西洋の学習者「師父が私を引っ張り、前へ押してくださった」
■ 印刷版
 

文/サンディアゴの大法弟子

 【明慧日本2015年6月10日】師父こんにちは! 皆さんこんにちは!

 私は2011年11月に法輪功を学び始め、大法弟子になりました。小さい頃からアニメを見て育ち、いろいろなカンフーにはまりました。いつか自分に神通力が出たら、私も出世できると妄想していました。大学生の時に一度、道家の授業を受けて、気功や道家修煉のことも少し知るようになりました。それから学校で法輪功クラブのポスターを見た時、これはつまり私が探していたものだと分かりました。

 その時の私の健康状態はとても悪く、12年間も薬を飲んでおり、鼻アレルギーと多動性障害とうつ病を治療していました。2011年の11月に法を得たのですが、修煉上で進歩を感じたのはその1年半後です。ずっと怠惰で、麻薬・アルコールと電動玩具にのぼせていました。そのことは自分と両親を傷つけただけではなく、自分の学業も台無しにしてしまいました。私には、まず良い人になることが必要でした。師父のご指導で、私はついにこの状態を突破して修煉を始めました。

 私がなかなかこの状態を治せなかった時も、師父は私を見捨てませんでした。私が師父の説かれた「わたしはあなたを引っ張りあげたうえに、前へ押しているのに等しいことをしたと言えます」[1]を感じました。

 法を得た当初、私がたまに法を勉強し、たまに煉功していただけなので、大きな変化がありませんでした。修煉しながら多くの強い執着心を持ち続け、何も執着せずに長生きして、何の楽しみがあるのかとこの時期は思っていました。

 一年半後のある日、親友が酔っ払って車を運転しようとしました。私の彼女が彼を止めようとすると、彼は彼女を殴り、そのまま振り返らず去っていきました。この事を知った私は、自分自身のことを真剣に考えさせられました。もしアルコールと麻薬が日常的になり、理性的な人をここまで変えるなら、まだ私はどうしてアルコールを飲んだり、麻薬を使用できるでしょうか?

 私は自分を変えようと決心しました。お酒をやめて本当に修煉を始めました。そして一つの試練が来ました。1ヶ月後の私の誕生日に、私たちはレストランでお祝いをしました。友達がお酒と麻薬を勧めましたが、私は丁重に断りました。彼女が私に「誕生日を過ぎてからやめることにしたら」と言うので、私は「これはとてもいい試練だね」と答えました。

 それから彼女は時々、私がつまらない人になったと言いいましたが、だんだんと修煉しているうちに受け入れてくれるようになりました。

 次の試練も彼女と関わりがあります。数ヵ月後、師父が『ロサンゼルス市法会での説法』で、「私は旧勢力の妨害について話したことがありますが、皆さんは考えたことがあるのでしょうか? これも牽制の要素なのです! 旧勢力、旧宇宙は何を最も重く見ているのでしょうか? まさに色欲であり、男女間の問題、このことを最も重く見ています。昔、これに関する戒律を犯したなら、お寺から追い出され、まったく修煉できなくなるのです」[2]と説かれたのを読みました。

 これを読んで私は呆然としました。現代社会と自分の執着心の影響で、私はまったく間違って悟っていました。自分が色欲に対して淡白であれば修煉できると思っていました。しかも婚前交渉もたいした問題ではないと思っていました。悟ったその日から、この行為をすぐに止めようと決めました。彼女はとても理解できず、数ヶ月も機嫌が悪く、泣いたりしましたが、私は私たちが結婚するまで守りぬきました。でもこの師父の説法が私に、何が正常な人間関係なのかを分からせてくださいました。

 その当時、私はまた実家に住んでいました。昼はアルバイトをして、夜は学校へ行き、正式な仕事も探していました。授業へ行く日は朝6時半に家を出て、夜12時ぐらいにやっと帰ってきました。三食とも外食をし、忙しい時は学校でシャワーを浴びました。肉体的にとてもきつい試練でした。

 私はよく彼女の家で週末を送りました。同じベッドで寝るだけなら構わないと思いました。しかし、夢の中でいつも色魔に妨害され、それで自分が間違っていたと気付きしました。

