平凡の中の非凡
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年6月4日】法輪大法が世に伝えられて27年になり、1億人以上が学び、世界で100以上の国に広がり、法輪大法の本は少なくとも14種類の言語に翻訳されました。古今、法輪大法が人間社会に与える影響は大きいと言えるでしょう。幸運にも、私は法輪大法を学び、弟子になることができました。この縁は私の命でも換えられないものです。

 私はいつも同修に「私は何も見えず、特別なこともあまり感じないし、体験したことも大したことはない。とても平凡だ」と言っていました。しかし、同修は「人の行為は人の心によるもので、あなたはここまで法輪大法を学び続けてきた。特に今現在、大法がまだ迫害を受けている中で、あなたは黙々と十数年も大量の資料を作り同修に提供し、夜中まで資料作りをしてきたことが、大法に堅く信じている証だ。あなたは同修たちに安定した学法の場所を確保するため、自分の家を提供し、衆生を救うため、70代になっても、資料を一軒一軒配り、疲れたとも言わなかった。自分が平凡だと言っているのは、大法の法理に従って、名誉を求めず、利益を求めないことを修めた結果ではないか! これらは平凡ではなく非凡だ!」と励ましてくれました。

 大法を得る

 私は1996年8月に法輪大法に出会い、修煉を始めました。私はかつて、ある企業の課の幹部で、労働組合で仕事をしていました。その後、会社の共産党委員会弁公室に異動になり、職員たちの政治教育を担当しました。1996年のとき、勤め先の会社の各部門には法輪大法を学ぶ人が多く、どの部門も法輪大法を学ぶ人がいました。彼らは仕事の休憩時間を利用して大法の本を読んでいました。ある日、私が財務課に人を探しに行ったとき、本を読んでいる同僚に出会い、「この本、私に貸してくれる?」と話しかけると、「いいよ。だけど、貸すだけだよ。後で返してね」と言われました。

 このようにして、私は『轉法輪』を借り、一晩で一気に読み終えました。本の内容に惹かれて時間を忘れ、本を読み終えたのは翌朝の7時でした。私は出社の準備をして出かけました。「李先生の言われたことは本当に素晴らしい!」と私は感激し、一晩寝なくても疲れを感じず、求めるものを見つけたことが嬉しくて、「これからこの本を学ぼう」と決心しました。こうして私は法輪大法の修煉の道に入りました。

 私は小さいときから、伝統文化や歴史の本が大好きで、誠実で信念を貫く人に憧れました。例えば、諸葛 亮(中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍師)や劉 伯温(明を作り上げた軍師・政治家・詩人・預言者)などが、私の崇拝した人物でした。この世の善悪には応報があり、常人を超越するものが存在していると信じていました。私は共産党の委員会で仕事をしているものの、内心は共産党の宣伝に対して疑問を持っていました。文化大革命期の中国において、毛沢東の指導によって都市の知識青年が農山村に行かされ、定住して農業生産に従事させられたり、1957年に中国で行なわれた中国共産党に反対するブルジョア右派分子を摘発する反右派闘争を目の当たりにして、共産党は人間性のない手段を選び、共産党の宣伝するものには矛盾があると感じました。法輪大法を学んでから、私は善をもって包容し、誠実に人に接したので、私は党文化の暗闘、騙しあう環境の下でも同僚たちととても良い関係を築きました。

 私の上司のお父さんは会社の役員でした。ほかの人は上司の後ろ盾が凄いと思っているらしいのです。上司はいつも独断専行し、理不尽な人です。彼が正しい行ないをしたときはもちろん、自分が正しいと言うのですが、彼の上司が決めたことに対しても、彼が気に入らないとき、その上司にすぐ反抗してしまいます。ですから、誰も彼に近寄らず、彼のことを嫌っていました。しかし、修煉者の私は、彼に誠実に接して、仲良くなっていました。彼も私のことを尊敬してくれて「姉さん」と呼んでいました。

