師と法を信じて、神の道を歩む
■ 印刷版
 

文/湖北省の大法弟子

 【明慧日本2016年8月19日】私は今年80歳になりました。1993年、当時57歳の私は、80歳の老人よりも老けていました。その時、私は病気だらけで、いつも不正出血があり、全身が痛くて辛抱できず、もう生きられないと思いました。私は死装束の専門店に行って、死装束を作り、自分の葬式の準備をしようとしました。死装束の店で、同じ河南省出身の同郷の人に会いました。彼女は、「お元気そうなのに、どうして死装束を作る必要があるの?」と聞きました。説明を聞いた彼女は、「この前、青少年センターに有名な気功大師が来られて、とても素晴らしい功法を伝授されました。明日あなたに紹介しますよ」と言いました。

 翌日、青少年センターの煉功点に行きました。そこの指導員から、「明日、○○マンションの同修の家に行って、まず、師父の説法ビデオ見て来てください」と言われました。口では「そうします」と約束しましたが、心の中では、「自分の不正出血が原因で、その方の家を汚したらどうしましょう」と迷っていました。この他人の為の一念が効いたのか、説法を聞く前から、偉大な師父は私を助けてくださいました。翌日、不正出血は止まりました。この功法は本当に不思議で、凄いと私は思いました。

 千載一遇の機縁で、師尊にお目にかかる

 修煉をしてまもない頃、師父の最後の講習会が広州で行われるという噂を耳にしました。私はとても行きたいと思いました。しかし、当時チケットはとても入手が難しく、その上、私は重病を患っていたため、煉功点での煉功は許されず、広州での師父の講習会にも行かないようにと指導員に言われました。命の危険があるため、いただいたチケットも指導員に没収されました。しかし、私はどうしても師父にお目にかかりたい、師父の説法を聞きたいと思って、自分で列車に乗って広州に行きました。チケットを持っていない私は、入場できず、会場の外で師父に助けをお願いしました。全くの奇遇で、また河南省の同郷の人に出会い、チケットを手に入れました。指導員は私を阻止しようとしましが、同郷の人は、「師父が彼女にチケット渡すように」と言ってくれたため、指導員は仕方なく私の入場を許してくれました。

 会場に入って、指導員は私を一番端っこに座らせました。しかし、これは一番よい場所でした。師父は私の傍を通られて、ステージに上がられたのです。私は最も近くから師父のお顔を拝見して、とても感激しました。その日、師父の説法を聞いているうちに、お腹が痛くなって、気絶しそうになり、トイレに急ぎました。ちょうとその時、会場に何かがあって、師父は説法をしばらく中断されました。私がトイレから戻ってから、師父は説法を再開されました。

 師父がおっしゃった言葉の一つ一つを私は心の中に焼き付けました。それから、難しい問題に遇えば、私は師父に訴えて、法のため、他人のため、衆生のため、心が純粋であれば、師父は必ず助けてくださいました。

 病業の虚像を見抜く

 法を得た当時、私の業を消去する状況はとても特別でした。頭や体がぱんぱんに腫れていたため、「他人に誤解を与えないよう、煉功点に来ないでください」と、数カ所の煉功点の指導員に言われました。そこで、私は家で法を学び、煉功をしました。毎日、師父は私の体を浄化してくださいました。ある日、私の体はバケツのように腫れました。私の様子を見た人は、だれでも驚きを隠しませんでした。しかし、私はちっとも怖く感じず、24時間連続して法を学び、煉功をすると、一日で腫れが全部消えてなくなりました。毎回、業を消去する時、それは全部喜ばしいことだと思いました。早く業を消去すれば、早く天国に戻って、師父について家に帰れるからです。

 十数年の法を正す修煉を通して、私はたくさんの法理が分かりました。師尊は常に私を見守ってくださることも分かりました。同修に病業の虚像が起きた場合、私は彼らに自分の体験を話し、法に則って切磋琢磨し、必ず法を信じ、師を信じて、病業の関門を乗り越えるようにと励ましました。同修たちも好んで私の家に交流に来るのです。

 一度、同修が病業の関門を乗り越えられず、病院に行きました。病院から帰ってきても心性を守れず、さらにお嫁さんと喧嘩をしました。その日、わが家に法を学びに来た彼女は、二言三言あいさつした後、気絶してしまいました。私はすぐに師父にお願いして、「師父、周りに悪い影響を与えないように、彼女を生き返らせてください、お願いします」と3回お願いしました。3回目にお願いをした時、彼女は、ハーッと長い息を吐き、蘇りました。それは、気絶して1時間後のことでした。

