師父が頑固な姉を二度も救ってくださった
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文/山東省の大法弟子 静思

 明慧日本2018年3月26日】先日、私の住むところと遠く離れて、南京市に暮らしている2番目の姉から電話がかかってきました。姉が生まれたばかりの孫に、名前をつけてほしいと頼んできたのです。姉の元気な声を聞いて、私は師父に対する感謝の気持ちと法輪大法に対する感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 この姉の生命が危険な状態になったとき、師父に救われて死線をくぐりぬけました。そのおかげで、姉は法輪大法の修煉の道を歩むようになりました。安全のため電話で多く話せないので、私は姉に絶対に精進することを忘れないようにと言いつけました。姉は笑いながら、「監視役の夫に毎日見られているので、緩むことはできないわ。心配しないで」と言いました。

 師父が1回目に姉の命を救われた

 昨年のこの時期、私は5・13の文章の整理をしていたとき、2番目の姉の夫(義兄)から電話がかかってきました。兄は泣きながら、「早く来て、妻が危ないんだ」と話しました。

 私は当局の政府機関で仕事をしています。中国共産党が法輪功への迫害を開始してから、私は繰り返し迫害を受けてきました。以前、私は母親と一緒に暮らしていましたが、母親は常に私が迫害を加えられないかと心配をしていたものの、大法の修煉に反対したことはありませんでした。母親は私と妻が法輪大法を学んで心身ともに健康になったことからも、「大法は良いものだ。大法は正しいものだ。江沢民が法律に違反して大法に迫害を加えたのだ」とよくわかっていました。毎回、警官がやって来て家宅捜索をしたとき、母親はできる限り、大法の資料や資料を作る機器、大法関連の書籍を保護するようにしてくれました。

 そして、2008年の始め、母親は法輪大法を学ぶことを決心しました。それから、母親は患っていた多くの病が快方に向かいました。しかし、北京オリンピックの前後に、当局は一層法輪大法への迫害を強め、私の住む県の100人以上の修煉者を騒ぎ立てて連行し、迫害を加えました。私たち夫婦は共に大法を学んでいるため、共に拘禁され、巨額の罰金を支払いました。我が家が警官らに繰り返し家宅捜査され、騒がされたため、ショックを受けた母親は持病が再発してしまい、2009年に亡くなりました。母親は幸運にも大法を得ましたが、当局の弾圧を恐れ、当局の嘘に騙された兄弟姉妹の2人の姉と1人の妹は、とうとう大法の道に入れずにいました。

 2012年のある日、カトリック教を信じている妻の妹が夢を見ました。彼女は夢で天国へ行って、そこで私の両親に出会いました。私の父はすでに30年前に亡くなったのですが、彼女は私の父と生前会ったことはありませんでした。彼女はとても綺麗で壮大な宮殿でうちの両親に会いました。驚いた彼女は母に「おばさんは信仰がありませんね。どうして天国に上ったのですか」と聞くと、母は「うちの息子がドアを開けてくれたんだよ」と答えました。それから、母は彼女に「あなたが帰ったら、家の娘3人にも早く法輪功を学ぶように伝えてください」と言いました。妻の妹は旧暦の3月2日の夜、このような夢を見たのですが、その翌日が私たちの地区の伝統的な祭りでした。さらに、彼女の夢でうちの母が下界(人間の空間)で多くの線香を焚き、仏さまに叩頭している人たちを指さして、「彼らは1人もここへは上がって来られない」と言いました。妻の妹は「私はもう下界に下りません。ここにいたいのです」と言うと、母は「それは駄目だよ。下界に下りなくちゃ駄目だよ」。それを聞いた妻の妹は泣き出し、目が覚めたという夢でした。その1週間後、妻の妹は電話でその夢のことを私に話しました。「では、早くうちの母の言ったことを我が家の兄弟姉妹に伝えてください」と私は妹に言いました。

 一番上の姉は妻の妹の話を聞いて、すぐに私に頼んできて、法輪大法の書籍を買って読み始めました。妹はもっとも多く大法の本を持っているので、その夢の話を聞いて本を探し出し、すぐに学び始めたのです。しかし、私たちと遠く離れ、南京に住んでいる2番目の姉は中国共産党の邪説に惑わされ、特に無神論の邪説に害毒されたため、妻の妹の話を聞いても、「封建的で、迷信だ」と言って、大法を学ぼうとしなかったのです。姉は毎日、山に登り、広場で踊りなどをして、「楽しんで、体を鍛えている」と思い込んでいました。あまりにも遠く離れていて、なかなか会う機会がなく、私は姉のことをあまり気にかけませんでした。師父は「彼は気功を信じませんが、病気にならないという保証はどこにもありません」[1]と説かれています。

