文╱中国の大法弟子
【明慧日本2018年1月22日】私は幸運に恵まれ2008年に法輪大法に出会い、修煉を始めた大法修煉者です。修煉する中で業を滅し、関を突破していくことを何度も経験しました。ここでは2016年に羊を売った後に起きた出来事を皆さんにお話したいと思います。
家は農業の他に羊も飼っています。家畜を育てるのは収入を増やすためでした。ある日、夫(同修)は人力の三輪車に羊を2頭乗せ、市場に売りに行きました。途中で羊を買いたい人が現れ、1200元でこの2頭の羊を売って欲しいと言われました。夫はこの値段に納得して、すぐに羊を売りました。
その人から貰ったのはすべて100元の新札でした。夫は1200元の値段で売れたことを気に入っており、村に帰って来て、店で買い物をしようとしました。しかしこの新札で支払おうとすると、店員は疑った表情で、「これは偽札じゃないのか!」と言って、偽札識標機で調べてみると、本当に偽札だと分かりました。夫は呆然としました。そして、もらった新札を全部調べてみると、全て偽札だと分かりました。
夫は悔しくてたまりませんでした。家に帰ってから私もその話を聞くと、私も辛くて言葉が出ませんでした。1200元が突然全部水の泡になって消えてしまった事はかなりの痛手でした。農家の私たちにとって、この1200元を稼ぐにはどれだけ大変なのかと思うと、本当に居ても立っても居られませんでした。「どうしょう! これから先、どうしょうか!」と私達夫婦は気が動転して、ただオロオロしていました。
突然自分が大法修煉者であることを思い出しました。「こんなことではいけない。大法修煉者は何事に対しても動揺すべきではない」と思うと、気持ちが少し落ち着いてきました。そこで、師父の法「したがって今後、何かトラブルに遭遇した時は、それを偶然なことだと考えてはなりません。なぜなら、トラブルは突然現われるかも知れませんが、決して偶然なものではなく、みなあなたの心性を高めるためのものなのです。あなたが平素から煉功者として自覚してさえいれば、それに正しく対処することができるでしょう」[1] をさらに思い出しました。
私は随分落ち着きを取り戻しました。そして、夫に「落ち込むことはありませんよ。これは偶然なことではありません。もしかしたら、私達はその人に昔、借りがあったのかもしれないし、あるいはどこかの世で彼を騙していたのかもしれません。今日の事で私達はこの借りを全部返済したことになるのではありませんか? たとえそうでなくても、彼は私達を騙してお金を得ましたが、師父の『轉法輪』の中の『失わないものは得られず』の道理に従えば、彼に騙されたお金は全部徳として私達にくれたはずです。私たちは彼を恨んだり、憎んだりしてはいけません。むしろ、彼に感謝しなければならないのですよ」と諭しました。
私の話を聞いた夫も納得し、笑顔になりました。夫は「その通りだ! この事をもう忘れよう。しかし、この偽札をどう処理すればいいのかな?」と聞くので、私は「彼は私たちを騙しましたが、真・善・忍を修める大法修煉者としては、真・善・忍に基づいて自らを律しなければなりません。偽札を全部燃やしましょう」
夫は少し躊躇して残念そうな表情をしました。しかし、彼は「分かった、そうしよう! そうするしかないな」と頷きました。こうして私たちは偽札を全部燃やし、気持ちがすっきりしました。そして、ふたりともお金に対する執着も全部燃やしてしまったような、清々しい気分になりました。
師父は「苦しむことは業を償っているのであって、思うようにならないことは心性を高めることができ、常人にとっても実は同じ理です。すべては業を消しているのであって、業を消してから良い来世を得られます。ただ、人間にはそれが分かっていません。修煉の場合、業力を消して、修煉の中で心性が向上し、最後に圓満成就になります」[2] と説かれ、そして、「ですから、良いことにあっても、悪いことに遭っても、大法さえ修めていれば、全ては良いことです。これは揺るぎのないことです」[3 ] とも説かれました。
師父の説かれたこの法理に基づいて、私たちは正しく行いました。1200元を損失しましたが、心の中はとても穏やかでした。こうして、胸を抉(えぐ)られるような思いをした関門は何事もなく、平穏に乗り越えました。師父の教えは私たちに関を乗り越える勇気と力、正念を与えてくださいました。そして、利害や得失の前で争わず、心安らかな境地をも与えてくださいました。
個人的なわずかな体得ですが、法に合致していない所があれば、慈悲なるご叱正をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の経文:『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』
[3] 李洪志師父の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』