 また、地方に行った時の事でした。同修がお腹が痛くて、25日間ずっと痛みにのたうち回って、ご飯も食べられませんでした。その様子を見た私は、「あなたは大法弟子でしょう。どうして寝込んでいるのですか。あなたは法を学ぶべきではないでしょうか。私が1、2、3と数えるから、起きてください」と言いました。2と数えた時、彼は起き上がりました。数日間、法を学び、煉功し、正念を発し、交流をした結果、彼のお腹はすっかり治りました。同修は私に感謝したので、私はすぐに止めて、「私にはそんな力はありません、それはすべて師父の威徳です。師父がやっておられるのです。私たちは法を信じ、師を信じていれば、乗り越えられない関門はありません」と言いました。

 昔の同修を呼び戻す

 地方の同修はわが市に来て、次のことを話してくれました。彼らのところに辺鄙な村があって、1999年7月まで、そこの多くの人は法輪功を修煉していました。しかし、迫害されてから、多くの同修は修煉を放棄してしまいました。周辺地域の同修は彼らを大法修煉に呼び戻そうとしましたが、なかなか説得できませんでした。

 この話を聞いて、「このことを私が耳にしたのは、けっして偶然ではない。私に責任があるのだ」と考えました。私は、同修と一緒にその村に行くことを決めました。村に行く山道は険しく、バイクで行くしかありません。私はバイクの後に座って、山を越え、川を渡りました。自分の年齢を考えず、バイクの後ろに乗る危険性もまったく考えませんでした。

 その村に到着して、私たちは一軒一軒尋ね、同修たちに、「この大法は千年に一遇、万年に一遇の高尚な大法で、師父は自らこの世に降りられ、衆生を救い済度され、この世で法を得られる大法弟子はこの上なく光栄なのです。師父と縁があるからできたことです」と話をしました。多くの同修は私たちの話を聞いて、大法に戻ることを決意しました。天目が開いている同修の話によると、私は多くの人を連れ戻し、村の空は晴れ渡っているとのことでした。

 地元に帰ってきても、時間を短縮するため、私はいつも同修のバイクの後ろに乗って、路地から街へと、三つのことをし、病業の迫害の中の同修を見舞い、自分の誓約を果たしています。

 神の道を歩む

 修煉の中で、師父のおっしゃる通りに実行し、常に内に向けて探し、毎日、「どうすればもっと師父の言われる通りにでき、どうすれば、もっと多くの人を救い、今日はしっかりできなかったことは何か、明日は必ずうまくやろう」と自問しました。毎日、必ず二、三講の法を学び、朝、3時40分に起床して、全世界の朝の煉功に参加し、五式の功法を一気に煉り、元気よく、三つのことを行うようにしています。今の私は顔色がよく、生き生きしており、しわもなく、同じ70、80代の人より、随分若くように見えるのです。

 しかし、若いと言っても、歯は全部抜けてしまいました。歯が抜けると、見た目がよくないだけではなく、真相を伝えることにも影響を与えるし、ご飯を食べる時も不便ですので、お金を貯めて、入れ歯をしたいと思いました。しかし、ある資料点の経費が足りないと聞いた時、私は躊躇せず、そのお金を資料点に寄付しました。不思議なのは、その後、物を食べても、歯がなくても、なんでも食べられるのです。入れ歯がなくても、老けて見えません。近所の人はみんな、「このおばあさんはますます若くなり、ますます元気になりましたね。歯がなくても、りんごをパクパク食べるのですよ」と言いました。

 迫害が最もひどい時、「610弁公室」や派出所の警官がよく家に来て、私を妨害しようとしました。しかし、不思議なことに、いつも、パトカーが来るとき、私は家を留守にしており、パトカーが帰ってから、私が帰ってくるというパターンでした。

 ある時、私は同修と一緒にたくさんの法輪功の資料を持って、住宅地に資料を配布に行きました。団地から出て、もうすぐバス停につくという時、数人の警官に止められました。警官は同修を引っ張って、パトカーに入れようとしました。私は、「彼女は関係ありません。やったのは私です」と言いました。警官は私を相手にせず、同修を連行しようとしました。この時、私は、「師父、同修の○○さんを助けてあげてください」と師父にお願いしました。すると、不思議なことが起きました。警官はすでにパトカーに入れられた同修を下ろして、それから、数台のパトカーは逃げていきました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/8/11/331862.html)
 
関連文章