文/オーストラリアの大法弟子
【明慧日本2015年9月25日】尊敬する師父こんにちは、同修の皆さんこんにちは。
私は1995年に修煉を始めました。大学で英語を専攻し、卒業してから国際ラジオ局で働き、1976年にカナダに留学し、1988年にオーストラリアに来ました。1995年に義理の両親が北京からわざわざオーストラリアまで来て法輪功の動作を教えてくれました。今振り返ってみると、すべては海外で法を広め、衆生を救うようにするための伏線だったと思います。
私は修煉を始めてから10年間、毎日一講の『轉法輪』と新経文を学び、毎日5式の煉功を続け、その後の修煉の道に堅実な基礎を築きました。
私の修煉は数回の魔難があった以外に、比較的穏やかでした。早期には法を広め、迫害が始まってからは真相を伝え、正法の進展に従って歩んできました。2012年の8月にいきなり、私は地元の第一協調人になりました。今までの平穏な修煉の道に波紋が広がり始めました。今日師父と同修たちに責任者になってからの体験を報告したいと思います。正しくない部分は同修たちの慈悲なるご指摘をお願いします。
私は比較的内向的な人間で、無口で、協調人になりたいとは思っていませんでした。しかし、いきなり協調人を任されて、どうすればいいか分かりませんでした。以前協調人の仕事をやっていましたが、第一協調人に協力する作業で、第一協調人ではありませんでした。責任者になってから師父の按排の理由が分かりました。師父 は私にある執着心を取り除くように、また地元の同修と衆生を救う過程で大きな威徳を築くように機会を与えてくださったのです。
修煉を始めたころ、多くのことをどのように行えばよいか分かりませんでした。しかし大法を修煉する中で、いろんな面で成熟しました。私は記者出身で、国の上層部の人や、大統領にも取材したことがありましたが、みんなの前で発言するのは本当に苦手でした。みんなの前に立つと口を開くことが出来ず、話したいことも忘れてしまいました。そのうちに、自ら進んで話したくなり、大きな集会でスピーチができるようになりました。第一協調人になりたかったわけではありませんが、新しい挑戦にくじけることなく、その中で自分を向上させ、成熟して師父の期待に背かないようにしようと思いました。
一、協調人は自分を着実に修めなければならない
第一協調人になってから一番の課題は私に協力しない人に対して、心から不平不満に思うことでした。このような時、一部の同修は私の味方になって、だれそれがこのようにするのは間違っている、あなたは以前その同修をあれほど助けてあげたのにと私の代わりに不平不満を言ってくれました。このような話は私の心に火をつけ、同修に対する不満は一層高まり、自分は理にかなっており、同修が間違っていると思いました。これは人心を修める機会なのに、うちに向けて探すことを完全に忘れてしまいました。
師父は『精進要旨』「責任者も修煉者である」の中で次のようにおっしゃいました。「トラブルがやって来たとき、あなたを向上させるため、あなたの心に触れなければ同様にいけません。大法の仕事もあなたの心性を向上させる良い機会なのです」
自分が思い込んでいる理にかなっているとはなんでしょうか。人の理です。私が相手によく対処したから相手も私によくすべきだと思っていました。実は修煉の要素以外に、業力の因縁関係がその中に含まれているのです。心を静めて考えると、私達の修煉の道は師父が私達の向上のために按排してくださったのです。師父は私が人の中から抜け出るように按排されたのに、私はトラブルに遭って外に向けて探し、トラブルを外に押し出してしまいました。認識が向上してから、表面上では問題が解決されたようにみえましたが、心の底にはまだ何かが残っているように感じました。
師父は『北米第一回法会での説法』で次のようにおっしゃいました。「もし修煉者が表面では放下しているだけで、内心ではまだ何かを守り固守していて、自分の最も本質的な利益が傷つかれないようにしていれば、皆さんに教えますが、これは偽りの修煉です! 自分の心が動じなければ、少しも向上することができず、これは自らを騙しているのです。真に内心から向上することだけが、本当の向上なのです。ですから、皆さんくれぐれも覚えておいてください、どんな出来事や厄介なこと、不愉快なことに遭っても、または誰かとトラブルが遭った場合、必ず自分を調べ、自分を探すべきです。このようにすれば、あなたは解決されないその問題の原因を見つけることができます」
うちに向かって探すことで表面上の物を取り除きましたが、心の中の物は徹底的に変えませんでした、だからトラブルが依然として存在しているのです。私は自分を探し、捨てていない心はないか探しました。ほかの人が協力的でないと思っていることは、実は自分を中心に問題を考えているからで、相手の立場から問題を考えませんでした。自分が理にかなっていると思っていたのは、私的な人心であると分かりました。
