明慧法会|努力して師父の教えに到達する(二)
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2015年9月26日】(全文に続く)

 この間、ある農村の同修が真相資料を配っていた時、真相がわからない村の党支部の書記にぬれぎぬを着せられ、地元の警官に警察署まで不当に連行されました。その時、警察署長が不在だったので、警官が公安局国保に電話すると「『610弁公室』に電話してください」と国保の人員に言われ、警官が「610弁公室」に電話すると「資料を配っていたことぐらいで、相手にするな!」と「610弁公室」の人員に言われました。それでも警官は、同修に手錠をかけ独房に拘禁すると、ちょうどそこへ警察署長が帰って来て「手錠をかけるな!今の法輪功は以前とは違う」ときつく言いました。

 警官は怒りましたが、どうすることもできず、同修を釈放するしかありませんでした。このほかに、警察署の警官が地元の同修を不当に連行した後、警官の上司に報告し、手柄を立てようとしましたが失敗しました。無条件に釈放した事例は、今年2件発生しました。

 このように「全体的総合的に指摘」し、世の中に暴露する方法は、私たち地元の空間場をさらに清らかにしました。そして、地元で真相資料を配り続けて、世の中に暴露する方法は、すぐに人々の関心を引きました。農村であろうと、職場であろうと、団地であろうと、家庭であろうと、政府機関であろうと、至る所で、悪漢たちを暴露する真相資料を見る事ができました。人々は悪漢たちの悪行について、議論紛糾し、あれやこれやと話したので、悪漢たちは人々の前で顔を上げられなくなりました。私たちは中国共産党の悪行を暴露し、真相をはっきりと伝え、迫害を制止する目的に到達しました。

 例えば、地元の国保隊長は何年もの間、法輪功学習者を不当に連行し、迫害して来ており、その数は100例近くあります。明慧ネットで暴露した事例を集計しただけでも、その国保隊長がゆすりとった金銭は何十万という金額になります。さらに、偽証をでっち上げ、何十人という法輪功学習者を不当に労働教養所に送り、十数名の法輪功学習者に不当な懲役刑を受けさせました。私たちはその国保隊長の悪行を「全体的総合的に指摘」すると、その悪行はすぐに社会で大きな関心を集め、人々は議論紛糾し、ある人は「こいつが法輪功学習をゆすったお金は数十万だなんて、なんて悪い奴なんだ!」と言いました。

 人々に悪人のひどさが充分に見えるようになり、警官たちの貪欲さ、ならず者ぶり、恥知らずな醜い顔が見えるようになりました。「全体的総合的に指摘」することを多くの悪人や警官たちは予測していなかったため、すぐに悪人や警官たちを震え上がらせ、私たちのゆとりある修煉環境を開き、さらに衆生を救い済度する環境を開きました。最終的に、より多くの人を救う目的に到達し、これこそが師父の教えを円融する事なのです。

 四、頑張って明慧ネットにアクセスするよう同修を励まし、小さな花を咲かせた

 師父は「明慧ネットの真相を伝える時の作用を代替するものはありません」[4]と私たちに教えてくださいました。ですから、2005年から、明慧ネットにアクセスすることが私の毎日の必修の仕事になりました。明慧ネットにアクセスするようになってから、明慧ネットの一篇一篇の投稿のエネルギーがとても強いと感じるようになり、修煉の向上がとても速くなったと感じたので、私は明慧ネットにアクセスするよう同修を励ましました。

 それまでは、私たちの60%の同修が明慧ネットにアクセスしていました。そして、その60%の同修の内プリンターを持っている同修が72%おり、さらにその中の多くの同修がレーザープリンターとインクジェットプリンターの2台を持っており、さらに何人かは3台目(A3インクジェットプリンター)を持っていたので、基本的に、私たちが衆生を救い済度するための資料は十分に足りていました。真相資料はすべてカラーでした。『共産党についての九つの論評』、『同化法光』、『絶処逢生(九死に一生を得る)』、『解体党文化(党文化を解体する)』、『江泽民其人』など、資料に対する私たちの要求を満たしているほかに、一部分をその他の地域の同修に提供していました。毎年旧正月になると、卓上カレンダーとA3版のカレンダーを大量に制作しました。今年の明慧の定期刊行物の改訂版について、私たちはすぐに準備をして、カラーインクジェット用光沢紙をブックカバーにして、私たちの所にあるすべての真相定期刊行物を、すぐに一定の水準に仕上げました。人々に配るとびっくりし、それはそれは美しい景観でした。

 種々の原因があって、人が少ない山間部では資料拠点の発展が比較的遅く、その原因の中には経済的な制約もありますが、その他に心性上の問題もありました。どんな原因があるかに関わらず、山間部の同修に、明慧ネットにアクセスしたいという願望がありさえすれば、私は尽力して同修を助け支えました。

 数年来、私は共通の認識を持つ数人の同修と一緒に、多くの資料拠点を助け支えてきました。私たちが助け支えてきた山間部の同修は、それぞれ状況が異なり、ある同修は一式(パソコン・プリンター・紙裁ち包丁・ホッチキス・印刷用紙・トナーなど)で支えなければなりませんでしたが、このような同修は、物を送り同修に操作を教えさえすれば、すぐに真相資料を作れるようになりました。またある同修は部分的に支え、経済条件が悪くないのであれば、心性が良くないのが原因なので、私たちは主にパソコン関連を支え、まず同修がインターネットをできるようにしました。なぜなら同修が明慧ネットを見る事ができるようになれば、すぐに心性が向上し、その他の問題もすぐに解決されたからです。

