江沢民はどれほど罪のない家庭に害を加えたか
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文/明徳

明慧日本2015年7月30日】

 江沢民が法輪功への迫害を始めて以来、中国共産党が行った耐えがたい100あまりの拷問法と生体臓器狩りは人類史上で最も残酷なものである。

 しかし、法輪功学習者たちが受けた苦難はこれだけに止まらず、かれらの家庭や親族たちに与えた苦痛は大変なものだった。肉体的苦痛より精神的苦痛のほうが耐えがたいものだ。

 今や止まることを知らない江沢民告訴の潮流の中、多くの法輪功学習者は「一家離散や家庭崩壊の苦痛」「幼い子供が孤児になり精神障害を起こした事実」「年老いた父母が苦悩のうちに亡くなった」ことなどの悲惨な被害を訴えた。

 2000年10月、私は警官に手錠をかけられたまま実家に連れて行かれた。母親は大変な恐怖で全身の震えを抑えることができなかった。警官が私を連行して家を離れた後、母親は頭が全く空白になり、転倒して右手を骨折した。その後、地元警察が電話を掛けて脅したとき、母親は娘が死んだと思い、悲しみのあまり家の前で麻痺状態になり歩くこともできなかった。

 山東莱蕪の欒慶玲さんは、告訴状のなかで娘を世話する人がいなかった悲惨な境遇を述べた。拘留されている間、警官たちは仕事や金銭で夫に離婚するように脅した。離婚した後、娘は世話をしてくれる人がいない生活を送った。当時娘は4、5歳だった。昼間は外で、はてもなく走りまわり、父親が夜勤で不在の時は1人で寝た。ベッドから転がり落ちてしばらく泣いているとき、周りに大人がいないと気づいて、布団を抱いて黙ってベッドに戻った。母親がそばにいないことが分かり、決して大人の前で泣くことはしなかった。欒さんが刑務所から出て、娘に会ったとき、「母さん! 毎日寂しかった! どうしてほかの人には母さんがいるのに、私だけいないの? 母さんのことを思って寂しくて布団の中で内緒で泣いたよ。下校途中も人のいないところで泣いたんだよ」と泣きながら言った。

 以上二つの事例は、無数の家族が背負った痛みの中のほんの一部である。この過酷な弾圧で無数の法輪功学習者の家庭は不幸に遭った。例えば告訴状を見ると「精神崩壊になりなんども精神病院に入った母親」「親族を心配するあまり幾つもの病気にかかった父親」「自分の子供の名前を呼びながら、子供に会えぬままこの世を去った親」「保護者がいなくなり差別や侮辱に遭い、酷い場合には家を失った子供たちがいる」などの実例がある。これらの子供たちは、明朗活発な時期にすでに口数が少なくなり、成長して大人になってからもトラウマになった。こんなトラウマはもしかしたらこれらの子供たちにとって生涯、離れないかもしれない。これらの不幸な親や子供たちはすべてこの迫害の被害者である。自分の親や子供が背負った不幸は法輪功学習者たちの痛みになった。

 江沢民が法輪功学習者に加えた迫害は決して不法拘留や拷問虐待だけでなく、親族への人権蹂躙もあった。何千万人の法輪功学習者だけでなく、親族も含めれば膨大な人数になる。これらの法輪功学習者や彼らの親族が受けた苦しみは、16年にわたってなお続いている。それは5千日余りの日夜である。江沢民はどうやってこれらを償い返すというのか?!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/6/16/310962.html)
 
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