 それなら洋服を着たまま彼女の部屋の床で寝ましたが、相変わらず色魔がやってきて、私はまたもや間違った行為をしてしまいました。

 その当時、私たちは結婚を前提にしていたため、現代的な観念の影響を受け、同棲も構わない、間違っていないと思っていました。

 私も徐々に修練が進歩していると思いますが、やはり時々悟性が悪くなります。師父がいろんな啓示をしてくださり、とても明白なものもや、あまり明白ではないものもあります。ある日、家を出る前に彼女とキスをして、お腹が痛くなりました。この行為も結婚後にしなければと彼女に説明して、彼女も同意してくれました。彼女は苦しむ私を見たくないし、私も早く向上したいのです。

 しばらくして、私たちは裁判所へ正規の結婚手続きをしに行きました。婚礼の2時間前、私は正式に彼女にプロポーズして、彼女も受け入れてくれました。それから彼女にキスをしました。その後すぐに後悔しました。それは腹部の法輪が裂けたように感じたからです。彼女は幸せそうに笑っていたけど、私は逆に恥ずかしくてたまりませんでした。心の底から師父に謝るしかありませんでした。

 2時間後、私たちが結婚してからは、これらの問題がなくなりました。この経験を通して、正当な関係とは修煉者にとって、どんなに重要な事なのかのを同修たちの参考になればと思います。

 例えば自分の修煉の道でまだまだよくできていない部分もあるのに、私はかつてなかった軽やかさを感じ、仕事にも真心が溢れるようになりました。以前の私はとても怠けもので、いつも早退して、父の会社に多大な迷惑をかけていました。ある日、現場で祖父が「お前はまるで別人になったようだ! 以前は無責任でいい加減な調子だったのに、今では誰よりも張り切って頑張っている。何かあったのかい?」と私に聞きました。

 私は、「法輪大法を修煉しています。大法は中国の修煉方法の一つで、真・善・忍に基づいています。法の要求どおりに私は常にいい人になろうと勤めています」と答えました。法輪大法がどうやって私を変えたのかを祖父には理解できないのですが、私が完全に変わったことを認めてくれています。

 三つのことをよく行なって、しっかりと修煉したいと私は願いました。すると師父が機会を与えてくださいました。大学を卒業して2ヵ月後、私に現地で法を実証する仕事に携わる機会が訪れました。同時に妻の会社でとてもいい仕事が見つかりました。この仕事は夜勤なので、車を買うお金がたまるだけでなく、毎日昼間に真相を伝えに行くこともできます。

 このすべては、ただ私が一途に修煉したいとの願いから、師父が授けてくださったものです。「それはつまり佛性が現われたことであり、この心が最も貴重なものとされているので、みんな、その人を助けます」[1]本当にそのとおりなのです。

 初めの頃は、昼間は大紀元で広告の営業と編集の仕事をしました。いつも広告料の事を考えたので、一つの広告も入ってこなかったのです。しかし、私のパートナーである古い学習者は、広告料で生活を維持できます。私の業績はまだまだ不充分でしたが、多くの会社に真相を伝える事ができるようになると、お金への執着心もだんだんとなくなりました。

 同時に私たちは神韻を広める仕事もしています。それまでに一度だけ、神韻を見たことがありますが、神韻の仕事に携わるのが初めてでした。

 『共産党についての九つの論評』が出たばかりの頃、多くの華人学習者の反応のように、修煉上の漏れによって、私は師父が与えてくださったこの使命を達成できませんでした。迫害を反対するための署名を集めたり、法輪功を広めたりして、問題がありませんでしたが、神韻を広めたいという強い正念もこの時はありませんでした。

 私の観念は「私が大法のものを紹介しています。でもお金を取らなければならない。きっと神韻を好きではない人がいるだろう」と思いました。これは同衆との協調にマイナスの影響を与えました。パートナが話しているとき、私はそばで何もせずに萎縮していたのです。秘書に神韻のパンフレットを渡した時も、同修はいつも辛抱強く真相を伝えているのに、私はさっさと立ち去りたい気持ちでいつぱいでした。実際のところは、人々はいつも心から真相を聞いてくれていました。

 師父は「やはり礼儀正しく声をかけて、積極的に行ったほうが良いと思います」[3]と説かれ、また「西洋の学習者にとって、このように行うのはとても困るのです。人を邪魔すること、自分から相手を邪魔することに負い目を感じています。そうではありません。今人を救っているのだと思えば、問題はありません」[3]と説かれています。