 2014年のある日、突然、2番目の姉の夫から電話がかかってきて、姉の胃に腫瘍が見つかって、手術をすると聞かされました。それを聞いて私と妹はすぐ大法の書籍を持って、姉の家に駆けつけました。

 病室で姉に会いました、姉はすっかり痩せ細っており、話す気力すらなくなっていました。軍の病院に勤めている義兄は私と妹を病室から呼び出し、「妻は間質性腫瘍かもしれない。先日、うちの病院に入院した2人の若者が妻と同じ病気で、手術をして1年経たないうちに死んでしまった」。それを聞いて、私は「それなら、姉と一緒に法輪大法を学ばせてください」と言うと、兄は反対しませんでした。そして、姉にも同じことを言ったら、病気が治るなら何でも試してみるという気持ちがあり、姉も反対しませんでした。それから、私と妹は毎日、姉に師父の説法の録音を聞かせ、「法輪大法は素晴らしい! 真、善、忍は素晴らしい!」と念じることを教え、大法修煉者の九死に一生を得た修煉体験を聞かせるなどしました。姉は徐々に師父の説法を集中してよく聞くようになり、顔色もよくなりました。手術の日が近づき、私は姉に「本当に心から法輪大法を信じているのなら、病気などもうないのよ。手術する必要もなく、それは無駄なことよ」と言って聞かせました。

 しかし、法輪大法と出会って数日ということと、姉自身も医者であることもあって、姉夫婦は大法より医学の方を信じているようで、手術することを決めました。手術の日、姉はとても緊張していました。姉たちの経験からすると、もし間質性腫瘍だったら、もう救いようがないと思い込んでいました。妹も法を得たのが短いので、妹も緊張しました。私は妹に「私たちは何にも聞かないようにしましょう。集中して発正念し、師父に頼るしかないわ」

 姉は手術を受けました。数日後、診断書が出て、間質性腫瘍ではなく生まれつきのもので、間違ったところに生えた膵臓細胞腫瘍だという結果でした。医者も「どうして? どうみても間質性腫瘍だったのに」と不思議に思ったようです。とにかく、間質性腫瘍、ガンでなけらば良いことだと皆の心が晴れ、笑顔になりました。しかし、私には師父が姉が大法を学び始めたとみて、姉の難を消してくださったとわかっていました。 

 姉は退院して、私と妹、姉の3人は『轉法輪』を一度一通り読み、姉に煉功の動作を教えました。そして、『轉法輪』の本を姉の家に置き、「絶対、修煉し続けてね」と言って、私たちは帰りました。

 師父が再度、姉を救われた

 私は帰ってから時々姉に電話をし、修煉状態のことを聞きました。姉は「いつも本を読んでいるよ。功法も煉り続けているよ」と言っていましたが、時間が立つにつれて姉は気が緩んでしまい、大法に対しても半信半疑になって、医者が姉の病気を「誤診」したのだということを信じるようになりました。それで、姉は徐々に法輪大法から離れ学ぶことをやめ、また、ジョキングしたり、山登りしたりして、体を鍛えるようになりました。

 しかし、ある日、義兄から前回と同じように、急いで来るようにと電話がかかってきました。その日の午後、私と妹は急いで切符を買って列車に乗り、南京に行きました。義兄の話によると、姉は私たちが帰ってから、ずっと元気だったと言うのです。しかし、先日、姉夫婦が義理の父のために一周忌の法事をしようと、義兄の実家に帰るつもりでしたが、その前に医者である友人の家を訪ねました。そこを出た途端に、姉は急にお腹が痛くなり、30分も経たないうちに倒れてしまい、病院に搬送され、重症型膵臓炎だと診断され、病院のICU(集中治療室)に入れられました。60代の義兄は、自身が軍医ですので、この病気の危険性がよくわかっていて、ショックを受け頭が真っ白になって泣き崩れました。友人は義兄に、「奥さんの兄弟に電話をかけた方が良いのでは」と言われ、兄はやっと私たちのことを思い出しました。姉の息子夫婦も泣いており、姉一家は深い絶望的な悲しみに包まれていました。

 私たちは病院に行きました。普通の病院のICUなら、毎日、患者と会える決まった時間があり、それも30分くらいしか面会できませんが、姉の入院した膵臓センターはつい最近に設立され、看護師が足らないため、家族たちの介護を許している状態でした。病室に入って、姉は私たちの顔を見ても、知らないような表情をしていて、話すことができず酸素マスク、全身の治療用機器、モニターなどの表示装置がつけられ、すでに腹水でお腹が固くなっていました。私はすぐ、師父の説法を入れた機器を取り出して、耳栓を姉の耳に入れながら、「怖がらないで、師父の説法を聞いてね」と言うと、姉が頷いたように見えました。

