大慶市労働局の元課長が迫害され、死亡に至った実態
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 【明慧日本2017年2月25日】黒竜江省大慶市の法輪功補導站の元站長・李宝氷さんは、1999年7月22日、何も証拠や法律の手続きがないまま、市留置場に拘禁され、7月26日に迫害されて死亡し、享年39歳であった。18年が経ったにもかかわらず、李さんの家族は依然として、冤罪をそそげないままでいる。

'李宝水'
元気だったころの李宝氷さん

 情報筋によると、大慶公安局のある警官が酒を飲んだ後 「実は、大慶市在住の李宝氷という法輪功学習者がいるが、彼はビルから飛び降りたのではなく、我々が押した」とつい酔っ払った勢いで言った。理由を聞かれると 「李が我々の言うことを聞かないので、殴ったあとビルから押した」と本音を言った。

 李さんは生前、市労働局就職課の課長で、毎年「先進工作者」(中国の各分野で、先進的な業績が認められた労働者に授与する栄誉称号のこと)として表彰され、家庭、社会、親友から高い評価を得ていた。

 李さんが生前に迫害を受けた状況は、下記の通りである。

 1994年12月21日、李さんは他の友人4人と一緒にはるばると、広州人体科学研究会が開催する法輪功の講習に参加するためにやって来た。しかし、5人は広州体育館に着いた時、外ではすでに多くの学習者が待っていた。会場は6000千人しか収容できず、入場券もなくなっていた。李さんたちは主催側と相談し、法輪功創始者の了承を得たうえ、5人の中の1人だけ入場の許可をもらった。

 他の4人は、一斉に李さんが講習に参加するように勧めた。

 李さんは気分が高揚し、会場の前列に案内された。講習が終わった後、李さんは法輪功創始者に大慶の全体をリードしてほしいと頼まれた。李さんは大慶に戻ってから、言われたように補導站の站長になった。

 周りの学習者の話によると、李さんはとても精進して、法輪功を伝え広げることを常に念頭に置いて活動した。そのため、多くの人が法輪功を学びはじめた。サラリーマンだった李さんは仕事をしながらも、みんなとの集団煉功に励み、毎日とても忙しく過ごしていた。帰宅時間がどんなに遅くても、必ず静功をした。さらに黙って自分のお金を出して法輪功を広めることに使った。

 1995年から1999年7月の間、大慶地区の学習者がすでに2万5千人あまりに達した。学習者の中の模範人物と模範的な出来事は、見る見るうちに市民や政府関係者に認められ、高学歴の学習者率は黒竜江省でトップになった。

 しかし、1999年7.20以降、補導站の站長は、中国全土で大規模に逮捕された。李さんも市公安局の重点的な迫害対象者となり、日々、盗聴され、監視された。

 同年7月22日、李さんは身柄を拘束され、市留置場に拘禁され、いわゆる「正式に隔離調査」をされた。24日、李さんの事務室や自宅の財産は強制的に押収された。李さんは市公安局に送り込まれ、治安大隊の隊長に取り調べられた。

 李さんは自白を強いられたが 「法輪功は修煉ですので、組織はありません。参加は自由なので、名簿もなければ、秘密もありません」と答えた。

 26日午前、李さんの妻はずいぶん苦労して、ようやく飲料水と着かえの服を公安局に届けた。しかし、渡しただけで、すぐに帰るように言われ李さんと話すことすら出来なかった。

 この時の李さんは72時間休みなく取り調べられ、苦しめられ、瞼(まぶた)すらも開けられない状態だった。しかし、このわずか一瞬の面会が、夫婦にとって永別になってしまった。

 李さんの妻は家に戻り、まだ落ち着かないうちに公安局の関係者に現場に呼ばれた。目に入ったのは、公安局のビル前の地面に倒れている李さんの姿だった。

 あれから、18年間経ったが、李さんの家族は何度も正義を求めて、陳情しに行ったが、相手にされなかった。家族は李さんの冤罪を晴らす日が、1日も早く来るようと祈っている。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/2/15/343110.html)
 
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