また、このようなトラブルは私の心の容量を増やす機会だと分かりました。ある協調人と交流した時、海のようにすべての河の水を受け入れなければならないと話してくれました。自分は小さいことを不平不満に思っていることに気づき、反省しました。法理が分かり、執着心を取り除いてから、私はその不平不満の心を取り除き、真に向上してきたと思います。
うちに向かって探すなかで、師父は広大な慈悲で私達と衆生に対しておられることを考えて、私は涙を流しました。私は長年修煉しているのに、慈悲を持って同修に対したことがなく、自分と意見が違う同修に対しては、もっと態度が悪かったのでした。修煉とは自分を修めることです。他人を変えようとすることは不可能で、変えられるのは自分だけだと分かりました。私はいつも自分の一つ一つの念に焦点を当て、悪いものが出てきたらすぐに滅し、これらの悪い念が生きる場を作らないようにしています。
自分の修煉状態から、地元の人を救うプロジェクトに影響を与えてしまいました。2014年の神韻のチケット販売は予定の成果を収めることができず、値段が高い席はそれほど売れず、多くの衆生が救われる機会を失ってしまいました。私のところに問題が出て全体に影響してしまったのでした。同修の中に神韻のプロモーションに参加していない同修に対する不満は大きかったのです。同修の間に隔たりが生じ、中国人同修と中国以外の同修の間でプロモーションの方式について互いに議論しました。西側の修煉者たちは中国人修煉者のやり方はプロではないといい、お金を節約するプロモーション方式は神韻のブランドにダメージを与えると言いました。中国人の同修は西側の同修は神韻のお金を節約せず、大金を使っても効果がそれほどではないと指摘しました。実はどのようなプロモーション方式でも効果はあるのです。しかしこのような内部でのトラブルは同修たちの努力を台無しにしてしまいました。
自分が向上してから、環境も変わりました。協力しないと思っていた同修も積極的に協力して、東西の同修間の不満も少なくなりました。2015年の神韻プロモーションには大きな進展があり、5公演の高いチケットはほとんど売り切れ、全体の販売率は86%に達しました。2年の神韻プロモーションの結果から見て、主要責任者自身の修煉状態は確実に地元に影響を与えました。うちに向かって探し、自分を着実に修めてこそ、トラブルを解消する事ができます。これは私に対する一つの教訓です。協調人として、自分を着実に修めなければ、地元の全体の向上に影響を与えてしまいます。
二、同修は私のために向上の機会を与えた
協調の仕事をする中で、一番多く出合った問題は、私が進めようとする方向に動いてくれない同修がいて、私が聞きたがらない話をして故意にトラブルを起こし、私を耐えられないようにさせました。
実際は自分の執着心を暴露する機会でしたが、私は気づきませんでした。一部の人は故意に私とやり合おうとしました。しかし心を静めて同修の言葉を振り返ってみると、違う感じがありました。同修の話は理にかなっていて、確かに自分の仕事に漏れがあり、同修は確かに私のためにこのように話してくれたと分かりました。
昨年キャンベラでの法会の時、土曜日の交流が夜遅くまで続きました。終わってからホテルまで運んでくれるといった車が来ませんでした。この時ある同修は、若者たちは夜の交流に参加せず、活動が終わってからそのままホテルに行き、ここには年配の同修だけだと話しました。私が泊まる予定の部屋は他の同修が泊まり、私が泊まる部屋はないと言ってきました。この時すぐ頭にきて、不平不満を言いました。本当に修煉者ではなく、協調人ではありませんでした。 この時ある同修は私に「あなたはなぜうちに向かって探さないのですか」と言いました。私たちは昨日の夜に車でキャンベラ来て、一晩眠れませんでした。今日の日中の活動及び夜の交流で、確かに年配の同修たちは疲れています。予約した車が来ないのは私の仕事の漏れなのに、ぶつぶつと文句を言い出しました。しかし同修の棒喝に、私はかっとなって「あなたはなぜ探さないのですか」と言い返しました。私はすぐに間違っていると分かりましたが、謝りませんでした。このことから自分の修煉は師父の要求と遠くはなれていると分かりました。 最近の経歴で、トラブルをしかけてくると思っていたすべては、実際私のために向上する機会を与えてくれていたことが分かりました。本当にこれらの同修に感謝しなければなりません。悟ったら気持ちが軽くなりました。トラブルを仕掛けられたとき、相手のどうのこうのを探すのではなく、自分を見るべきです。 協調の仕事の中で起きている一回一回のトラブルで自分を修め、次第に協調人として成熟してきように感じます。修煉はまだ終わっておらず、古いトラブルが解決したら、新しいトラブルがやってきます。私は今後の協調の仕事の中で絶えず暴露された人心を取り除き、人から抜け出し、自分をよく修めると同時に、地元の同修とともに衆生を救い、師父に従って家に戻ります。
師父、ありがとうございます。同修の皆さん、ありがとうございます。