師父の『台湾法会への祝辞』を学ぶ
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2016年12月4日】11月27日の夜、同修と一緒に師父の『台湾法会への祝辞』を暗記しながら、師父の無量な慈悲を感じ、暗記した時、涙が出てきました。自身の内を探すことは、円満への本当の修煉者の道であることが分かりました。

 昨日ある同修が私と交流した際に、同修自身にあった不公平な問題に言及しました。協調人が自分に対して、不公平であり、協調人はどの同修に対しても同じであるべきではないかと文句を言いました。内を探した方がいいですよと勧めましたが、同修は口では同意しましたが、内に探すことはやはり難しいように見えました。

 私は彼を理解しています。自分と同修との間の矛盾にも同じ経験がありました。ある同修が自分に対してとても厳しかった時、この同修は既に修煉者の状態ではなく、常人にも及ばない場合、内にむけて探すことは更に難しく感じています。つまりずっと内を探す状態を守っていません。いつも一つの立場から、外を見ています。見た結果、深く隠されている執着は暴露できず、取り除いて心性を高めることはできませんでした。いつも内を探すべき時に、外に向けて見ており、長い間同じ次元に留まって乗り越えることができませんでした。

 自分と同修との矛盾を再び考えたとき、違う状態になりました。同修が自分に対して厳しかったのは、自分の聞いた話に対して、好き嫌いの人心があったのです。この執着は実修で取り除くことができずに、ずっと隠されていました。この執着の根元は、「自我」で私(し)でもあります。根元からこの執着を取り除く際に、同修は私自身に対して、心性の向上を助けてくれました。本当に同修に感謝しなければなりません。師父が私にあるそのよくない物質を取ってくださったと分かりました。師父は現状から抜け出して、円満成就への真の修煉の道を教えてくださいました。師父に感謝いたします。

 最近家の電子時計が急に遅くなりました。今年新しく買ったばかりなのに、電池の問題だと思いながら、電池を交換しましたが、相変わらず正常な時間と比べて遅れています。じっと見たところ、秒針はたまには本来の場所で揺れ動いています。更にある時は、何分も戻ったりして前へ進むように見えました。これに対して、私はずっと悟っていませんでした。なぜなのか今日やっとわかりました。こちらは自分が歩いている修煉の道です。歩いたり、止まったり、更にある時は後退もしました。これが、掛け時計が遅れている原因だと思います。同修に追いつかなければ、師父の要求に達しなければ、師父の仰った通りにやらなければいけないと思いました。

 「修煉とは人心を修め、自分自身を修めるということです。問題に遭遇したとき、トラブルや困難、そして理不尽な扱いを受けたときでも、自分自身の問題を探し、内に向けて探すことができれば、これこそ真に修煉していることになり、絶えず向上し、修煉の道を正しく歩み、円満成就に向かうことができるのです!」[1]

 再度、師父に感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文: 『台湾法会への祝辞』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/1/338379.html)
 
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