【明慧日本2020年12月28日】(前号に続く)
第二部分:刑務所、留置場、派出所で拘禁された期間中迫害により死亡
1、二度刑務所で迫害された湖南省の張亜琴さんが死亡
湖南省湘潭市の学習者・張亜琴さん(65)は、懲役3年の実刑判決を宣告され、2019年8月13日に湖南省長沙女子刑務所に拘禁された。2020年12月12日、長沙女子刑務所から、張さんが死亡したという情報が入ってきた。
知らせを受けた張さんの夫は、悲しみ憤りの中で現実を受け入れることができなかった。
張さんは2018年12月30日午前、湘潭市芙蓉通り市場で法輪功迫害の実態を伝えていたところ、同市岳塘区宝塔派出所の警官らに連行され、家宅捜索を受け、懲役3年の実刑判決を宣告された。2019年8月13日、張さんは湖南省長沙女子刑務所に拘禁された。
拷問のイメージ図:電気棒で電気ショックを与える |
張さんが不当な判決を宣告されたのは今回で2回目である。1回目の時は懲役3年の実刑判決を宣告され、2008年から2011年まで、同じく湖南省長沙女子刑務所に収監され、命拾いした。期間中、張さんはスタンガンによる電気ショックを受け、両手を背中に反らして手錠をかけられ、長時間立ったままの姿勢を強制され、睡眠を剥奪され、重労働をさせられ、トラの椅子に縛り付けられて、正体不明の薬物を注射されるなどの拷問を受けた。
2、辺群連さん 唐山冀東刑務所で迫害され死亡
河北省承徳市の学習者・辺群連さんは、唐山市冀東刑務所で迫害され瀕死の状態となり、2020年8月9日に刑務所から自宅に戻されたが、わずか4日後の8月12日に死亡した。
辺群連さん |
辺さんは、二度の不当判決を下された。まず2005年、辺さんは連行され懲役8年の実刑判決を宣告された。そして2016年に再び連行され、懲役6年の実刑判決を宣告された。二度とも唐山冀東刑務所で迫害されている。
辺さんは1996年から法輪功を学び、道徳レベルを向上させ無病になり、体は軽くなった。1999年7月20日、中共による法輪功への執拗な弾圧を受け、辺さんは何度も迫害を受けた。
辺さんは唐山冀東刑務所で、4人の受刑者が交替して24時間体制で迫害を加えられた。
2020年8月8日の夕方、辺さんの家族は唐山冀東刑務所から「辺群連を家に帰らせる」という電話を受けた。
翌日の8月9日、パトカーが先導した救急車には、管が胃に挿し込まれて骨と皮ばかりに痩せ細った辺さんがいた。町内の住民委員会で、関係者らは引き渡しの手続きを済ませ、辺さんを家族に渡した。
辺さんは高熱で、実の弟さえ分からない状態だった。家族は静かに辺さんを家に連れて帰ったが、辺さんはすでに食事が喉を通らず、直腸癌が広がっていた。
家族とわずか4日間過ごした後、辺さんは8月12日に亡くなった。
3、迫害で死亡した蘭立華さんの家族が告訴し責任を追及
遼寧省瀋陽市蘇家屯区の学習者・蘭立華さんは、明慧卓上カレンダーを配布したという理由だけで連行され、懲役3年10カ月の実刑判決を宣告され、遼寧省女子刑務所に拘禁された。女子刑務所で、蘭さんはまたB型肝炎に感染して重症になり、2020年4月23日に亡くなった。49歳だった。家族は火葬のサインを拒否し、責任を追及すると主張したが、遼寧省女子刑務所は最近、12月16日に遺体を強制的に火葬すると家族に告げた。
蘭さんの家族は、たとえ遺体が強制的に火葬されたとしても、賠償を求め訴訟を起こし、蘭さんのために正義を取り戻すつもりだと言った。
拷問イメージ図:「大挂」にかけられる |
