やっと自分の使命に根を下ろす
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文/ヨーロッパの大法弟子  

 【明慧日本2020年11月12日】大法のプロジェクトに携わって以来、記憶の中ではずっと明慧の翻訳をしています。私は法会の翻訳、国会議員からの応援状の翻訳、メディア向けの記事の翻訳、そしてしばらくの間フランス語のウェブサイトの翻訳をしていました。何度も明慧に参加したりやめたりした後、しばらくは他のメディアの記事を書くために離れましたが、2018年になってようやくフランス語の明慧に戻ってきました。

 このプロジェクトと自分の使命に根を下ろすことに20年かかりました。明慧という重要なプロジェクトの中で、私のポジションがあるとは思ってもみなかったのです。この20年でいろいろなことが起こりました

 普通に生活している中で、私はエンジニア、ジャーナリスト、営業職に就いていました。どれもこれも多くのスキルを身につけましたが、性格上、それを応用したいとは思わなかったのです。私は助手の方が向いていると思っていました。チームを引っ張っていくのは苦手ですが、誰かが方向性を決めたら、私は日々の業務を管理するのは得意です。長い間、自分が精進していなかったため、どんなプロジェクトでも責任者になりたくないと思いました。学法煉功三つのことが自分には不十分だとわかっていたので、自分のやり方は謙虚さを示していると思っていました。また自分は能力があると客観的に思いながらも、自分を顕示しようと思っていませんでした、しかし、私は自分の顕示心を隠していたのです。

 私が明慧プロジェクトに関わってきたのは、私達が取り組んでいるプロジェクトの重要性を理解していないように思われ、断続的になり、仕事が上手くできなくても、全くしなくても、表面的には影響がないからです。新聞形式の出版の締め切りもなく、上司が常に監視しているわけでもありません。

 2018年、私がフランス語の明慧プロジェクトに復帰してから間もなく、ワシントンD.C.でフランス語の会議がありました。普段は母と一緒に泊まり込みでこういったイベントに参加しています。その年、協調人は他のチームメンバーと一緒に泊まることに決めました。私はそれを受け入れました。母から離れて自分で動き回れるようになったことが嬉しい反面、自分の習慣を変えることに消極的でした。みんなと顔を合わせることがこんなに大切なことだとは思いませんでした。離れたところからそれぞれが自分の仕事をして、うまくできていました。結果的に、この顔合わせの機会でかなりの成果を得ました。

 一緒に仕事をしていた同修たちは、メールでの名前しか知らなかったのですが、彼らと直接会ったことで、プロジェクトに自分自身を定着させることができました。ワシントンD.C.での数日間の短い滞在で、編集者を含むチームの主要メンバーや、仕事を始めたばかりのメンバーと知り合い、3カ国語の同時通訳を務め、そして何よりもプロジェクトの全体的な協調人と知り合うことができました。同修たちと日常生活を共有し、地方で集団から離れて孤立していた私が、このプロジェクトは私の目にとてもリアルな意味を持つようになったのは、この瞬間だったと感じています。本当に自分の使命が見えました。

 今回は、チーム内での問題点や葛藤も認識しました。その間、私たち全員は総協調人と綿密な交流を行ないました。これまで関わってこなかったにもかかわらず、問題点が現れたとき、答えてくれますが、まさか協調に参加するとは思ってもいなかったので驚きました。自分を出さないために、まだ若いからと言い訳し自分の不備な修煉状態を口実にしていました。

 2019年の明慧会議に、最初、行きたくなかったのです。距離があること、費用がかかること、法会がないことで「行き甲斐」がないこと、無職であること、時間はあってもお金がないこと、夫がどう思うかわからないことなどから、消極的になっていました。改めて協調人の主張と夫の励ましで、私は行くことにしました。

 思い起こせば、この会議で、チームの運営に様々な変化と調整がもたらされました。より多くのチームメンバーと知り合うことができ、ワシントンDCよりも豊かな交流文章をみんなで書いて共有することができました。再編され、私は協調組の一員になりました。私は光栄に思うと同時に、チームの中では比較的責任が軽いメンバーの一人であることに安堵し、週に一度の会議だけで仕事が増えませんでした。表面上はまだ謙遜して自分を顕示することを避けていましたが、実際には責任を取りたくないと思っていました。

 師父は「大法弟子なので、間違いなく苦労しています。なぜなら、歴史の責任は皆さんにこれほど大きな重責を与え、歴史の使命によって皆さんは肝心なとき、必ずこの歴史の責任を背負うことになるからです」[1]と説かれました。

 2019年のニューヨークでの国際法会を経て、チームはまたもや大きな変化を遂げました。前回の会議で指定された新任の同修が大きな関を乗り越えているため、私は他の2人の同修と共同リーダーに指定されました。形式的には一時的なもので、その同修が関を乗り越えることを待っているだけだったのですが、自分の使命から逃れることは難しくなってきて、負うべき責任は自分にありました。

