文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年3月20日】私は一時期、あるグループの切磋琢磨に参加したことがあります。昨年、そのグループの十数人の同修が強制連行されました。
当時、明慧ネットには法を乱す行為に対して、指摘する文章が次から次へと掲載されていました。それらの文章を読んだ後、私はとても苦しく感じました。私は本当に間違っていたのでしょうか? 私は一時期、明慧ネットの同修がどうしてこのような文章を掲載したのか不満に思っていました。私は明慧ネットの同修にメールを送り、それらは法を乱す行為ではないというメールを送信しましたが、その後、明慧ネットにはいかなる声明もなく、私は更にがっかりました。
昨年、上記の強制連行事件発生後、私は他地区から故郷に帰ってきました。故郷の同修は私と交流し、私に反省するよう勧めましたが、私は断固として拒否し、同修と言い争いました。
私は苦しみのなかで、師父の説法を大量に勉強しました。師父からの慈悲なる啓示の下で、私は大法に符合していない自分の漏れを見つけ出すことができました。
一、近道を歩もうとして法に対する同修の認識を聞く
同修の紹介で私はよその同修のAさんと知り合いました。一時期、私は『轉法輪』を学んでも法理が悟れませんでした。法に対するAさんの認識を聞いて、豁然たる感覚を覚え、学法しても眠くなくなり、学法することが好きになりました。実際、Aさんと切磋琢磨したあと、故郷に帰って、着実に修煉すべきでしたが、当時は更に多く知っていたほうがよい、多くの法理が分かれば、更に高く修められると思いました。実際は、師父のおっしゃった「心性の高さは功の高さ」[1]ということを忘れていました。心性の向上に力を入れず、法理について切磋琢磨することを追求する心が生まれ、現地で部屋を借りて、Aさんにもっと教わろうと決めました。
そちらに住んでから、私は毎日法を学び、法を暗記して向上がとても速いと感じました。同修の述べた法理に対する認識はとても高いと思い、常にその同修と切磋琢磨した時の彼の認識を思い出しました。場合によっては、法のある部分について、Aさんの理解を教えてほしいと思い、法理に対するAさんの認識をむりやり覚えて、ほかの同修に伝えていました。その後、『轉法輪』を学ぶと、法理に対するAさんの認識が自ずと飛んできて、法に対する理解がしばらくの間、あるレベルに留まっていました。
しばらくして、上記の強制連行事件が発生しました。
Aさんが強制連行されたのち、私はAさんが早く出てくることを望み、出てきたら、引き続き法理について切磋琢磨できると思っていました。しかも、自分より法理が分かっていると思う同修に追随して、彼らの認識を聞き続けました。いま振り返ってみると、近道を歩もうとして、苦しい環境のなかで、着実に修めることを通じて、法理を悟ろうとしなかっただけでなく、かえってAさんの歓喜心と顕示心をも助長しました。
二、Aさんを崇拝し 師父の按排された修煉の道を歩まず
Aさんは正念を持って正しい行いをし、現地の修煉者と協調して同修を救援し、衆生を救い済度するなかで非常によく行いました。人を救うための資料を大規模に作成し、衆生を救う力はとても大きく、該当地区の邪悪な情勢を改善しました。これらをみて、私は崇拝の心が生じ、Aさんやそのグループのなかにいると、恐怖心が少なくなりました。Aさんと一緒にいれば、迫害されないと思いました。後になって、不安なことはすべてAさんに解決してもらい、自分の恐怖心を修めませんでした。みながいつも一緒にいて、常にAさんの按排したプロジェクトに参加し、法を実証する自分の道を歩むことができず、師父の要求される大道無形の道を歩まなかったのです。
崇拝の心があったため、Aさんに存在する問題に気付いても、恥ずかしがったり、あるいは言う勇気がなくて、指摘することができませんでした。たまに指摘するとAさんに拒否されました。こうして、Aさんに意見を言うことをやめ、ひいてはAさんを守りはじめました。たとえば、家庭関係のバランスをとることにおいて、Aさんはみなに家庭から歩みだすよう励ましていました。私は長い間、両親に会いにいかず、両親に文句を言われました。また社会との関係も断絶され、ずっと他地区にいて、故郷に帰らなかったのです。しかし、当時私はこれらのやりかたが師父の法に符合していないと認識できていませんでした。同修に対する崇拝も最終的には同修に害を与えました。
三、故郷の同修を見下し 故郷の同修との間に間隔を形成する
しばらくの間、私は自分が深い法理を故郷の同修よりよく分かっていると思い、常に人を見下す心と他人を助けて向上させたい心を持っていました。故郷の同修からの指摘とアドバイスに直面した際、非常に腹が立ち、怒りを覚えて、そこを去りました。再び彼らに会いたくないと思い、彼らには自分の前で話す資格がないと思っていました。闘争心が非常に強く、こうして故郷の同修との間に間隔が形成されました。
師父の説法を学んで、「学習者はみな、わたしの法身の按排によって系統的に修めているのですが、ただ一部の学習者が悟らず、または感じていないだけのことです」[2]が分かりました。同修を助けて向上させるという心は修めるべき執着であると分かりました。
師父は大法弟子に一体をなすように要求されていましたが、私は師父の要求に従わず、自分の観念と執着に左右されて、自分で自分をわきまえることができず、故郷の同修との間に間隔を作ってしまいました。その結果、そもそも仲がよかった故郷の同修と全体的に協調して、衆生を救い済度し、反迫害の仕事を実施することができませんでした。
強制連行事件の発生後、現地の同修は長期にわたる恩と恨みを放下し、自ら私たちのところを訪れ、協力し合い、協調するよう望みましたが、私たちは現地の同修は法理がはっきりせず、救援の仕事を実施できないと思い、彼らの救援活動を否定したため、救援活動が順調に進まなくなりました。
これほど多くの問題とトラブルに直面して、私は問題の深刻さを認識しはじめました。大量に学法すると、慈悲なる師父は絶えず私を悟らせてくださいました。私は絶えず法理のなかで自分を正しました。トラブルが発生したのは私が内に向けて探さず、自分を修めず、法理を持って他人を指摘していたことに原因があると認識できました。私は絶えず崇拝する心、人を見下す心、自分が他人より高次元の法理を知っていると思う心、外に向けて探す心、闘争心などを取り除きました。最終的に、自分はただ大法のなかの、小さな小さな一粒の粒子であり、認識できた法理はとてもとても低いこと、また人を見下し、自分が高い法理を知っていると思い、他人を助けて向上させるというのは本当に高慢で身のほど知らずで、いかに危険だったかを認識できました。私は自ら故郷の同修に会いに行き、みんなで学法グループを作り、間隔をなくしました。絶えず内に向けて探し、着実に自分を修めたため、師父は絶えず私に法理を示してくださいました。現在私は故郷の同修と協調して、共に師父の按排された修煉の道を歩んでいます。危険の瀬戸際から私を救ってくださった、慈悲なる師父に感謝いたします。
紙面に限りがあるため、個人が悟ったいくつかの問題だけ述べています。切磋琢磨に参加していた同修らに参考として書きました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「猛撃一掌」