文/河北省の大法弟子
【明慧日本2015年6月30日】私は貧困家庭に生まれ、7歳の時に、父親は私と二人の姉、二人の兄、そして病弱な母親を残し、この世を去りました。経済的に貧困だった私は小学校三年で退学しました。18歳の時のある日、私はお手洗いに行って、一瞬にして意識不明になり、頭が痛くて、毎日寝られず、精神がもうろうとし、治療不能だと言われました。
19歳の時、私は知人の紹介で隣村に嫁ぎました。結婚すれば、主人に面倒を見てもらえると思ったのですが、それどころか、主人は毎日煙草も吸えばお酒も飲み、私に対しては殴りたければ殴り、罵りたければ罵り、私を人間扱いしませんでした。私の病状はますます悪化し、狂う寸前でした。こうして、私は苦痛と罵り、暴行の中で苦しい日々を送っていました。
その後、私は娘を産み、主人は態度を改めてくれると期待したのですが、反対に、彼はますます私を苦しめるようになりました。家庭の劣悪な環境で、私の二人の娘は相次いで早死にしました。それから、私は養女を迎え入れ、息子を生みました。その間、病状の悪化で、私は三回も瀕死状態を経験しました。私の主人は全く気にしてくれませんでしたが、毎回、私は奇跡的に生き残りました。
病による苦しみ、子供を失う苦しみ、主人の暴力、母を失い、そして周囲の人々の冷たい視線を受け、私はまるで刃物の上で生活している気分で、生きるより死んだ方がましだと思っていました。当時の私は本当に狂気じみており、医者の話によれば、意識と思惟の無い植物人間だったそうです。主人は私を嫌がって家から追い出し、私はもうろうとする中でそのまま家を後にしました。
私の身体には良いところがなく、目がはっきり見えず、体に赤い線が走り、頭がはっきりとせず、眠れず、忘れっぽく、喜怒はなく、それに加え、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、鼻炎、口腔潰瘍を患い、ご飯も食べられず、婦人病などの病気もありました。
私はゴミを拾いながら生きてきて、北京まで放浪し、そこで同じくゴミ拾いのある優しい人に出会いました。彼は「あなたはここまで病んでもゴミを拾うのですか」と言い、親戚を紹介してくれました。私はその親戚に家政婦として雇われ、やっとゴミ拾いの放浪生活を終えました。
その親戚のおじさんは熱心な人で、法輪大法を修煉していました。彼は私に大法の素晴らしさを紹介し、「あなたも学んでみて下さい。きっとたくさんの恩恵を受けますよ」と言い、学法や煉功を教えてくれました。
こうして、私は1997年の8月に大法の修煉を始めました。師尊は何回も私の体を浄化して下さり、鼻から膿と血が混ざったようなものを除去して下さったのは十数回にわたり、喉からガラス玉のようなものを二つほど吐き出したこともありました。修煉して半月も経たないうちに、私の持病の全てが消え、ぐっすり眠れるようになりました。また、まともに歩けなかった私は、風に乗ったように速く歩き、若者もついて来れません。知人が見分けられないほど、私は変わりました。
慈悲なる師父は私に、二度目、三度目、四度目の命を下さり、師父に感謝致します。
今の私の毎日の任務は、学法、煉功、発正念、そして真相を伝えて衆生を救うことであり、厳寒であろうと、酷暑であろうと、雨が降ろうが雪が降ろうが、風雨に阻まれず十数年続けてきたのは、宇宙で最も羨ましがられる生命、すなわち法を正す時期の大法弟子として生きることです。