 山間部にいたある同修は、家庭の経済条件が悪く、インターネットに対する意識はあったのですが、それほど切実には考えていないようでした。この知らせを知った後、私は地元の同修と切磋琢磨して、山にいた同修のところまで、交流するためにわざわざ行き「『花を咲かせる』ことは師父が中国の大法弟子に対して待ち望んでいることですから、大法弟子の基準に照らし合わせて、自分に要求していくべきだ」ということを、山間部にいた同修に認識してもらいました。

 すると、山間部にいた同修の心性が向上したので、私は一式の設備を買って送り「花」を咲かせた後、同修は精進しました。明慧ネットのエネルギーが、山間部にいた同修をとても速く向上させ、資料の供給に関する問題は解決し、さらに本人も福報を得て、家庭の収入も大幅に向上しました。

 それから、ある山奥の地域で、数十キロの週辺に4、5名の同修がいて、その地域の衆生を救い済度する重大な任務を担っていました。実際、その同修たちの経済状態は悪くなかったのですが「恐れる心」のために「花」を咲かせずにいたのでした。

 そこは県庁所在地から100キロ以上も離れており、資料を取りに来れる最も近い場所にいる同修でも、往復30キロの道のりが必要で、道が険しく厳しかったのです。その山奥の4、5名の同修は皆、高年齢で不便でした。同修たちがいる場所はそれぞれ違う地域なので、同修たちは互いに面識がありませんでした。数年前、私は山奥の同修たちと連絡を取ったことがあり、山奥の中でも最も近い所にいる同修の所に行って、資料を渡しました。しかし、十数キロの山道を行かなければならず、そこで目にした『明慧週刊』はすでに、一週間から二週間古いものであり、さらに古くなった資料もありました。

 法を正す進展の急速な推進に伴って、私は山奥の同修たちを助け、資料拠点を設立する考えが生まれました。私たちの地域にいる一人の同修(その山奥はその同修の故郷)に山奥の同修の中から、最も精進している同修を選んでもらい、一緒に山奥へ行き、法の上で切磋琢磨して「花」を咲かせるよう山奥の同修を励ましました。認識が一致したので、私はすぐさま設備一式を買って山奥が故郷の同修に送り、そしてまた、一輪の小さな「花」が咲きました。

 実際、私たち同修の大部分は高年齢です。ですから、あの山奥の険しい山道は交通も不便で、資料を取りに行ったり、送ったりするのがとても困難でした。山奥の同修が「花」を咲かせてくれさすれば、根本から問題は解決したのです。また、別の山奥では、一帯に6、7名の同修がいましたが、みんな異なった場所に散らばっていました。私が連絡を取った同修は、毎週50~60キロの山道を資料を取りに行かなければなりませんでした。誰が適任なのかなかなか決められませんでしたが、その山奥の地域では、その同修だけが資料作成に適任でしたので、私は地元の協調人の同修に相談し、その同修が「花」を咲かせることができように支えました。

 「同修が花を咲かせるのを手伝った結果、一つ目は、同修が常に明慧ネットを見る事ができるようなったので、心性の向上が速くなったこと。二つ目は、師父の最新の経文や『明慧週刊』をその土地の同修がすぐに見られない問題を解決したこと。三つ目は、その土地の真相資料が明らかに増え、私たちが『多く人を救う』という師父がお求めになっている目的に到達したこと。四つ目は、同修が遠い道のりを資料を取りに行ったり、資料を届けたりするのを避け、時間が節約でき、体力の消耗を軽減したということを、数年来の実践を通じて体験会得しました。そして、五つ目は、資料拠点が「いたるところで素晴らしい展開ぶりを見せる」という師父のご期待を円融したということでした。私は「花を咲かせたすべての同修が、法をよく学んでいることが保証されている前提の下で、明慧ネットをいつも見る事ができれば、それは、速くそして着実に向上できる道である」ということに気が付きました。

 総じていうと「師父の教えの通りにしっかりと学法し、法をよく学ぶことはすべての基礎であり、保障である」、「多く発正念し、自分の清浄な空間場を保つこと」、「師父が仰った三つのことを、まじめにしっかりとバランスを保って行い、どれか一つでもおろそかにしてはならず、どれか一つでも落としてはならない」ということが、私が体得したことです。マイナス思考をほとんど出さず、大法弟子がやるべきことを行う事によって「いかなる心も放棄し、何も考えず、ただ大法弟子として行なうべき全てを行なえば、全ては既にその中にあります」[5]という洪大な法理を理解しました。

 師父は「私は口ばかり達者で実際に行動しない人を好まず、ずる賢い人も好きではありません。私は純朴で足が地に着いた人が好きです」[6]と説かれました。限られた時間の中で、法の上で着実に修煉し、一思一念しっかり修煉し、師父の教えに従ってじっくりと修煉の一歩一歩を安定的にしっかりと進み、自分が修煉を始めた時の修煉状態を取り戻し、師父の手をしっかりつかみ、師父の足跡をしっかりとたどり、一歩一歩を正しくしっかりと歩み、一歩ずつを大切にし、自分の責任を果たし、できるだけ心行くまで行い、師父をご安心させる大法徒になります。

 適当でないところは、同修の慈悲深いご指摘をお願いします

 ありがとうございます。

 師父、ありがとうございます。明慧、ありがとうございます。

 同修の皆さん、合掌!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨二』「北ヨーロッパ法会の全ての学習者へ」

 [2] 李洪志師父の経文:『各地での説法七』「二〇〇六年カナダ法会での説法」

 [3] 李洪志師父の経文:『精進要旨二』「理性」

 [4] 李洪志師父の経文:『各地での説法五』「二〇〇四年米国西部法会での説法」

 [5] 李洪志師父の経文:『導航』「ワシントンDC国際法会での説法」

 [6] 李洪志師父の経文:『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」

 (明慧ネット第10回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/9/281990.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/26/143391.html)
 
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