました。このように交流することができますか? これが法に基づいた交流ですか?」 これがBさんですか? とても「普通」のBさんが悟っている道理は、私には分かったような、分からないようなものでした。私は以前のように上から目線で、見くびった嫉妬する目で彼女を見ないようになりました。

 多くの人の崇拝する心理、Aさん自身の名を求める心、自己を実証する心が旧勢力に隙に乗じられ、Aさんは1年間の労働教養を科されました。その期間、私達の仲間は全員で救援する意識もなく、それぞれ自分の観念でAさんのことに対応していました。私は彼女の常人の家族に合わせ、関係者にお金を贈るようにと求め、もちろんそれはすべて無駄でした。私は少しも自分を修めることなく、考え方も法に沿っていませんでした。かえって、私達のグループ外の同修達が、Bさんも含め、正念を持ってAさんを救援しました。これは、旧勢力が凶悪な方法で本人と周囲の関係者に執着心を取り除かせている、つまり迫害していることでした。私達は法の中で自分の崇拝する心、依頼心、男女の情などを正して、初めて旧勢力の迫害を否定することができ、内外の同修すべてが正しい道を歩めば、初めて同修Aさんを救出することができるようになります。

 二、法理をうまく言うことは、内に向けて探し、よく修めていることと同じではない

 いろいろな人心及び方法ではAさんを救出できず、望みのない中、私は救援を放棄せざるを得なくなりました。しかし、みんながAさんに対して「心が動ぜず」となると、旧勢力も我々に対して、「試練」を与えなくなりました。Aさんは労働教養所の中で自ら早く出たいという焦る心を正し、常人の家族が関係者に「お金」を贈り、Aさんは解放されました。当初、私達はさんざん「お金」を教養所に贈ろうとしましたが、まったく効果がなく、今度はAさんに対して何もしなくなると、彼女はかえって解放されました。それは決してお金の力ではありません。大法弟子はどうして常人社会でも変異と見られる「お金」を贈ることができるのでしょうか? 未来の人にどんな手本を残そうとするのですか? その時の私の心性はとても悪く、修煉者としての心性の基準が低すぎて、法を正す時期の修煉の意味もさらに分かっていませんでした。これが過去の小道の修業であれば、戒律を犯すことになるでしょう。とっくに山門から追い出され、修行の資格を失ってしまったでしょう。師父の大きな慈悲があるからこそ、私は引き続き修煉することができたのです。

 Aさんが帰って来た後、私は彼女に対する情を完全に取り除くことができず、彼女に早く自分を調整してもらい、もとのイメージに回復して欲しいと望んでいました。しかし、Aさんの状態はとても良くなく、名を求める心が彼女に大きなプレッシャーを感じさせ、まだ難関から抜け出せそうもなく、ほとんど法をもって物事を考えていませんでした。私はまったく理解に苦しみました。ふだん実修しない私にはもちろん慈悲心もなく、難に陥っている同修のことが理解できず、説教でAさんを変えようとしました。「あなたの法理はいったいどこに行ってしまったのか?」「正念はどこに行ってしまったのか」と心の中で考えていました。考え方は正しくないのですが、彼女への執着心が次第に取り除かれていき、そのため、法理をうまく言うことと、内に向けてよく修めることとは等しくないという、こんなに簡単な道理が分るようになりました。

 Aさんと共に協力して、法を実証する過程を振り返って、私は「なんらかの縁によって、旧勢力が私達を一緒にいさせて、試練を与えようとしました。しかし、同時に師父がこの按排を利用して、私達に修めさせようとされ、それによって旧勢力を否定した」と悟りました。しかし、長い間、内に向けて探さないことが法の要求に合致していないため、旧勢力はそれを掴んで我々を迫害しました。心性が下がった最大の原因は、邪悪の要素が少なくなって、私は安逸心が大きくなり、私が学法と修煉を緩めたことにありました。その起因あるいはきっかけは、党文化による物事の考え方、話し方が私の頭の中で強く働いたからです。このような基準で物事を見る場合、法理がよく分かって、よく話せる人であれば、その人はよく修めていると思い込み、次第にその人を手本にし、崇拝するようになりました。人に学んで、法を学ばず、またほかの人心も生じてきました。師父の「心性の高さは功の高さ、これは絶対の真理です」[1]をもって量っていませんでした。

 (続く)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/8/30/278840.html)
 
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