 これがつまり私の問題点です。それから家具の展覧会へ神韻を広めに行った時、私が通っていく人びとに声をかけられず、彼らの無関心さにもがっかりしました。

 ある古い学習者が、毎年、異なる人が公演を見に来ることを師父は按排されていると私に言いました。私はそれを聞き悟りました。私のやるべきことは、出来るだけ多くの人に神韻を紹介することです。それで縁のある人はこの公演を見に来るし、まだ縁のない人は見に来れません。誰もが断わられるのは嫌ですが、しかし修煉者としては、すべての事に因縁があることが分かっているので、表面的な現れに執着してはいけません。

 師父は『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』の中で、神韻について詳しく述べられたので、それを繰り返し勉強することによって、自分の観念を正そうと考えました。また師父は「法を正すことは絶えず前へと進んでおり、一歩一歩、その次元の人の順番になれば、上ではある天国、ある次元の天体に到達したら、その次元の人が見に来ますが、次回のその席はほかの人のものになり、彼のものではないのです」[4]と説かれています。

 同修と交流した後、この法理について更に理解した途端に、何かが頭上を照らしてきて、瞬時に自分がとてつもなく大きくなったと感じました。それから自分が通行人と自由に話せるようになり、しかもそれは効果的でした。神韻を広めることにおいて、それは一つの転機となりました。

 翌年、現地にたくさんの新しい学習者が来て、神韻の仕事に携わることになり、私は新たな難しい問題に直面しました。神韻に自分がたくさんの時間をかける必要がなくなったので、昼間を利用して、観光名所へ真相を伝えに行くことができます。でもこの考えがは、神韻から離れたい心ではないかと自問しました。神韻を広めることによって、自分の恐れる心を突破することができます。でも観光名所へ行って、中国人の観光客に真相を伝えた方がもっと効果的かもしれません。最終的に、私は昼間に観光名所へ行き真相を伝え、夜は劇場付近で神韻を紹介することにしました。

 修煉を始めてから、長い間かかってやっと功能への執着を取り除きました。明慧ネットの文章は私にとっては、まるで神話のようで、それらの超能力のある人を嫉妬することすらありました。顕示心を取り除くに従ってこれらの功能は、修練者に更に固く師父と法を信じて、修煉をさらに高めるためであり、人が出世するためのものではなく、修煉の一部だと理解するようになりました。

 師父が「しかしながら、上士は見てもよく、見なくてもよく、悟りによって圓満成就します」[5]と説かれています。

 私はこの超常的現象の現れは、自分の向上を加速する必要がある、或いは何かを悟るべきだがまだ悟っていないところがある、と理解しています。多くの同修はいかなる超常的な現象も感じられず、それでも師父と大法を信じて修練しています。それは私の修練をはるかに超えています。私はもうこれらの小さなことに執着心を抱いてはいけません。

 師父が説かれているように、「こんな小手先の技を追求してどうしますか? どんなに追求しても、出世間法の修煉になると、他の空間ではまったく役に立たないものになります。世間法の修煉が終わる時点でこれらの功能はすべて捨てなければならず、それらは非常に深い空間に押し込まれて、将来あなたの修煉過程の記録として保存しておく程度の役割しかありません」[1]と説かれていました。

 師父が私を薬物中毒と、人や物事に対し全く関心を持たない深い淵から救いあげ、宇宙で最も栄光のある修煉者―法を正す時期の大法弟子に変えてくださいました。これは自分の力ではできないことであり、私の使命は師父が与えてくださったこのご恩に少しでも多く報いることです。それはよりよく三つのことを行うことです。

 正しくないところがあれば、慈悲によるご指摘をお願いいたします。

 師父、ありがとうございます。各同修の皆さんありがとうございます。

 (2015年ニューヨーク法会)

 注:
 [1]李洪志先生の著作:『轉法輪
 [2]李洪志先生の著作:『ロサンゼルス市法会での説法』
 [3]李洪志先生の著作:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』
 [4]李洪志先生の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」
 [5] 李洪志先生の著作:『精進要旨』「何のために見えないのか」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/5/27/310057.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/5/28/150798.html)
 
関連文章