 常人のレベルでは、自分の出番だと確信していました。しかし、修煉面ではあまり自信がありません。自分が精進していないところがプロジェクトの運営に影響するのではないかと危惧し、大法を実証する重要なプロジェクトを担当するには、自分のレベルではまだまだと考えていました。

 師父は「認識することができるということはつまり、とても大きな進歩です。修煉は他でもなくこういうことです。あなたは絶えず自分の足りないところを認識しているとき、つまり向上しているのです。しかし、どのように自らを固めるのか、これこそこれからの道を正しく歩むようにするために最も肝心なことです」[2]と説かれました。

 仕事の面でも修煉の面でも、自分を引っ張っていかなければならないと思いました。師父は全てを整えて下さいました。私は惰性と安逸を求めており、私が成し遂げることができるプロジェクトは、誰かがいたり、期限があることで、私を前に進ませているのです。今はチームの中でも重要なポジションにいるので、私はもう逃げられず、やるべきことは、精進の度合いと私の肩にかかっている責任に比例するように、私の修煉を精進させることだけです。

 いつも朝起きるのが大変でした。しかし、今回は毎朝ウェブサイトを更新する仕事があったので、状況に迫られ、早起きしなければなりませんでした。ウェブサイトの更新をした後は、私の時間であり学法と煉功に励みました。

 しかし、だんだんと悪い習慣ができてきて、私は師父から与えられた余分な時間を使って法を学び、功を煉るのではなく、他のことをするようになりました。ある日、私の髪の毛がひどく抜けていることに気がつきました。美容師に、周りの人からのストレスが溜まりすぎているのではないかと言われました。ある夜、ふと思いつき、「抜け毛って、いわゆる『脱毛』のことじゃないの? これは法から外れているのではないか?」、 自分で自分を引っ張っていかないといけないということに気がつきました。(注:中国の「发」(毛)と「法」の発音は同じです)

 朝の法の勉強会に参加したのですが、全く仕事には影響しませんでした。私たちの悟りが開けばすぐに、師父は私たちのために巧妙な按排をしてくださいます。毎日の煉功のモチベーションが上がる時間帯を見つけました。

 しかし、変化が起き始めています。私は地方にいて、周りには修煉者がいませんでした。普段の生活では家にいるのが好きでした。私は在宅で仕事をしていたので、人と会う機会も少なく、対人関係の葛藤の中で心性を実践する機会はほとんどありませんでした。定期的に法を勉強する習慣をつけることができるようになってからは、他のチームメンバーとの軋轢が生じ始めました。責任者として初めて本当の困難に直面しました。

 私はまず、討論して、相手の言い分に反論したり、相手の発言の誤りを指摘したりして、常人のレベルで葛藤しました。何年にもわたって、誰も効果的に理にかなった返答をしてくれなかったので、相手のやり方に従えば、相手も私に同意してくれるだろうと思いました。

 このアプローチは完全に失敗しました。2人の責任者の助けを借りて、彼と議論することは事態を悪化させるだけだと気づきました。その時、私たちは普通の企業のように経営の専門化を目指していましたが、大法のプログラムは普通の企業ではなかったことがわかりました。紛争が起きた時、人間の力では解決できないが、修煉者は心を高めることで解決できるのです。

 師父は「問題が現れたら、それは自分が法理とねじれてしまったからです。問題の所在を探し、ねじれている部分を解きほぐし、問題を整理して解決します。最も良い方法は、問題に出遭ったら、前へ前へと突っ込んではならず、追い詰めて解決を求めてはならず、心を放下し、一歩下がって問題を解決すべきです。(拍手) 問題があったら、すぐにあなたが正しいのか、私が正しいのか、これはあなたの問題で、あれは彼の問題で、私は如何に行なったかと責め合い、見た目では問題を解決しているかのように見えますが、実はまったく違います。見た目では理性的に見えますが、実はちっとも理性的ではなく、一歩下がって、心を完全に放下して問題を考えていません」[3]と説かれました。

 内に向けて探し、表面的には法に則った議論をしているように見えても、実は相手との議論が外に向かっていることに気づきました。この状況を圓容するには、一歩引いて自分を修めるしかなかったのです。他の責任者にも自分の考えを伝え、それに沿って進めていきました。事態が落ち着いてきた今、チームの調整について新たな理解を得ることができました。

 このような理解が出てきたのはつい最近のことで、私はまだ新しい役割を理解し始めたばかりの段階だと感じています。私を引っ張ってくれた元の協調人に感謝し、新鮮な気持ちでこのプロジェクトに戻ってくるよう背中を押してくれました。彼がいなければ、私はこの一歩を踏み出せなかったかもしれません。 頑固な私には受け入れられないところがありますが、今でもアドバイスを下さっていることに感謝しています。

 師父に感謝致します。明慧のプロジェクトの中で根をおろすことができたのは師父のおかげです、私の修煉環境である同修に感謝しています。さらに精進しましょう!

 上記の悟りやレベルには限りがありますので、法に基づいていないところがあれば、同修のご指摘をお願いします。

 皆さん、ありがとうございました!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法七』「米国首都法会での説法」

 (フランス語明慧ネット20周年記念文章)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/31/414326.html)
 
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