蘭さんは2015年6月、迫害の首謀者である江沢民を告訴したことが原因で、蘇家屯地裁から懲役1年2カ月の実刑判決を言い渡され、遼寧省女子刑務所に拘禁されたことがある。遼寧省女子刑務所で蘭さんは危篤状態に陥ったが、刑務所は依然として解放せず、2016年8月25日に刑期が満了し、ようやく帰宅することができた。
2018年11月6日、蘭さんは野菜を販売する年配者に、明慧卓上カレンダーを配ったという理由で、蘇家屯区国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官らに連行され、罪に陥れられた。その後、家宅捜索が行われ、一部の私有品が押収され、蘭さんの夫も警官らに連行され、5時間後に解放された。
蘭さんは瀋陽市留置場に連行され、灌食された。また、「大挂」という拷問により、吊るし上げられた。その時から、蘭さんの左胸に卵サイズのしこりができ、乳がんと診断されたにもかかわらず、懲役3年10カ月の実刑判決を宣告された。
4、大慶市の中学校教師・王鳳臣さんは迫害により死亡
黒竜江省大慶市林甸県第一中学校の優秀な教師・王鳳臣さんは、懲役4年の実刑判決を宣告され、呼蘭刑務所に収容された後、同刑務所の迫害により腫瘍の重い症状が現れ、大量の吐血をして、呼吸困難になり、危篤状態に陥って、2020年8月9日に死亡した。
50代の王さんは刑期満了まで6カ月あったが、危篤状態に陥っても、呼蘭刑務所は王さんの仮釈放を許可しなかった。2020年6月26日、呼蘭刑務所は王さんの家族に「王鳳臣が刑務所内で死亡した場合、刑務所側は責任を負わず、検査後は刑務所に戻らなければならない」という責任放棄の署名を強要した。
7月6日、ハルビン農墾腫瘍病院の医師は危篤通知を出した。王さんが大量に吐血して呼吸困難に陥り、命の危険が目前に迫っていた。しかしこのとき、王さんの妻の冷秀霞さんは黒龍江省女子刑務所で迫害を受けていた。
家族は刑務所側に王さんの仮釈放を強く求めたが、許可してもらえなかった。そして、王さんは冤罪が晴らせないまま、2020年8月9日朝5時ごろに、ハルビン農墾腫瘍病院で亡くなった。
2017年1月18日午後、王さんと冷さん夫婦は自宅に押し入った警官らにより連行され、家宅捜索を受けた。林甸県裁判所は、王さん夫婦に懲役4年の実刑判決を言い渡し、それぞれに3万元(およそ45万円)の罰金を科した。
王さんと妻・冷秀霞さんはともに大慶市林甸県第一中学校の教師で、「真・善・忍」に従って自分の心を修め、さらに良い人になるように努力し、より一層道徳の高い教師を目指し、真面目に授業を行い、保護者からの謝礼を一切受け取らなかった。王さんは高校の地理の担当で、授業中は話す内容を工夫して、生徒を飽きさせなかった。そのため、生徒たちは皆王さんの授業を聞きたがり、評価も高かった。このように同僚や生徒、保護者の信頼を得た王さんは、毎年、大学受験のクラスの担当を任されていた。
5、徳恵市の肖永芬さん 吉林女子刑務所で迫害をうけ死亡
吉林省徳恵市の学習者・肖永芬さんは懲役7年の実刑判決を宣告され、吉林省女子刑務所で残忍な迫害を受け亡くなった。遺体は2020年2月1日に火葬された。
肖永芬さん |
肖さんの家族は1月31日午後4時頃、刑務所から電話を受け、肖さんは歯磨きをして顔を洗っていた時、突然倒れ、今救急手当を受けていると伝えられた。十数分後、刑務所側はまた電話をかけてきて、救命処置を行ったが、死亡したと言った。