 それから、昼に姉が目を覚ますと、私と妹がすぐ姉に師父の説法、大法弟子の歌、同修の修煉体験文を聞かせ、私自身の修煉体験と同修の明慧ネットへの「5・13を祝う」投稿の修煉体験文も読んで聞かせました。夜になると、私は姉の病床のそばで煉功したり、同修の文章を修正したりしていました。

 その間、病院側が何度も姉の病気を救いようがない意を伝えてきました。義兄の友人は軍区総合病院の条件がここより良いと言い、そちらの病院への転院を勧めてくれました。しかし、姉の公費で支払える医療費は軍区病院でしか使えないため、20万元もの保証金が必要だと言われました。話によると、姉の病気が一段落するまで治療すると、なんと200万元も必要としますが、治る保証はないそうです。それで、姉一家は相談して、治療費捻出のため、家を売ることにしました。義兄は私に相談しに来て、私は「転院は反対しませんが、ただどこの病院もある程度の病気を治せますが、命までは救えないでしょう。それに今は、大法を学ぶのが一番良い方法だと私は思います。大法の師父しか姉の病気を治せません。しかも、姉の今の状態だと転院の途中で命を落とす危険性があります。そして姉がもし、家族が自分のために家を売ったと知ったら、反対するに違いありません」。それを聞くと、義兄は転院を取りやめました。義兄も姉の病気は現代医学でも、救えないとはっきりとわかっているようでした。

 その後、姉の病状がますます悪化し、腹水も多くなり、高い血圧と低い血圧の差がないくらいにまでなって、医者も検査装置から出てくる検査結果をもう見たくなくなりました。姉は高熱になって下がらず、体の下に氷を敷き、体外式人工呼吸器も取り付けられました。膵臓センターができて、その呼吸器をつけられたのは、姉が第一番目でした。特に義理の父の一周忌の日、姉のいる病室には不気味な空気が漂い、姉も昏睡状態に陥りました。姉が目を覚めた後、「自分が三度も室外に漂って、義理の父にも会ったような気がし、毎回のように、ものすごい力で元に引き戻された」と私たちに話しました。

 師父が姉を引っ張って、この世に引き戻してくださったことが、私にはわかっていました。

 危篤になった姉の病室には、医者や看護師たちが行ったり来たりして、慌ただしい雰囲気になり、他の病人の付き添い人たちも覗きに来ました。私は姉の耳元で「大丈夫よ。師父の説法を集中して聞いてね」と話しかけました。妹が姉の様子を見て、耐えられなくて泣き出しました。私は妹に「泣かないで。私たちは何にしに来たの! 発正念して!」と厳しい口調で言いました。私の故郷の知り合いの同修が孫の面倒をみるため、南京に来ていると聞いてその同修に連絡をとりました。その同修も息子さんと一緒に病院に来てくれて、病室の外で姉のために発正念してくれました。その日、医者が姉の危篤通知を下すと、多くの人が間もなく亡くなる姉のことをかわいそうにと思って、姉の病室の外で姉の様子を覗いていたそうです。

 「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[2]です。姉がずっと師父の説法を聞いて、「法輪大法素は晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と念じ続けた結果、なんと、奇跡的に病状が快方に向かい、医者も驚きました。姉はICUで二十数日間いましたが、センターの主任は姉に「この状態なら、普通の病室に移してもいい」と通知しに来ました。看護師も「このセンターが成立して以来、一番病状が重い人だったのに、一番早く回復しました。この前はもっと軽い病状だった人でも、このICUに3カ月以上もいたのよ」

 そして、普通の病室に移されて数日して、姉は退院しました。義兄は大法のすごい威力を目の当たりにし、法輪大法の素晴らしさを信じるようになり、一家全員が「三退」しました。

 姉は自分の命が大法によって救われたとよくわかっており、心の底から師父の救い済度に感謝しています。2回も救われた姉は今回、本気で真に大法修煉の道に入りました。私は姉に「1回、2回はあるが、3、4回はもうないわよ。師父は私たちを大切してくださっており、この縁を大事にしなければならないね。そうでないと、もう後はないわよ!」と諭すと、「もう心配しなくていいわ。今回のことで、私はよく理解できたから」

 姉は私に「師父の写真と法輪大法の書籍が全部ほしいわ」と頼みました。

 注:
  [1」李洪志師父の著作:『轉法輪』
  [2]李洪志師父の著作:『洪吟二』〈師徒恩〉

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/12/27/351814.html)
 
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