【慶祝513】 知的障害者が腕の立つ職人になった
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文/湖南省の大法弟子

 【明慧日本2017年5月23日】(慶祝513特別投稿)私は羅九福と言います。家の中では一番年下で、幼い頃から両親の寵愛を受けていたため、そう名付けられました。しかし、私の幼年、少年、青年時代は両親の苦悩、心配と、他人にからかわれる中で過ごしました。

 7歳の時、私は高熱を出して熱は下がらず、全身に痙攣を起こしました。これは多分医者が化学検査を行う際に私の骨髄液を採取したことが原因ではないかと思われます。私は脳膜炎後遺症が残ったため、智力が衰え、考えることができず、何をすることもできなくなりました。就学年齢になってから、両親は私を学校に送りましたが、1学期が終わっても、先生が何を教えていたかもわかりませんでした。クラスメートにいじめられたり、殴られても私は言い争わず、殴り返しもせず、ただひたすら馬鹿のように口をぽかんと開けて笑いました。両親に嘆かれたり、叱られても、私もただ馬鹿笑いをするだけで、不器用に何の手伝いもできませんでした。

 20歳をすぎても、私はまだ両親に養われて、生活はとても苦しかったのです。心優しい姉婿は私が将来独りで生計を立てることができるように、私にれんが職人の技術を教えました。3年間の見習いを終えた私はただ簡単な直線の壁しか築くことができず、しかも動作が非常に遅くて単独作業もできなかったので、家に帰されました。

 運命の転機は1999年でした。その年に、姉は法輪功の修煉を始めました。共産党が迫害しているにも関わらず、姉は一途に修煉し、実家に帰ってくる度に私に「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と暗唱するように教えてくれました。私は喜んで彼女の後について一字一句を真似て念じましたが、念じ終えた途端に忘れてしまいました。姉はその都度私に教えて、実家に帰ってくると、いつも面倒がらずに教えてくれました。何回教えてもらったか覚えていませんが、私はやっとしっかりと覚えることができました。

 私はうれしくて、大声で、また小声で、いつも「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と念じました。徐々に、私は話をするのが好きになって、仕事もそこそこできるようになり、手足も機敏になってきました。その後、村のある建築業の請負担当が手が回らなくて、出来高制で壁を築いてほしいと私を呼び寄せました。こうして、私は徐々にれんが職人になりました。

 「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と私は毎日念じていました。その後、わが地区が土地開発をするにあたり、私の田畑が徴収されて、補助金が出ました。私はそのお金を利用して、自ら企画設計、基礎作り、建材仕入れと建築施工を手掛け、6階建ての自分のビルを建てました。それから私は結婚して子供が生まれ、50歳の時にオートバイと三輪車の運転も習いました。

 このすべては大法のおかげで、わが家は心底から大法に感謝しています。

 大法は私の知恵を開いてくださったただけでなく、私に二度目の生命も下さいました。それは2015年夏のある夕方の出来事でした。日が暮れる前、私は道端でぶらついているとき、道路の向かい側からある人が私に道を尋ねました。私は道路を横断して相手に場所を教え、振り向いて戻ろうとしたとき、疾駆してきた乗用車のバックミラーに服を引っかけられて、数メートル先まで引きずられた後、地べたに放り出されました。通りかかった親切な人が運転手を止めて、検査のために私を病院まで送りました。脚のすね辺りに掠り傷があって、少しの血が出ただけで別状はありませんでしたが、人々は「この十数メートルの新らしい道路ですでに1人が轢かれて死に、1人が重度の障害を負い、あなたが3人目の被害者だ。どの神仏の加護を受けて災いが転じて福となったのでしょうか?」と言いました。私は彼らにこう言いました。「大法の師父が私を救って下さったのです。私は常に『法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!』と念じて福報を得ました」

 5・13の世界法輪大法デーに際し、私は自身が大法により恩恵を受けたことを述べて、慈悲で偉大なる大法の師父に真心からの感謝を捧げ、自身の損得や辛労を顧みずに大法の真相を伝え続けている大法弟子たちに敬意を払いたいのです!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/8/346754.html)
 
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