 ある日、私は彼と同じ知り合いの結婚式に参加し、偶然に食事も同じテーブルでした。彼とおしゃべりして、「新婚夫婦は月下老人様に縁結びされたね。信じますか」と言うと、「信じるよ」と彼は真面目な表情で言いました。それを聞いて、「こんな彼も神を信じているのだ!」と私はびっくりしました。「彼は縁がある人かも」と思いながら、私は彼に「法輪功を知っていますか?」と聞くと、「もちろん」と返答されました。彼は本当に真面目な表情でした。「彼の本性は善良だ」と思い、彼に「共産党がこんな多くの運動を起こしたことを、どう考えていますか?」と聞くと、彼は軽蔑の表情を浮かべ、「意味がないことだ!」と答えました。続いて、私は「共産党は毎回、起こした運動で多くの人を殺しました。神はきっと共産党を清算するでしょう。あなたが共産党の組織から脱退すれば、将来、平安になりますが脱退しますか」と言うと、「脱退するよ」と彼は迷わずに赤ちゃんのときの呼び名で脱党しました。

 関を乗り越える

 2011年末、私の体に病業の仮相が現れました。全身に黄疸が発生し、皮膚が黒茶色になり、白眼も深い黄色になり、お腹が徐々に大きく膨らみ、臨月に入ったようなお腹になり、両足が木のような太さまで腫れあがりました。横になることもできないため、夜はベッドで布団にもたれて居眠りするしかできなかったのです。胸のところに始終、大きな石が置かれているように感じ、息をすることも困難な状態でした。そんな日々はこのように朝を迎えました。水を飲むと、全部お腹と組織の間に入り込むので、浮腫みがもっとひどくならないように、飲食を控えるしかなかったのです。そのとき、自分をしっかり修めておらず、心が揺れてしまい、病院へ行きました。医者に「末期の黄疸型動脈硬化性肝炎だ」と診断され、入院を8回繰り返しました。北京の病院にも行きました。北京の病院の医者に「この病気は治らない。世界のどの病院に行っても完治できない」と言われました。当然、地元の病院も打つ手がなかったのです。入院後の治療は、「黄疸を消し、腹水を抜き、利尿する」など、症状の緩和しかできなかったのです。退院すると、病状が戻ってしまいました。医者に「あまりひどい病状なので、いつでも生命の危険がある」と言われました。私は腹水を抜かれる前、体重が85キロありましたが、20センチの大きい針で1回3000mlの腹水を十数回抜き終えると、体重が49キロまで落ちました。

 「このままではいけない。病院はけっして私の病気を治せない! 家に帰って法輪大法を学び続けよう!」と私は思いました。それで、退院して帰宅しました。家に帰って、学法、煉功発正念をきちんとやり、病気のことを考えないようにしました。そのうちに、なんと健康を取り戻したのです! それから、お腹の張り、足の浮腫みなど、一度も現れたことがありませんでした。

 夫はある企業の部門責任者でした。夫は最初、私が師父に線香をあげること、供物することも理解できず、私のことをいつも嘲笑していました。しかし、私が2回目に入院したとき、夫は私に相談せず、自ら師父の写真の前に供物をし、お香をあげ、「李大師、あなたの弟子を救ってください」とお願いしました。私が健康になってからも、夫はいつも美味しい食べ物を買ってきたとき、師父に供えるようになりました。夫は同修たちが家で集団学法をすることや、法輪大法の資料を作ることも支持するようになりました。夫は70代ですが、病気がなく、高血圧が若者と同じように130mmHgで、毎日散歩したりして、幸せな日々を過ごしています。

 私の修煉には足りないところがまだ多くあると分かっています。しかし、師父が多大な苦痛と引き換えに我々の修煉と衆生を救うために延ばしてくださった貴重な時間を私は大切しています。

 ここで、私は心から「弟子に慈悲深いご加護をくださったことに感謝いたします! 私は最後まで修煉していきます! 師父について家に帰ります!」と師父に申し上げました!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/7/386061.html)
 
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