「口を修める」ことは 実に重要である
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2018年10月9日】最近、ネットで同修が書いた「口を修める」の文章をよく見かけました。自分の体験と感想を以下のように簡単にまとめてみました。

 一、好奇心、物好きな心

 いろいろ聞きたがる心は実によくありません。知るべきことは自然に知ることになります。そこで私はいつでもどこでも、最初の一念が正念であるかどうかをまず注意すべきだと思います。

 たとえば数年前、瀋陽の高蓉蓉さんが救出された後、私も含めて多くの同修が情報収集をしました。高蓉蓉さんは再び不当に連行された時、私は友人と雑談していました。友人は「瀋陽の高蓉蓉という法輪功修煉者が逮捕されたよ」と何気なく言いました。その時、私はただ単にいくつかの質問をし、そして同修に電話して知らせ、「この件を必ず確かめてください。もし本当であれば、急いで明慧ネットに知らせてください」と頼みました。当時、私はまた明慧ネットにアクセスすることが出来なかったからです。その後、それは事実であることが証明されました。それは偶然の機会に事件を知ることになった一例でしたが、他の場所で瀋陽の事件を知った例でもありました。

 二、真相貨幣

 私は北方のある町に住んでいます。1999年「7・20」以後、皆は自発的に法輪功迫害の真相を伝え、人を救うことを始めました。当時、真相貨幣を使用することは推進され、それは紙幣に「法輪大法は素晴らしい」と書くことでした。その後、真相紙幣は大量に使われるようになりました。ある常人の友人はいつも釣り銭を大量に入手することができるため、そこで、私はいつも彼と紙幣の交換を行いました。数千元、数万元を交換しましたが、その後はいつも1回でバック何個分もの紙幣を交換して、資料拠点に提供しました。当時、同修に何度も「どこからか、また誰と交換したのかについて、決して聞かず、誰にも言わないで」と約束してもらいました。

 その後、同修は不当に連行されました。しばらくしてから、ある同修は私に会って、釣り銭を交換してほしいと言われました。それを聞いた私はとても驚きました。聞いてみたら、資料拠点の人は皆私が釣り銭を交換していることを知っており、しかも他の資料拠点の同修までもこの件を知っていました。その時、私はふとある時、釣り銭を交換していたらスクーターが訳も分からず、警報を鳴らしたことを思い出しました。それ以後、私は釣り銭を交換することに慎重になり、あれ以来、数回しかしませんでした。それは同修が口を修めないために、師父が私にくださった大法を真相貨幣で実証することを、止めざるを得なくなった例です。

 同修を責めるつもりはないのですが、しかし、同修として口を修めず、安全のため、私は大法を実証することを止めざるを得なくなる事態になりました。釣り銭を交換することは私が法を実証し、人を救う得意な分野でした。これらの交換した釣り銭は500万人以上の町人に対して使用でき、必要であればいくらでも提供できるほどの交換量がありました。これらのことは、本当に心が痛む教訓でした。私は同修を責めたくはありませんが、しかし、「口を修めること」の大切さをここで強調したいのです。師父は法の中で、昔の和尚は「身、口、意」を重くみて自分を厳しく律し、これを修めなければならないと説かれていたのではないでしょうか!!

 以上、正しくない所があれば、同修達の慈悲なるご叱正をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/10/1/375152.html)
 
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