情報筋によると、家族が吉林省女子刑務所に着いた時、警官らは非常に緊張していた。家族が肖さんの遺体を見た時、遺体はすでに整形されていた。家族は肖さんの顔が赤く腫れているのを見たが、刑務所側は肖さんがうがいの時に転んだせいだと言った。そして、遺体は死亡の翌日の2020年2月1日に、すぐに火葬された。
6、航空エンジニアの胡林さん 康家山刑務所で迫害を受け死亡
遼寧省瀋陽市の学習者・胡林さん(47)は航空エンジニアだった。胡さんは2019年5月23日に、法輪功の資料を配布しているときに連行され、懲役2年の実刑判決を宣告され、2020年2月16日午後、瀋陽市康家山刑務所で残忍な迫害によりこの世を去った。拘禁されていた間、胡さんは猛打され、スタンガンで電気ショックを受け、縛り上げられ、睡眠を剥奪され、奴隷のように労働を強制され、酷い拷問を加えられた。
胡林さん |
7、遼寧遼陽市の学習者・于永満さん 迫害で死亡
遼寧省遼陽市の于永満さん(65)は、2019年11月15日に身柄を拘束され、遼陽市留置場に拘禁され、2020年2月23日に死亡した。遼陽市留置場側は「病気の発作」と言ったが、于さんは連行される前は健康で、毎日自転車、または徒歩で出かけて法輪功迫害の実態を伝え続けていた。検視官は于さんの肋骨にひびが入り、肺に損傷を負っていたことを発見した。
于永満さん |
8、李少臣さんは天津濱海刑務所新生命病院で死亡
天津市の李少臣さん(77)は2016年12月7日、懲役4年の実刑判決を宣告され、濱海刑務所で残忍な迫害を受けて、2020年3月6日に死亡した。死亡時に両目は閉じていかなった。
李少臣さん |
2019年5月、天津濱海刑務所では「厳管隊」が設置され、70代、80代の学習者を含めてすべての学習者に「転向」させるように迫害を加えた。李さんはどのような迫害を受けたのかは想像できる。
9、遼寧女子刑務所の女性受刑者による迫害で李桂栄さん死亡
遼寧省瀋陽市の学習者・李桂栄さんは、2020年1月中旬に、遼寧省女子刑務所で迫害され続けて死亡した。享年78歳だった。
李さんは合作小学校の校長として、よく管理して周りに好評を博した他に、「大東区優秀校長TOP10」にも選ばれたことがある。2006年10月17日、当時64歳の李さんが人に法輪功の無実を伝えた時、懲役7年の不当な判決を宣告された。2015年2月7日、李さんは市場で法輪功の資料を配った時、再び連行され、懲役5年の実刑判決を宣告され、遼寧省女子刑務所に拘禁された。刑務所の警官は李さんを転向させるため、受刑者に李さんを殴打させ、靴で李さんの手を踏みつけた。李さんの全身はアザだらけになった。ある日、李さんは髪の毛を引っ張られたままで引きずられた結果、大量の髪の毛が抜け落ちた。また1日半から2日半かけて、しゃがむ姿勢を強いられた上に、その途中で食事を摂ることやトイレに行くこと、睡眠をとることなどを禁じられた。
拷問の再現:拳で殴ったり足で蹴ったりする |
10、唐山市の曹進興さん 冀東刑務所の迫害により死亡
河北省唐山市の学習者・曹進興さんは2017年6月7日、唐山市路北区文化路派出所の警官らに連行され、懲役7年の実刑判決を言い渡され、2018年11月に冀東刑務所に送られた。曹さんの家族は2020年5月30日午前8時過ぎ、冀東刑務所からの電話を受け、「曹進興は心停止で突然死んだ」と告げられた。享年69歳であった。
11、羅学放さん 四川楽山刑務所の迫害により死亡
