文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年9月16日】私が結婚して間もなく、姑の親戚が法輪功を学び始めました。それから姑も学び始め、2人はいつも『轉法輪』を読んでいました。しばらくすると、字が読めない姑が読めるようになりました。そのとき自分勝手な私は、畑仕事が多いのに、いつも半日も出かける姑に反感を持っていました。そのため、どのようにして字を覚えたのか不思議に思いながらも、姑に聞こうとはしませんでした。
それから1999年7.20に迫害が始まり、毎日、テレビで法輪功を誹謗中傷する内容が放送されていました。それでも動揺しない姑は、固く法輪功を信じ、夜中に起きて煉功し、本を読んでいました。私は中国共産党の邪悪の宣伝に騙されて姑の修煉の邪魔をし、小遣いもあげなくなりました。それでも姑は気にせずに知人から汽車代を借りて、真冬の寒さの中、北京へ向かう汽車に乗りました。
その時の私は、姑がなぜ法輪功を堅持するのか? なぜ北京へ行くのか? 何をしに北京へ行くのかも分かりませんでした。家族が北京から姑を連れ帰ってから、中国共産党の党員は私に「姑に修煉させないように。『姑が修煉しない』と言えば、帰宅させる」と言いました。真相を知らない私と家族は、方法を尽くして姑を説得しました。しかし、姑は何も言わず、ただ慈悲にあふれた搖るぎのない目で私と家族を見ていました。
最終的に姑は何も言わず、共産党員に連れて行かれました。さらに私たちは、中国共産党に協力して、大法の本を全部渡しました。後になって自分がどれほど愚かなことをしたのかが分かりましたが、姑は修煉を堅持したため、いろんな拷問を受けて死亡しました。
そのころ、私の実家の人が相次いで修煉を始め、絶えず不思議なことが起きていました。私は姑を迫害したため悪の報いを受けました。若いのに体は病気だらけでした。このような状況下で、私はようやく大法のことを意識し始めました。姉たちは学歴があるので、姉たちの性格を考えると、良くないものだったら決して受け入れるはずがありません。姑の固い意志も思い出しました。私は何回か面会に行きましたが、姑は後悔したようなことは一言も言わず、迫害により骨折しても後悔していませんでした。
姑は、一体何が支えでそんなに固く信念を堅持することができたのでしょうか? かつて姑は多くの不思議なことを話してくれましたが、私は摩訶不思議にしか思いませんでした。私は多くの不可解な疑問を抱いていましたが、実家に帰って姉たちと話し合い、法輪功を探究したいと思いました。
実家に帰ると、姉たちは私も知っている多くの不思議な出来事を話してくれました。事実の前で疑う余地がありませんでした。姉たちは『轉法輪』を持ち出してきました。私は最後まで読んで何も悪いと思うところがなくこれは修煉する本だと分かりました。それから私は姑に対する見方が変わり、修煉を始めました。しかし、残念なことに私が修煉を始めたときには、姑は亡くなっていました。
修煉を始めると、師父はすぐに体を浄化してくださいました。体から黒い血が流れてきて、それは1カ月間続きました。それから妊娠して、娘を出産しました。娘はとても賢く、今『論語』と『洪吟』の中の多くの詩を暗記できます。娘は業を滅される時、師父と法を固く信じ動揺したりしません。一度、娘が熱を出してお腹が痛くなり、一日中嘔吐しました。しかし師父にお願いすると、すぐに治りました。
ある日、私は突然寒気に襲われ、インフルエンザのような症状が現れました。寒気のあと高熱を出して痙攣を起こし、耐えられないほどの痛みでした。でも主意識がはっきりしていましたので、心を正しく持ち、私を迫害する他の空間の邪悪を解体するように発正念をしました。私は、師父と大法を固く信じ、大丈夫だと思いました。しばらくすると本当によくなりました。
姉に「煉功しなさい」と言われて煉功すると、腕が棒のような硬さでした。しかし第一式が終わると、腕は柔らかくなりました。師父が何回も第6講を読むようにと告げてくださいましたので、煉功を終えてから『轉法輪』を手にし、第6講を読みました。そして色魔の妨害だと分かりました。色欲の心と他の空間の色魔と怪しい鬼らを解体するよう正念を発しますと、直ちに治りました。私は再び大法の不思議さと神聖さを感じました。師父と大法を信じる信念も増しました。
いま、私は毎日電話を使って真相を伝えています。時間を大事にして煉功し、法を学んでいます。多くの衆生を救い済度できるように、絶えず法で自分の正念を増しています。私は法を正す時期の大法弟子がやるべきことをやり遂げ、師父と元の家に帰れるように頑張っています!