文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年7月22日】今日の学法のときに、韓信が股くぐりで辱められたという典故について、私にある悟りがありました。この場を借りて皆さんとこの事について、交流したいと思います。
その前に、私は「蘇武が羊を放牧する」という物語を簡単に話します。蘇武は漢時代の使者です。匈奴に拘留されていた十数年間、匈奴の単于は蘇武に投降を迫りましたが、蘇武はこれに従わず、北海に放逐(ほうちく:人をその地域・組織などから追い払うこと。追放)されて羊の放牧を命じられました。しかし蘇武はどんなに辛い目に遭ったときでも、使者としての使命を決して忘れませんでした。人間としての最大限の「忍」を果たし、「真」と「善」も行ないました。なので、歴史上にも名を残しました。
私が不当に監禁されていたとき、ある人は「あなたはうわべだけで罪を認めれば、どうですか? そして早くここから出て行くことの方が賢明な選択です。ここにいること自体があなたへの屈辱です。歴史上でも、韓信が股くぐりで辱められたという典故があるではありませんか。なぜ、そのことを学ばなのですか?」と話しました。それを聞いて私は「蘇武が羊を放牧するという物語もありますよ」と答えました。すると彼は、返す言葉が何もありませんでした。
確かに韓信が股くぐりで辱められたという典故は、韓信が絶大なる忍の心を持っていたことを表していると思いますが、これは個人に対する屈辱です。彼は普通の常人と違っていたからこそ、最後には国の棟梁になれたわけです。しかし、根本的な問題に関わってくるときには、このようにしてはいけません。
ある人は「あなた達は『忍』を重んじているでしょう? 共産党はあなた達を迫害するとき、あなた達は忍ぶべきです」と話しました。私は「キリスト教が迫害を受けたとき、彼らは黙っていませんでした。迫害の中で真相を伝えています。数年間の苦しみに耐えて、最後に、世の人々はキリスト教を受け入れることが出来ました。キリスト教も『忍』を語っていますが、彼らはなぜ忍ばなかったのですか? つまり、ある意味の『忍』では、逆境の中でおとなしく従うのではなく、理由もない弾圧への黙認と放任することでもなく、苦境の中でも自分の信仰を堅く守ったということだと思います」と答えました。彼は「確かに、考えてみれば、道理にかなっていますね」と言いました。
韓信と蘇武はそれぞれの状況下である次元の「忍」の基準に達し、その次元の「忍」の内包を解釈しました。人々は「忍」に対しての理解も築き上げ、今大法を広めるために基礎づくりを行ないました。私達は修煉者ですので、私達の目標は常人を超える次元に達し、さらに高い次元を目指すことです。