四川省隣水県の羅学放さん(67)と妻の李坤菊さんは、2014年7月、四川省県の国保の警官らに連行され、ともに懲役7年の判決を言い渡された。羅さんは2017年4月、四川省楽山刑務所に収容されたが、2020年4月、刑務所の残酷な迫害により死亡した。しかし、刑務所側は羅さんの家族に「羅学放の死因は脳出血による突然死だった」と告げた。
12、遼寧省盤錦市の鄒立明さん 大連刑務所で迫害され死亡
鄒立明さん(66)は2015年6月、警官らにより再度連行され、懲役2年6カ月の実刑判決を受けた。体調不良のため入所できず、自宅に帰ったが、2019年9月に錦州南山刑務所に拘禁された。同年11月には大連刑務所に移送された。 2020年2月7日、大連刑務所は鄒さんの家族に電話をかけ、鄒さんが昏睡状態に陥り、大連第三人民病院に入院していることを知らせた。3月8日、鄒さんは亡くなった。
13、広東省の学習者・李栄豊さん迫害死
広東省汕頭市の李栄豊さん(74)は、潮陽区留置場で1年近く不法に拘禁され、6月20日に迫害で死亡した。李さんは2012年から法輪功を学んだ。すると長年の不眠症が解消し、長らく張り詰めてきた夫婦関係も改善し睦まじくなった。李さんは、法輪功がもたらしてくれた心身の変化に心から感謝していた。しかし、親切で健康だった李さんは、理由もなく迫害され死亡した。家族や友人たちは、とても悲しく思い、憤り嘆いた。
李栄豊さん |
2019年末、汕頭潮陽区裁判所は李さんに懲役1年6カ月の実刑判決を言い渡した。その「証拠」となるものは、李さんの自宅で発見された法輪功の資料であった。
14、韓玉芹さん 端明路派出所の警官に迫害され死亡
河北省唐山市豊潤区の韓玉芹さんは、6月18日の早朝5時に豊潤区の警官に身柄を拘束され、端明路派出所まで連行された。午後6時に警察からの連絡を受けた家族は、病院で髪は乱れ、鼻から出血した状態で亡くなった韓さんの遺体を目にした。大泣きして悲しみ、憤りをあらわにした家族は、警官らに制服姿で死者に対して敬礼するように求めた。そして、所長と名乗る者が制服姿で遺体の前でお辞儀をして、「ごめんなさい」と言ったという。
15、湖北省黄岡武穴市の劉済剛さん迫害で死亡
湖北省黄岡武穴市の学習者・劉済剛さんは8月下旬、懲役2年6カ月の実刑判決を宣告され、沙洋範家台刑務所に拘禁された。9月13日前後、劉さんは刑務所で死亡した。享年68歳だった。刑務所側は死因について、何かの原因で呼吸が止まったことによって死亡したと説明し、賠償金として家族に1万元(約16万円)を渡した。
劉さんは2009年7月7日、懲役3年の実刑判決を言い渡され、沙洋範家台刑務所に拘禁された。2011年6月に警官の指示に従わず、サインを拒否したため、劉さんは殴られ、顔面麻痺になった。
16、武漢市の危有秀さんが迫害死
武漢市の危有秀さん(72)は、真・善・忍の理念に従って良い人になることを実践し、近所の人から高く評価されていた。法輪功が中共に弾圧されて以来、危さんは迫害され、心身とも大きなダメージを受けた。
2018年6月2日、危さんは武漢市中山公園で連行され、武漢二支溝留置場に拘禁された。その後、家宅捜索を受けた。
2020年8月15日、家族は危さんが死亡したという通知を受け取った。死因を聞いたところ、白血病で死亡したと言われた。
17、謝南方さん 銀川市留置場で迫害され死亡
2019年9月19日昼11時頃、謝南方さん(64)は自宅に帰った途端、待ち伏せていた警官らにより連行され、家宅捜索を受けた。2020年2月28日、謝さんは銀川市留置所で迫害されて死亡した。
(続く)