土地の生産高は 土壌にとらわれない
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文/中国の大法弟子 莎莎

 【明慧日本2017年4月15日】1998年に法輪大法を修煉して以来、私は何事を行っても順調に暮らしてきました。

 たとえば、2004年の冬、我が家は他の二つの家族と一緒に108(昔、中国で使われた土地面積の単位で、地方によって異なり、東北地区では1垧は10~15畝に相当し、西北地区では1垧は3~5畝に相当する)の大豆畑を請け負い、畑には豆の茎、豆の葉がありました。その年の冬は雪が多かったため、翌年の春になると、畑の窪んでいる所々に水が溜まりました。ぬかるんでいる畑に放牧された牛や羊が入って踏み回ると、水たまりの周辺の土は道路のように非常に硬くなってしまい、種まきに影響をきたします。水たまり周辺の牛や羊が踏み込んだ所からは芽がまったく出なくなり、このような土地が10垧ほどありました。しかし、私は気にせず、一度も牛や羊飼いの家族とトラブルを起こしませんでした。なぜなら、私は真・善・忍を修めている大法弟子で、修煉者だからです。

 師父はこのように教えられています。「われわれ煉功者においては、トラブルが突然現れることがあります。その時、どのように対処すれば良いでしょうか? 平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです。日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをするときにはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません。したがって、煉功にあたっては、高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません」[1]

 生きていくために、皆が大変だと思います。私は真・善・忍に従い、至る所で他人のために考えます。土地を区分ける時、私の家には58、他の二つの家族にはそれぞれ30、20垧を与えられました。この108垧の土地ですが、東側は比較的に低くて凸凹し、西側は平坦です。常人は土地の良し悪しを気にして、できるだけ良い土地をもらい損をしないように考えるので、当然、誰もがこのよくない土地を欲しくありません。法理を知っている私は大法の要求に従って自分を律し、寛容な心を持ち、至る所で他人のために考え、彼らに「先に土地を選んで下さい。残ったものを私は耕します」と言いました。

 こうして、私は時期を見て苗を植えました。ちょうど植え終えたところで十分な雨が降ってきて、牛や羊が踏んだ場所の土が解かれて、苗の芽は順調に全部出てきました。その後、ひと夏を通して一度も過量な雨が降りませんでした。秋の収穫になると、私の家の1畝当りの生産高は他の2軒の農家の生産高よりも高かったのです。

 近隣は皆、私が大法を修煉していることを知っています。真実な1幕が彼らの目の前に現れました。彼らは羨ましそうに「あなたの家は運がいいですね」と口を揃えて言いました。彼らはよく私の家に遊びに来るので、その都度、その都度、彼らに大法の素晴らしさを伝えました。今、村の大多数の人は皆、三退しました。江沢民が法輪功に対していくら天地を覆い隠す勢いで弾圧しても、私は修煉を止めず、ずっと師父を堅く信じ、大法の素晴らしさを堅く信じてきました! なぜなら、私の生命は大法の中で生まれ変わったからです!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/7/345256.html)
 
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