私は常に師父に見守られている
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年10月4 日】私は73才です。長年にわたって法輪大法の修煉をしています。振り返ってみると、以前、いくつかの重い持病を患っていた私は、今はとても健康で病気がありません。師父の慈悲な済度と大法の素晴らしさに感謝するしかありません。ここで皆さんに私が出会った数件の不思議なことを紹介したいと思います。

 大法の修煉は前世で決まっていた

 修煉する前、持病を抱えていた私は毎日生きるのが辛く、死にたい気持ちでした。ある日、姪が私に『轉法輪』という本をくれました。姪の話によると、この本は身体を健康にし、道徳を向上させてくれる修煉の本だというのです。私は両手で本を受け取ったとき、なぜか全身が一瞬震えました。

 私は2時間読んだところで、眩暈がして吐き気に襲われました。後に、これは師父が私の体を浄化してくださっていたと分かりました。修煉して12日目の夜、静功をやって入定すると、突然、私の脳に9才ごろ見た夢が浮かんできました。夢の中で、多くの人がいくつかの円を描いて座禅していました。場所と建物、また樹木などの周りの環境は、私の煉功点とよく似ていました。夢の中で、座禅が終わると、ある人が「話があるから東に向かって座ってください」というと、2人が南の方向から机を持ってきました。机の上に木箱が置かれて、人の声が流れていました。

 数日後、煉功点の責任者は「今日は煉功しません。皆さんは一緒に師父の済南説法の録音を聞きましょう」と話し、2人の人が南の方向から机を持ってきました。机の上にはカセットデッキが置いてあり、皆は東の方に向かって座り、師父の説法録音を聞きました。夢の中の光景と全く同じでした。それでようやく、子供のころに見た夢の意味が分かりました。自分が大法の修煉をすることが前世ですでに決まっていたと分かりました。

 健康そのものだが、血圧が測定できない

 2014年、健康に良いというベッドが私の地区で販売されました。最初は無料で試用できるため、友人の誘いを断れず一緒に行ってみました。売り場に到着すると、すでに50人あまりの客が集まっていました。しかし、そこの販売員は到着したばかりの私に「お客さん、血圧が高いですか?」と話を掛けました。私は「分かりません」と答えると、販売員が私の血圧を測ろうとしました。私が左腕を差し出し測ってもらうと、針が動かずゼロの数字を指したままで、何回やり直しても同じでした。血圧測量器が壊れたと思った販売員は今度、私の友人の血圧を測ってみることにしました。そうしたら、測量器は正常に動きました。他のお客さんをも測り、すべて正常に動いたので、測量器が壊れていないことが分かりました。販売員は「測量器が直ったようなので、今度は右腕を測りましょう」と言って、測ってみると前回と同じように針が動きませんでした。さらに両腕を3回ずつ測ってみたのですが、針は微動だにしませんでした。

 この結果に大変驚いた販売員は「私はこの仕事を30年以上もしてきたのに、このような不思議なことに出会ったことは一度もありません。生きているのに血圧がないなんてありえないことです。あなたはきっと奇人です」と話すと、私は「私は法輪功の修煉をしています」と答えました。私は心の中で「修煉者の身体は細胞まで功のエネルギーで満たされているのに、常人の測量器がどうして測ることができるだろう」と考えていました。

 黒い紫色の舌が正常に戻った

 2007年4月8日、私が痰を吐き出したとき、血が混じっていました。そのとき、私は「修煉者である以上、どんなことに出遭ってもすべて良いことだ」と思い、気に留めませんでした。しかし、6日間過ぎても状況が変わらないため、私は鏡で口の中を確かめると、舌は全体が黒い紫色になっており、舌のシワに血が溜まっていました。夫が知ると、大変驚いて病院に連れて行こうとしました。私が頑なに拒否すると夫は子供たちを家に呼び寄せて説得させようとしました。しかし、私は何を言われようと動じませんでした。夫は仕方なく、「病院に行かないなら、マンションの下にある診療所で診てもらうだけでいいでしょう」と妥協しました。

 診療所の劉先生は私の舌を見て、すぐに「この病気は診たことがありません。すぐ大病院に行って診てもらったほうがいいです」というと、私の家族は混乱に陥り、強引に私をタクシーに乗せて病院に連れていきました。病院に着くと、家族が受付に行く間、私は集中して3分間正念を発しました。医師が私の症状を診た後、何も言わずにもう2人の医師を呼んできて一緒に診ましたが、病名は結局分かりませんでした。治療法として、漢方薬、西洋医学の薬、保健薬の三つの処方箋を渡され、飲み終わったらもう一回診てみるというのです。

