文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年11月7日】私は1998年に縁があって大法に出会い、22年が過ぎました。修煉の中で多くの奇跡を経験してきましたが、『轉法輪』の本に書かれている教えを個人的に体験した例を以下に紹介します。
修煉を始めた後、法輪がお腹の中で回転し、時計回りに回転したり、逆時計回りに回転したりしました。ある時、横になったばかりの私の体が軽く漂い始めました。ドキドキしながら慌てて、漂わないでと思うと瞬時に止まりました。
畑仕事をしていた時に、突然ヘリコプターのように自分が上がっていく感じがして、耳元で風が吹いているのが聞こえてきたことがありました。また緊張して、慌てて 「やめて!」と叫んだら、一瞬でまた止まってしまいました。よく考えると、師父の本にも 「大周天が通ると人は飛ぶことができるのです。いたって簡単です」[1]と書いてあります。自分の大周天が通ったのではないかと思いました。
ある時、畑仕事をしていてふと気がついたのですが、今まで使っていた農具がすべて蠕動して粒状になっていました。目が眩んだと思って空を見ると、白昼堂々と空全体が蠕動していました。そして、自分の体を見ると、腕や手も蠢いているようでした。この光景がゆっくりと消えていくのに、しばらく時間がかかりました。その後思ったのですが、師父は「物体の存在の形と現われた形は違うものです。われわれの目は、物質空間のものを、この目でとらえたような状態に定着させる機能を持っています。本当のところ、それはそんな状態ではなく、われわれの空間においてもそのような状態ではありません。例えば、顕微鏡を使って人を見るとどうなるのでしょうか? 身体全体はばらばらで、小さな分子によって構成され、まるで砂のような小粒の形状で、動いていて、電子が原子核のまわりを回り、身体全体は蠕動してうごめき、運動しています。身体の表面もすべすべの状態ではなく、でこぼこしています。宇宙のあらゆる物体、鋼、鉄、石にしてもみな同じで、中にある分子成分がみな動いています。全体の形はあなたには見えませんが、いずれも安定した状態ではありません。この机も同じで、蠕動しています。しかし、肉眼ではその真相が見えず、この両目の働きが人に錯覚を与えています」[1]と説かれました。全く『轉法輪』に説かれた通りで、これは間違いなく真実であることを証明していました。
一度、小雪が降っていた時に、乗っていた三輪の電動バイクのバッテリーが切れて、高速道路の右側を押していたことがありました。突然、マイクロバスが猛スピードで走ってきて、私とバイクは高速道路の右側の溝に突っ込みました。衝撃で目がくらみ、「師父、助けてください」としか言えませんでした。恐怖で足が震えている車の運転手が「体の調子はどうですか?」と聞いてきました。私は「全然大丈夫ですよ!」と答えました。その時、バイクの後ろの部分が変形していたのですが、師父はあらゆる面で「よい人になってください」と説かれていたと思いました。私は「バイクはレンタルなので、修理が必要です」と言うと 、運転手は修理代50元(およそ800円)を払ったので、私は彼を行かせました。次の日には、私の体はいつも通りに回復しました。
この事件はまた、「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある、とわれわれは言います」[1] という法理を実証したものでもあります。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』