 これは病気ではないと分かっている私はすぐさま、処方箋を持って病院を急いで出ました。夫と子供たちは処方箋をもらおうと思い、私の後を追ってきましたが、私は渡しませんでした。家族はとても不機嫌でした。

 しかし私は家に着くと、鏡で舌を見てみたら、不思議なことに舌は何事も無かったかのように完全に治りました。この目の前の奇跡に家族たちは皆驚いて、大法の素晴らしさに再び感謝し、師父に感謝の言葉を述べました。

 車の事故後、奇跡的に回復する

 2012年1月8日、娘は電動自転車に私を乗せて出かけました。運転中に、大型バイクが真正面から走ってきて、私たちをなぎ倒しました。意識不明になった私は病院に搬送され、様々な検査を受けました。3時間後、私はようやく意識を取り戻しました。

 意識が戻ると、私はすぐ退院したいと家族に伝えました。しかし、身体が動かず、何を食べてもすぐ吐き出す状態で、仕方なく、10日間入院することにしました。10日すぎて、私が再び退院したいというと、担当の主任医師が退院できないという病状の重さを教えてくれました。「あなたは年寄りの上、病状もとても重く、教えてあげたら精神的に大きなダメージを与えると思い、今まで病状を伏せていましたが、教えてあげないといけないようです。あなたの脳は出血し、血と水が溜まっており、頭にりんご大のコブが出来ています。肋骨が9本折れて、脊髄にも2カ所の骨折を発見しました。腹部に水が溜まり、胸膜腔にも血と水が溜まっています。体の右足から首まで、内出血で黒紫色になっており、全身に良いところがありません。あなたのような年配者が助かっただけで、すでに奇跡です。あなたのような丈夫な身体はとても少なく、あまり見ないです。課内の医師全員があなたの忍耐力に感心しています。これほどの傷を負われたのに、弱音を一言も言わず、まるで痛みがないようです。30才の男性でも痛みで数日呻くと思います」

 しかし当時、私は本当に少しも痛みを感じませんでした。入院して12日目になると、毎晩一定の間隔で高熱が出るようになり、夜9時に体温が38.9度までに上昇し、12時になると、薬を飲まず体温が正常に戻ります。医師も原因が分かりませんでした。この状態が4日続きました。これが退院すべき合図だと私は悟りました。夜の6時の発正念が終わると、私は合掌し師父にお願いしました。「もし、退院の合図であれば、今晩熱が出ませんように」そうしたら、本当に夜に熱が出ませんでした。

 私は感謝の気持ちで一杯で、翌日断固として退院すると決意しました。医師と家族は「脳が出血していたため、いつでも命の危険があるから」と言ってどうしても同意してくれず、退院できませんでした。そうしたら、熱がまた出ました。私は夫に「私は修煉者であることをあなたが知っているでしょう。私たち修煉者は師父に見守られているから、大丈夫です。退院したら熱がきっと下がります。私は保障します。もし医師が後のことが心配であれば、退院後の責任は自己責任だという保証書を書いても構わないです」と話しました。それから、私は薬を飲まず、注射などの治療を拒否しました。それで、やっと退院に同意してくれました。

 退院する際、病院側は私に1千元ものの薬を持たせて、「ちゃんと薬を飲まないと、重い後遺症が残るよ」と注意してくれました。しかし、私は心の中で「すべては師父が決められるので、きっと大丈夫だ」と思いました。家に帰ると、私は薬を飲まず、骨折した肋骨を固定する装置も外しました。不思議なことに、退院当日から熱が出ませんでした。

 しかし、身体が動かず、寝返りもできないまま、ベッドで3日間横になっていました。ある日私は「修煉者である私は師父に加持されており、立って歩かなければなられたらない」と考え、夫を呼んできて、私をベッドの端に座らせ、自分で歩こうと決心しました。主人と子供は私の両側に立って、いつでも私を助けようと構えていましたが、私は「手を出さないで」と言って助けを拒否しました。私は念力を集中し、「私は修煉者であり、師父が保護してくださいます。誰であれ私を迫害してはなりません。師父、加持してくださるようお願いします。私は立って歩きたいです」と正念を発したあと、私は大声で「立って」と叫び、すぐ立ち上がり、前へ大きな一歩を進まました。

 傍にいた主人と子供はびっくりしました。娘は「信じられません! 奇跡が起きました。お母さんが歩けるようになりました。治りました」と話し、家族全員が拍手し感動に浸りました。夫も「李先生があなたを救ったのです」と言いました。一家全員は「李先生に感謝いたします。李先生に感謝いたします」と叫びました。それから、私は介護を必要としなくなり、学法と煉功に打ち込むようになりました。

 早朝煉功は5年も続けています。事故で入院した日を除いて休んだことがありません。また夜に用事がない場合は5式功法をもう一回やります。さらに時間に余裕がある場合、第2式を50~60分またやります。退院してからもこのように煉功し続け、退院して1カ月後、身体が完全に回復しました。そのあと、病院で検査を受けました。本当は、私は検査を受けたくなったのです。しかし検査を受けることで、病院の関係者にもこの奇跡を見せることができると思い、考え直し検査を受けることにしました。すべての検査を終えると、医師は「完治しました。特に骨折の部分は癒合具合がとてもいいです。このような症状が完治するのは100日が必要ですが、あなたは1カ月で治りました。本当に不思議です」と驚いた表情で語りました。それ以来、身体はとても軽く、長距離を歩いても足が全然疲れません。

 師父が告訴の取り下げを助けてくださる

 今の医療保険では車の事故の医療費は保証外です。私の医療費は3万4千元あまりかかりました。私の家族は事故のドライバーと連絡が取れず、ドライバーは7千元をくれた後、病院に来なくなり、電話も繋がらない状態です。私の知らない間に、私の家族は怒りのあまり、ドライバーを告訴しました。告訴にかかった費用4千元も支払い、弁護士も雇いました。弁護士によると、12万元の損害賠償を請求できるというのです。

 後にこのことを知った私は断固として反対しました。私は修煉者で、善を持って対処すべきだと知っているからです。しかし、家族は、「あなたは修煉者ですが、私たちはそうではないです。彼は自営業者で、賠償できるのに、交通警察署で、彼は『当たって死んでも仕方がない』と言いました。あなたが長期入院していたにも関わらず、彼は見舞いにも来なかったのです。損害賠償を請求すべきです。看病のため、私は20日以上休みを取ったため、賃上げと1年間の福利の保障もなくなりました。これらの損失は一体誰が弁償してくれますか?」と言って告訴すると言い張りました。その後、私がいくら家族にお願いしても、告訴を取り下げようとしませんでした。

 その間、師父は3度も私を悟らせました。一回目は、20年間顔を合わせなかったかつての隣近所は事故のことを知った後、先月彼女の友人は電動自転車に当たって太ももが骨折し、加害者である農村の女性にはお金がなく、数千元の賠償金を支払った後、病院で1カ月看病したことを私に教えてくれました。二回目は私の同僚は「ある会社員が事故で亡くなり、その加害者も賠償能力がなく、3年の実刑判決を言い渡されました」と言ってくれました。三回目は農村のあるおばあさんはバイクにはねられ寝たきりになりましたが、加害者には賠償能力がなく身柄を拘束されたそうです。

 これらのことを聞いて、これは師父が私を悟らせようと思い、告訴を必ず取り下げようと決心しました。しかし、3月25日、裁判所から4月9日に開廷するという知らせが届きました。私は焦るあまり泣いていました。途方に暮れた私は師父のことを思い出しました。私は座禅し、合掌しながら、心の中で師父に「この難関を乗り越えるよう助けてください。家族を説得するまで開廷を延期させてくださるようお願いいたします」とお願いしました。

 そうしたら、不思議なことに、4月2日、開廷を延期するという知らせが届きました。

 私は家族に告訴を取り下げるよう説得する一方、ドライバーと連絡し、「お金がなくてもいいから、私の家に一度来て、家族に謝って許しを請うように」とお願いしました。6月のはじめにやっとドライバーと連絡を取れましたが、本人ではなく代理人が1万元を持って訪れました。家族は納得いかず、さらに怒りが増し、少なくとも薬代を弁償するよう要求しました。

 この様子を見た私は問題が解決できないと思い、代理人を返しました。そして、子供たちに「母さんの命が大事、それともお金の方が大事、どっちですか?」と聞くと、皆は黙っていました。このとき、夫は「お母さんの言う通りにしましょう」と切り出し、子供たちは従いました。

 6月10日、私は夫と一緒に裁判所に行って、告訴の取り下げの手続きをしました。この関は師父のお助けによってようやく乗り越えることができました。心から師父に感謝いたします。

 以上はこの数年間、私が修煉する過程で出会った不思議な事です。師父は常に私の傍におられます。大法はとても素晴らしく、師父はこの上なく慈悲です。江沢民の邪悪な集団は大法と師父を誹謗中傷し、中国人と世界の人々を騙そうとしていますが、無意味なことです。これからも、多くの中国人に大法の真実を知ってもらうため、私は三つのことをしっかりと行い続けます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/8/25/312646.html)
 
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